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悪役令嬢の婚約者は獣医でした。毎日もふもふしています  作者: 夜凪 蒼


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第20話「ゼフィルの肩」

疫病が始まって三日目の朝。


羊舎と牧場を往復する生活にも慣れてきた。汲んだ水を運び、薬草を煮出し、ノアが調合した薬を一頭ずつ飲ませる。新たに発熱した羊を隔離用の柵に移し、回復した子を元の群れに戻す。


前世のペットショップ時代を思い出す。あの頃も、子犬がお腹を壊したら夜通し看病したっけ。


違うのは規模だけだ。子犬一匹じゃない。領地の羊、全部。


「ヴィオレッタ様」


声に振り向くと、ルカが鷹舎の前に立っていた。腕にはゼフィルが止まっている。


銀灰色の羽に琥珀の瞳。気高くて美しい——けれど、この鷹は私が最も苦手とする動物だった。


正確には、ゼフィルのほうが私を苦手としている。


最初に会ったとき、手を伸ばしたら翼で叩かれた。二回目は威嚇の鳴き声。三回目なんて、近づいただけで飛び去られた。ノアに「ゼフィルは人を選ぶので」とフォローされたけど、あれは明らかに嫌われていた。


犬も猫も馬も羊もウサギも、みんな私に懐いてくれるのに。鷹だけは別なのだと、半ば諦めていたのだけれど。


「ゼフィル、今日は機嫌どうですか?」


「それがですね、ヴィオレッタ様」


ルカが首を傾げる。


「朝からずっとそわそわしてるんです。餌もあんまり食べなくて」


「体調が悪いとか?」


「いや、そういう感じじゃなくて……なんか、落ち着かないみたいで」


ゼフィルが琥珀色の目でこちらを見ている。いつもの鋭い視線とは違う。なにかを——探しているような。


「羊舎のほうが気になるのかもしれませんね。動物って、群れに異変があると敏感だから」


そう言いながら、私はゼフィルの前をゆっくり横切った。刺激しないように、目を合わせすぎないように。


そのとき。


風切り音。


一瞬の出来事だった。ゼフィルがルカの腕から飛び立ち——私の左肩に、すとん、と降りた。


鉤爪が服の布地を掴む感触。羽根が頬をかすめる微かな風。銀灰色の翼が、すぐそばで畳まれる。


動けなかった。


「え」


「ええええ!?」


ルカの叫び声が牧場に響き渡る。


「ゼフィル!? うそでしょ!? ヴィオレッタ様の肩に——!?」


「る、ルカ、声、声が大きい……!」


「だって! だってゼフィルですよ!? あの、ノア兄以外の人間に絶対止まらないゼフィルが!」


肩の上で、ゼフィルはおとなしくしている。鉤爪の力は思ったより優しくて、服を破りそうな気配はない。首を傾げて、じっと私の顔を覗き込んでいる。


琥珀の瞳が、近い。


「……ゼフィル?」


小さく呼びかけると、鷹が喉の奥で低く鳴いた。甘えるような、確認するような声。


涙が込み上げてきた。なんで。わからない。でも——心のどこかで、この子に認めてもらいたかったから。


「よしよし。いい子ですね」


そっと右手を上げて、胸元の羽根に触れる。ゼフィルは逃げない。指先に伝わる羽毛の感触は、想像していたよりはるかに柔らかい。


「なにごと——」


羊舎の扉が開いて、ノアが出てきた。三日ぶりにまともに外の光を浴びたせいか、少し目を細めている。


そして——私の肩のゼフィルを見て、固まった。


「……ゼフィルが」


「はい」


「ヴィオレッタ様の肩に」


「はい」


「……止まっている」


「はい」


ノアの表情が、ゆっくり変わっていく。驚き。困惑。そして——なにか、もっと深い感情。


「ゼフィルは誰にも懐かないのに」


その呟きは、私に向けたものではなかったかもしれない。


ノアが一歩、近づいてきた。眼鏡越しの瞳が、ゼフィルと私を交互に見る。


「あの鷹は、俺の母が育てた最後の一羽です」


知っている。ルカから聞いた。ノアのお母様が亡くなる前に巣から落ちた雛を拾い、育てたのがゼフィルだと。だからノアにとって特別な鷹であり、だからこそ他の誰にも心を許さないのだと。


「母が逝ってから、俺以外の人間の肩には一度も止まったことがない」


ノアの声が、かすかに揺れている。


「それが——」


言葉を探すように、ノアが視線をさまよわせる。疲労で隈の濃い目元。三日間ろくに眠っていない顔。それなのに、今この瞬間だけは、疲れを忘れたような表情をしていた。


「ゼフィルが認めた人は、初めてです」


風が吹いた。牧場の草の匂いを運ぶ、辺境の風。


肩の上でゼフィルが翼を少し広げ、またたたむ。まるで居場所を確かめるように。


「光栄ですわ」


声が震えないように、笑って言った。


ノアが、ほんの少し——本当にほんの少しだけ、口角を上げる。


「……母も、喜ぶと思います」


その一言が、朝の光よりまぶしかった。


ルカが後ろで「やばいやばいやばい」と小声で騒いでいるのが聞こえるけれど、今は気にしない。


ゼフィルが私の髪を軽くついばんだ。痛くはない。毛繕いのつもりなのかもしれない。


「ゼフィル、くすぐったいですよ」


鷹が喉を鳴らす。


肩の重みが、不思議とあたたかい。


——この子が認めてくれたなら。


私はもう少しだけ、この場所にいてもいいのかもしれない。


「さて」


ノアが踵を返す。


「羊舎に戻ります。今日も新しく二頭、熱が出ている」


背中が羊舎に消えていく。肩のゼフィルが、その背中をじっと目で追っている。


——あの人を、助けなきゃ。


私はゼフィルを腕に移し、ルカに預けてから、ノアの後を追った。

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