末灯(まつとう)の四葉編 第六話 前編
企画・構成・編集 mirai(mirama)
執筆 chatGPT
瓦礫の町を離れてから、乾いた平原や草の少ない丘をいくつも通り過ぎました。
いくつかの町や集落にも立ち寄り、そこでは家族の名を忘れないでほしいとか、夜ぐっすり眠りたいといった切実な願いを聞きました。
その一方で、新しい鍋が欲しいとか、隣人のいびきがうるさいといった、冗談か本気か分からない願いもあり、思わず笑ってしまうこともありました。
それでも私は、どれも同じように預かって、また歩き出しました。
最後の集落からしばらく歩くと、急に空気が少し変わりました。
赤い空は同じなのに、地面の白さが、どこか“丁寧”なんです。
道の端には、崩れた柵の名残がまっすぐ並び、石畳はまだ形を保っていました。人の手が入っていた土地って、最後まで「整っているふり」をするんですね。……ふり、というのは失礼かもしれませんけど。
遠くに、城館が見えました。
正確には、城というほど大きくはありません。でも、周りの家々が崩れているのに、その建物だけが、妙に背筋を伸ばして立っています。白い石化は壁の下から這い上がっているのに、まだ、崩れていない。見上げると、ちょっと怖いくらいです。
門の前に、ひとりの男性が立っていました。
豪奢だったであろう礼装。金糸はほつれているのに、胸の徽章だけは妙に光っています。磨き続けたんでしょう。指先には、細かな傷が見えました。
「旅の僧侶か」
声は落ち着いていて、礼儀もあります。でも、その奥に、命令の癖が残っていました。長いこと、誰かに言われる側ではなかった人の声です。
「はい。リエルと申します。旅の途中で立ち寄りました」
私は僧侶として、きちんと礼をしました。
相手が誰であれ、礼儀は礼儀です。
「私の名はヴァルディス。――この地の領主だ」
領主。
そう名乗った瞬間、周囲の静けさが少しだけ重くなった気がしました。
この広い土地に、いま「領」するほどの人が残っているのかは、分かりません。でも、彼はそう言いました。言い切りました。
私は、笑顔を崩さないようにしながら頷きます。
「立派なお屋敷ですね。まだ、こんなに……」
「崩れていない、という意味か」
ヴァルディス卿は私の言葉を先回りして、少しだけ口角を上げました。自慢ではなく、確認の笑いです。
「守っているのだ。最後まで」
最後まで。
その言葉は、この世界では、挨拶みたいに使われます。
でも、ここで言われると少し違います。最後まで、何を?
ヴァルディス卿は私を中へ招きました。断る理由がないので、私は素直に入りました。
廊下はきれいに掃かれていて、壁の装飾も、欠けながら残っています。誰かが、毎日手入れしている匂いがしました。――家って、匂いで分かるんですね。
広間には、椅子が一脚だけ、中央に置かれていました。
他の椅子は、ありません。
あるいは、あっても使われていないのかもしれません。
ヴァルディス卿はそこに座り、私は少し離れた位置に立ちました。
いえ、立たされているわけではありません。ただ、座っていいと言われなかったので、立っているだけです。私はわりと従順なんです。
「この地の歴史を、知っているか」
「いえ……すみません」
「よい。知る者は少ない」
彼はゆっくり話し始めました。
かつてこの地がどれだけ豊かだったか。どれだけ強い兵がいたか。どれだけの民がいたか。どれだけの祭があり、どれだけの収穫があり、どれだけの歌があったか。
私は相槌を打ちながら、少し不思議な気持ちになりました。
――願いは、まだ出てきません。
人が願いを話すときは、だいたい最初に言います。
我慢できないからです。
でもヴァルディス卿は、願いを言いません。話すのは“過去”ばかりで、“いま”がどこにもありません。
「勇者が魔王を討ったと聞いたとき、私は思った。これで、秩序は戻る、と」
ヴァルディス卿は胸の徽章に指を添えました。
爪先が、少し震えていました。
「だが、空は赤くなった。地は白くなった。民は去った」
淡々とした語り口なのに、最後の言葉だけ、ほんの少し強くなります。
「去った、ではない。――消えたのだ。私の領地から」
その瞬間、私は気づきました。
この人は、“悲しんで”いるのではありません。
“取り戻したい”のでもありません。
もっと、別のものです。
ヴァルディス卿は、私のほうを見ました。
目は乾いていて、涙の気配はありません。でも、瞳の奥がひどく忙しい。何かを必死に数えている目でした。
「僧侶。なぜ旅をしている。お前はどこに向かっている」
「願いの女神に会いに行きます。たくさんの人の願いを、女神に届けるんです」
「ならば、私の願いも持っていけ」
言い方は命令でした。
でも、その命令の下に、子どもみたいな焦りが潜んでいるのが分かりました。
私は思わず、少しだけ間を置きました。
ほんの一瞬です。ほんの一瞬なのに、この広間ではそれが大きく感じました。
「……願いを、お聞かせください」
そう言うと、ヴァルディス卿は、姿勢を正しました。
まるで、誰かに見られているように。誰もいないのに。
「私は――」
そこで、彼は一度だけ、言葉を切りました。
喉が詰まったというより、慎重に選んでいる感じです。
「願い」を口にした瞬間、願いは弱点になることを知っている人のためらい。
そして、静かに言いました。
「私は、最後まで“領主”でありたい」
空気が、止まりました。
私は、胸のあたりが少しだけ重くなりました。
嫌だとか、間違っているとか、そういう重さではありません。
どうしていいか分からない重さです。
領主でありたい。
民がいなくても。兵がいなくても。領地が白く崩れても。
最後まで、領主でありたい。
私は笑顔を探しました。
いつもの、自然なやつ。
でも、その笑顔が、ちょっとだけ遅れました。
「……なるほど」
言葉は出ました。でも、軽くなりませんでした。
ヴァルディス卿は私の反応を見逃しません。
徽章に置かれた指が、ぎゅっと強くなりました。
「私が、何を恐れているか分かるか」
私は、正直に頷けませんでした。
分かる、と言うには、まだ近づいていない気がしたからです。
それでも、私は言いました。
「……分かりたい、です」
ヴァルディス卿は、ふっと笑いました。
初めて見せる、柔らかい笑いでした。
「明日、話を続けよう。今日は、泊まっていけ」
命令ではありません。誘いでもありません。
決定です。領主の言い方で出された、いま残っている唯一の“権力”の形。
私は一拍置いて、頷きました。
「お世話になります」
こうして私は、白くなり始めた城館に一泊することになりました。
赤い空は窓の外で、今日も変わらず赤いままでした。
でも、今夜の赤は――
少しだけ、重たく見えました。




