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悪役令嬢の婚約者は獣医でした。毎日もふもふしています  作者: 夜凪 蒼


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第4話「人より動物が好き」

嫁いで一週間が過ぎた。


 わかったことがいくつかある。ノアは朝五時に起きる。診察は日の出とともに始まり、昼には納屋で仮眠を取り、午後はまた別の患畜を診る。夕食は定時だけれど、急患が入ると平気で三時間遅れる。


 そして──人間の客が来ると、ノアの目から光が消える。


 今日、館に来客があった。隣領の男爵夫人。社交辞令の挨拶と、新しい嫁──つまり私を見に来たのだ。


「まあまあ、ヴィオレッタ様。王都から辺境へだなんて、お気の毒に」


 男爵夫人の声は甘くて、その甘さの下に好奇心が透けている。王都の令嬢が断罪されて辺境に飛ばされた。格好の噂話のネタだろう。


 ノアは応接間の隅に座って、一言も発しない。紅茶に口もつけない。


「ノア様、相変わらずお静かですこと。社交界でも有名でしたのよ、『変人子爵』って」


 男爵夫人がくすくす笑う。


 変人。


 その言葉に、ノアは眉一つ動かさなかった。


「ねえヴィオレッタ様、ご存じでして? この方、侯爵家の夜会で動物の話しかしなくて、ご令嬢方を全員退屈させたんですのよ。しかも公爵令嬢のドレスに犬の毛をつけたまま現れて──」


「素敵なお話ですわ」


 私の口から、予定にない言葉が出た。


「え?」


「動物への愛情が深い方なのだと、わたくしは理解しておりますの」


 男爵夫人が目を丸くする。ノアが初めてこちらを見る。


「それに──」


 令嬢スマイルを全開にする。


「わたくしも変人ですわ。犬の毛がついたドレスなんて、むしろ勲章だと思いますもの」


 沈黙。


 男爵夫人が口をぱくぱくさせている。隣のメイドが紅茶を噴きそうになっている。テレサ、堪えなさい。


「あ、あら……そう、ですの」


 男爵夫人は早々に帰っていった。馬車が去る音がして、砂埃の匂いが窓から入り込む。


 テレサが片づけに来たとき、紅茶のカップを三つとも盆に乗せて──案の定ひとつ落とした。割れた磁器の破片を拾いながら「ごめんなさいごめんなさい」と連呼するテレサに、ノアは一瞥もくれない。


「テレサ、怪我はありませんか?」


「だ、大丈夫です! ヴィオレッタ様こそ、男爵夫人にあんな啖呵を──」


「啖呵ではありませんわ。本心です」


 テレサが目をぱちくりさせて、「かっこいい……」と呟いて去っていった。割れたカップの破片を落としながら。もう一個割れた。


 応接間に残された私とノアの間に、微妙な空気が漂う。


「……なぜあんなことを言った」


 ノアの声は平坦だけれど、わずかに困惑の色がある。


「本当のことを言っただけです」


「変人だと?」


「犬の毛は勲章だという部分です」


 ノアが黙る。


「ノア様、わたくし──前世、あ、いえ。昔から動物が好きで」


 危ない。前世が出かけた。


「社交界で浮いたことも一度や二度ではありませんの。ペ──、えっと、動物のお店で働いていた頃は、お客様に『犬臭い店員』と言われたこともあります」


「……動物の店?」


「実家の、その、牧場のようなものです」


 嘘がどんどん膨らんでいく。でもノアは追及せず、窓の外に目を向けた。


「俺は……小さい頃から、人間より動物のほうが好きだった」


 ぽつり、と。


「動物は嘘をつかない。腹が減れば鳴くし、嬉しければ尻尾を振る。怖ければ逃げるし、怒れば噛む。全部、そのままだ」


「ええ」


「人間は違う。笑いながら刺す。褒めながら蔑む」


 ノアの声に棘はない。ただ事実を述べているだけの、淡々とした口調。


「社交界に出るたびに思っていた。なぜ俺はここにいるのかと。動物を診ていたほうがよほど意味がある」


「それで辺境に?」


「家督を継いだときに決めた。領地に獣医がいなかった。牛が死に、馬が倒れ、羊が病んでも誰も治せなかった」


 ノアの灰色の目が、遠くの牧草地を見ている。


「領民は最初、変人だと言った。貴族が家畜の世話をするなんて、と」


「今は?」


「……今は、牛が病んだら夜中でも呼びに来る」


 そう言うノアの声に、ほんの少しだけ誇りが混じっているのを聞き逃さなかった。


 窓の外をゼフィルが横切る。翼を広げた影が応接間の絨毯の上を滑っていく。


「ノア様」


「なんだ」


「わたくしも、人間より動物のほうが素直だと思います」


 ノアがこちらを見る。


「でも──ノア様は人間にも、ちゃんと向き合っていますわ」


「どこがだ」


「領民の牛を、夜中でも診に行くところです」


 ノアが口を開きかけて、閉じる。眼鏡の奥の瞳が揺れたように見えた。


「……それは動物を診てるだけだ」


「動物を通じて、人を助けていますわ」


 ノアが立ち上がる。


「診察がある」


 いつものセリフ。でも、扉の前で振り返った。


「ヴィオレッタ」


「はい」


「……明日、子山羊に名前をつけろ。お前が取り上げたんだ」


 それだけ言って、ノアは出ていった。


 ──名前。


 あの山羊のお産のとき、一緒に取り上げた子山羊に、私が名前をつけていい。


 応接間に一人残された私は、じわじわと込み上げてくるものを堪えきれず、クッションに顔をうずめた。


「やばい、嬉しい……」


 コロが応接間に入ってきて、私のスカートの裾を引っ張る。散歩の催促だ。


「はいはい、行きましょう」


 犬の毛だらけのドレスで庭に出る。


 コロが走り出して、庭の端の花壇に突っ込む。テレサが丹精込めて育てていたマリーゴールドがなぎ倒される音が聞こえたけれど、見なかったことにしよう。


 中庭を通りかかると、ハンスがベンチに座っていた。膝の上にミルクを乗せて、顎の下をこしこし掻いている。私に気づいて手を止め、鉄面皮に戻ろうとするけれど──ミルクがにゃあと抗議の声を上げた。中断するな、と言わんばかり。


 ハンスが諦めたように顎掻きを再開する。その耳がまた赤い。


 ──変人で、結構。


 この屋敷は、変人にはちょうどいい。

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