一年五組と書いて刑務所と読む
──四階、一年五組──
異様な空気が漂っていた。
明らかに他の階とは違う、殺伐とした空気、四階一番奥の広い物置部屋かと思われたここが一年五組である。
僕はその教室前で冷や汗を流しながら立ち尽くしていた。
「ここに……入らなきゃならんのか……」
わずか十六歳で辺境に左遷させられたサラリーマンの気持ちがわかった気がする。
僕は沈んだ気持ちで、頭がくらりとした。
そして覚悟も半端ながら意を決するようにその扉を開けるのである──。
「おらあ! そこだあ! いけえ!」
「ビビってんなや! ぶちかましたれえ‼」
バギィ! ドゴォ! ワーワー!
──ボクシングだ、教室の中でボクシングの試合をしていた。
ガラの悪そうな連中が囲いを作るように円となり、その中心でガタイの良い男同士がその拳をぶつけ合っている。
僕は夢でも見ているのだろうか、ここは学校、学校……だよな……?
教室に立ち込める熱気が僕の肌を打ちながら、場の盛り上がりは止まること知らずにどんどんと増して行く。
僕はあっけにとられながらそれを見ていると、決着の瞬間は唐突に訪れた。
「死ねやああ‼」
片方の選手の重そうなストレートが相手の顔面に決まると、そのまま倒れて動かなくなった。
「勝者! 赤コーナー‼」
「よっしゃああ! よくやったぜえ‼」
「ふっっっっっっざけんじゃねえですわあああああ!! てめえにいくら賭けたと思ってやがるんですのおおおおお‼」
どうやら赤コーナーの選手が勝ったみたいだ。
それにしてもすごい歓声だ……囲いの連中は賭け試合をやっているようで、勝って喜ぶ者もいれば負けて罵声を浴びせる人もいる。
それは男女混じった異様な空間、どいつもこいつもガラ悪くクセが強そうな奴らばっかりで、僕は軽く吐き気を覚えた。
試合が終わったせいか周りの生徒達は各々に窓際でタバコを吸いながら談笑をしたり、なぜか机の代わりに置いてある雀卓で麻雀を始める者、戦いの熱が冷めやらぬのか腕相撲や両者の肩を殴り合う肩パン勝負などを興じたりしていて、それぞれが自由な時間を過ごしていた。
ちなみにもう学業の始まりを告げる朝のチャイムは鳴っている。
なのにこの教室と呼ぶにはいささか抵抗のあるここに教師が来ることもなく、誰一人それを気にすることのない自由という名の野生が広がっているのだ。
「──帰ろう……。ここは僕の来るところではない……」
教室の入り口で固まっていた僕は、とてもじゃないがその異世界に踏み入る勇気はなかった。
踵を返して帰ろうとしたその時、何者かが僕の肩を掴んだ。
「ちょっとあなた、ここに何の用ですの?」
振り返ると長い金髪の先をロールした美しい女性がいた。
その優雅な出で立ちはどこかのお嬢様を思わせるような容姿、フリルのついた青い服装を着ていて、よく見ると制服を改造したものだとわかった。
キラキラとした装飾を見せつけるようにまとわせ、そして極めつけはその上品な喋り方である。
そんなこの場に似つかわしくない彼女は麗しき声で僕を呼び止めたのだ。
「あっあの、僕は……」
「みなまで言わなくて結構ですわ! そう、あなたもここに落とされて来た訳ですわね。安心なさい、ここにいるのはみな脛に傷持つ者たち……。あなたをこの五組に歓迎いたしますわ! さ、こちらへいらっしゃいな」
「えっ、ちょ──」
彼女は僕の左腕を抱くように掴むと、教室の中へと引っ張った。
僕は戸惑い気味に抵抗しようかと思ったが、彼女の大きい柔らかな胸が腕に当たるとそんな事はもうどうでもよくなった。
悲しいかな、これが男の性よ。
「みなさん! この五組に新しい仲間が増えましてよ!」
彼女の一声で不良たちは一斉に僕へと視線を移した。
それは獲物を狩るような眼、丁度いいカモを見つけた眼であった。
「あなた、お名前は?」
「きょ、今日からこの五組に入ります千野理九って言います……。ど、どうぞよろしくお願いします……はは……」
弱々しく僕が自己紹介すると、不良たちは不敵な笑みを見せた。
もうこの時点で僕は帰りたさはマックスである。
「千野理九……いい名前ですわね。でもちょっと味がないですわ。なにかコードネームはありませんの?」
コードネームってなんだよ……と、思ったがこんな美人に何を言われても問題無しであるため、僕は意気揚々と答えた。
「それならば『リキュー』と呼んでください!」
とっさに出てきたのがあの悪魔が考えたあだ名だった。
でもまあいいや、こんな美人に呼ばれるなら悪くは無い。
「リキュー! それはいいですわね! わたくしは『鹿馬 セナ』ですわ。これからよろしく頼みますわよリキュー」
鹿馬さんは満面の笑みで僕に言う。
ああ、悪くない。
この不良の巣窟で彼女は唯一の癒しだ……僕は絶望の中で生きる希望を見出した。
「ところでリキューは何か部活に入っていますの? もしくは入る予定はありますの?」
答えづらい質問だ。
一応僕はあの殺道部なるものに所属していることになってるらしい。
ここで嘘をついてあとで悪魔から制裁が来るかもと思うと、正直に答えておいたほうが吉なのかも知れない。
「僕は……一応、その部活に入ってまして……」
「あら、そうなんですの。何部かしら?」
「──殺道部っす」
──その名前を口にした瞬間、淀んでいた教室の空気が変わったのがわかった。
「おい、殺道部だと……!」
「やべえよ……やべえよ」
「あいつ……茶々さんの手先か……!」
さっきまで僕をひ弱なカモのように見ていた不良たちの見る目が変わった。
それは明らかに何か警戒する眼差し、未知なる恐怖を見る眼だ。
「……? あの、僕なにか変なこと言いました……?」
その様子を疑問にすると、鹿馬さんはゆらりと僕に歩み寄った。
「リキュー……」
「へ──?」
次の瞬間──僕は何故か空中に浮いていた。
……訂正、浮かされたのだ。
なんで浮いたのか、それは彼女の、鹿馬さんの力によるものだった。
力と言っても超能力とかそんなのでは無い、それはもっと単純な怪力である。
異常な筋肉、腕力の強さによって僕は空中に投げられたのだ。
「なっ⁉」
混乱する脳は状況の説明を求めるも、その思考は無慈悲に閉じることになる。
彼女は宙に浮く僕を睨むと、恐ろしい速さの攻撃を仕掛けてきた。
「はああああ!」
細腕から繰り出される正確なる突きは、僕の身体の正中線を針のように刺し、なめらかなる綺麗な足からは、残像が見えるほどの連続蹴りが弾丸のように襲う──。
ドガガガガガガガガガガガガガガガガガ‼
目にも止まらぬ連撃は僕の身体を容赦なく打ちつけ、決して途切れることはない。
終わらないコンボは僕をずっと空中に固定したままであり、地面に落ちて倒れることも許さなかった。
死ぬような痛みの中、僕は昔小学生の時にゲーセンで見た格ゲーのハメ技を思い出していた。
「うらああああ‼」
連撃の終わりを告げる空中での投げ技をくらうと、僕は床に叩きつけられた。
「……な……なんで……」
息も絶え絶えの僕が言うと、
「〝殺道部〟死すべし! わたくしの〝茶道部〟をよくも奪ってくれましたわね!」
彼女は害虫を見るかのような目でこちらを睨んだ。
「茶道部……茶道部⁉」
その久しぶりに聞いたかのような素敵な言葉に僕は反応した。
「鹿馬さんはちゃんとお茶と礼儀を愛する方の茶道部の人ですか⁉」
「当たり前田のクラッカーですわ! わたくしは茶道部の部長でしたわ。つい先日までわね……あの女が茶道部を潰したのですわよ! 元凶! 悪鬼悪霊ですわ!」
やっと見つけた……!
同じ茶道を愛し、共感してくれる人……!
「あ、あの! 実は僕──」
「おいおいおいおい、まるであたしが無理やり奪ったかのような言い方じゃねえか?」
僕が弁解をしようとした矢先、背後から急に茶々先輩が現れた。
「出ましたわね! 歩く公害!」
「茶々先輩⁉ なんでここに⁉」
「騒ぐなアホウども。リキュー知らんのか? ここは一年五組だが、二年と三年の教室でもある。なんせ進級とは縁の無い連中ばかりじゃからみんなここに溜まるんだ」
ここは吹き溜まり……!
圧倒的アウトローのたまり場……!
学校側もこいつら全員退学処分にしろよ……!
「茶々! わたくしともう一度部室を賭けて勝負ですわ!」
「ほざくな負け犬。だから貴様は馬鹿セナと呼ばれるんだ。あたしと茶道で勝負したのにもかかわらず、無様に負けたのはどこのどいつだ? その筋肉しか無い脳みそを綺麗に洗いなおして出直せ! たわけが!」
「ぐぬぬ~ですわッ! あれは納得のいかない判定でしてよ!」
火花が飛び散るような睨み合い、どうやらこの二人は犬猿の仲らしい。
それにしても気になるのは茶々先輩が茶道部の鹿馬さんに茶道で勝ったということだ。もしかして先輩は実は茶道に通ずる心を持ち合わせているのか……?
「茶々先輩! 先輩は茶道ができるのですか⁉」
僕は勇気とわずかな希望をもって言ってみた。
「なんだリキュー……? あたしの話しが信じられねえってのか」
「い、いえ! そうでなく、ぜひ先輩が茶道をしているところを勉強したいと思いましてですハイ!」
「殊勝な心掛けだなリキューよ。丁度いい……ならばあたしがこの馬鹿からどうやって部室を勝ち取ったか見せてやる。おい! 〝VTR〟を用意しろ!」
先輩が指をパチンと鳴らすと、教室の不良たちが怯えたようにプロジェクターを用意し始めた。
「いまから証拠映像を見せてやる。噛みしめながら脳髄に叩きこめよ」
教室が暗くなると、白い壁に映像が映し出される。
僕は証拠映像あるんだ……と、思いながらそれは始まった。
その映像には綺麗な和室が映っていて、僕には見慣れたような立派な茶室が確かに存在していた。
僕はこれだけでなんかもう感動した。
ああ、本当に茶道が見れるんだと涙した。
(茶道は部屋に入るところから始まる……。いかに音を立てず、礼儀正しく美しい姿勢が求められるんだ。お手並みを見せてもらおうじゃないか──!)
僕はわくわくしながら食い入るように映像を見つめる。すると──
『ヒーーーーハーーーーッ!』
和室のふすまをぶち破って、トラクターに乗った鹿馬さんが叫びながら出てきた。
「⁉」
「まずは赤コーナーからわたくしの入場ですわね。このトラクターはオーダーメイドの特注品ですのよ」
「知らねえよ⁉ なんだこれ⁉」
僕は目玉が飛び出るほど驚愕する。
あきらかに自分が知っている茶道じゃないことに、前代未聞の光景を目の前にして空いた口がふさがらない。
「次は青コーナーからあたしの入場だな。度肝抜かせてやるよ」
まてまてまてまて、プロレスか?
なんだ赤コーナー青コーナーって、そんなもんは茶道には無い……!
ここから茶々先輩の入場が始まるらしいが、なんだよ、まさかこれ以上にやべー入場なのか……⁉
ふすまが勢いよくガラリと開いた。
そして、そこにいたのは──力士だった。
「誰だよ⁉」
「小結の茶之助だ」
「だから誰⁉」
思わずツッコミをいれる、いれざるを得ない。
「第一ラウンド、この時点では互角ですわね……もっとも彼が横綱ならそちらに分がありましたわ」
「こいつはいずれ横綱になる男だ。未来への期待値を含めればこちらにポイントがあってもおかしくない筈だ」
何の勝負だ、なんだこれは。
そんなことを思ってるうちに勝負とやらは第二ラウンドに進んでいた。
「第二ラウンドは互いのお茶を見せ合うのですわ」
そうか、それならまだマシだな……僕はもう普通の茶道を諦めていただけにホッとする。すると映像の中で鹿馬さんがお茶を無造作に取り出した。
それはどこのコンビニにも売ってる、市販のペットボトルのお茶だった。
「……? あの、お茶をたてるのでは……?」
「ん? 何を言ってますの? この『ほ~い! お茶』があれば問題ナッシングですわよ?」
あっ、この人……茶道知らない人だ。
たぶん雰囲気とノリで茶道やってる人だわ。
『さあ! わたくしはこの業界売り上げナンバーワンのこのお茶で勝負ですわよ! あなたの貧相なお茶を見せておくんなまし!』
鹿馬さんが力士に言うが、彼はぴくりとも動かない。
「あの力士動きませんね? お茶を出さないんですか……?」
「リキューよ、よく見ろ。茶之助が出すのは茶は茶でも飲み物ではない。奴が持ちたるは茶室に欠かせぬ──茶菓子だ!」
茶菓子……?
僕は映像の中の力士をよく見るが、その手には何も持ってはいない。
「何も持ってなくないですか────あっ!」
否、力士は持っているのではない……着けているのだ!
その大きく円を描いた腰に着けた力士の証である『まわし』!
そう、それこそが茶菓子‼
「……バ……バームクーヘン……!」
その茶色のまごうことなきお菓子は異国ドイツからの刺客、力士は堂々と腰に回したそのバームクーヘンをぴしゃりと叩いて見せた!
「いや、汚ねえな⁉」
「そうですわ! お茶の勝負なのに茶菓子を持ち込むなんてレギュレーション違反ですわ!」
「そっち⁉」
そっちの汚ねえじゃねえよ⁉
「これだから温室育ちは困るわい。戦場に汚いも糞もあるか。ルールを殺すつもりでかかってこなけりゃあたしは倒せんよ」
「減らず口を……!」
「ほれ、最終ラウンドが始まるぞ。お前が負けた最後のラウンドがな」
和室で対峙するお嬢様と力士、両者は呼吸を合わせるように睨み合っている。
「あの……最終ラウンドって……?」
「最終ラウンドは互いの持ち寄った茶を早く食ったほうの勝ちだ。簡単だろ」
いや簡単だけどさ……そうじゃないだろ……。
言いたいことは色々あるが、僕はもう勝負の内容についてつっこむのは逆に無粋だなと思った。
『いきますわよおおおおお!』
『ごっつぁんです!』
二人は互いの飲食を取り合うと一気に口に入れ始める。
力士がペットボトルのお茶を勢いよく飲むが、それ以上に鹿馬さんのバームクーヘンを食べるスピードが鬼のように速い──!
「すごい! あのペースなら先に食い終われる……!」
そう、ここまでは鹿馬さんが勝つのは誰もが想像できたが──彼女の手がピタリと急に止まった。
『くっ……!』
あきらかに勝てる勢いだが、鹿馬さんはなぜか手を止めてしまっている。
「あれ、満腹か⁉」
「ふふふ。いや、違うぞリキュー」
「──ああっ! そうか!」
彼女の手が止まった理由、それは見えてしまうからだ──!
これ以上バームクーヘンを食べると、力士のぶつが見えてしまうのだ……!
「これはどう考えても卑怯ですわ!」
「あ? 力士のぶつも見れねえガキが吠えてんな。己の未熟さを棚に上げるとは恥を知れい!」
そうこうしてる間に力士はお茶を全て飲み干すと、高らかに腕を上げ勝利を宣言した。
「これが茶道部を賭けた勝負だ。どうみてもあたしの勝ちだ」
すげえ……勝ったのは力士であり、最初から最後まで一瞬も姿を出さなかったこの人はなんと傲慢なことか……!
映像が終わり教室が明るくなると、
「やはり納得いきませんことよ! もう一度わたくしと勝負なさい!」
鹿馬さんが茶々先輩に異議の声を申し立てる。
そりゃそうだ、これは納得いかんだろ。
「お前もしつこいな馬鹿セナ。ならば勝負してやる。それで、何も持たざる貴様は何を賭けるというのだ?」
「わたくしが賭けるもの──もし、わたくしが負けたら……あなたの殺道部とやらに入ってやろうじゃありませんこと!」
「はっはー! 言ったな? 吐いた言葉呑みこむな? てめえを下僕にしてやるぜえ!」
その言葉で一気に盛り上がる教室、いまここに龍と虎が雌雄を決しようとしていた。
「そんで? 勝負の方法は──」
「丁度ここにいい感じのグローブがありますわ。魂と魂のぶつかり合いをするならば……ボクシングしかありますまいですわ!」
「ほう、後悔するなよ。その端正な顔を梅干しみたいにしてやらーな」
「ふん! 小生意気ですこと! 王者の拳があなたという悪を粉砕して見せますわ!」
バチバチと閃光が走る──こういう時、女の子同士で殴り合うなんてやめるんだと、僕みたいなまじめキャラが止めるべきなんだろうけど、まあ無理よね、だってこえーもん。
再び不良たちが大きな円となってリングを作ると、その中央で二人は向かい合う。
茶々先輩より身長の高い鹿馬さんが見下ろすようにガンをとばすと、髪をかき分けながらそのおしゃれな服を脱ぎ捨ててなんか水着みたいな格好になった。
「「「おおおお! エロい……!」」」
肌の露出の多いその恰好を見て、僕を含めたギャラリーの男共は興奮する。
「悪鬼が朽ちるときが来たようですわね。この特注のリングコスチュームをこんなに早く披露するとは思いませんでしたわ」
「おまえ馬鹿か? いや馬鹿だったな、それただの水着だろ」
「ち、違いますわ! ブランド物の高いやつですわ!」
「お前じゃあタグ見せてみろや。どうせメイドインチャイ──」
「あーあー! 聞こえねえですわ! へいレフェリー、さっさと始めやがれですわ‼」
レフェリーは両者がグローブを嵌めたのを確認すると、
「ファイッッ!」
掛け声とともにゴングがカーンと鳴った。
「いきますわよおお! 『コーク・スクリューパンチ』!」
うねりを上げた風を揺らすそのパンチは素人のものではない、鹿馬さんの鋭く回転した右腕が茶々先輩を襲う!
「へっ、かすりもせんわ!」
先輩は長い茶髪を舞わせながら、ふわりと後ろへ飛んで避けてみせた。
「相変わらず身軽ですわね……!」
「お前は馬鹿だが力だけはあるからな。それとも馬鹿だから力が強いのか?」
「ほざけ! ですわ!」
うなる豪腕をひょいひょいと躱す先輩は一見余裕そうに見えるが、その眼は真剣そのものだ。
「むきー! 当たらねえですわ‼」
「へへっ、どうしたよ。お山のチャンピオン」
挑発する先輩はにやりと笑う。
だが、何か違和感があった。
「おかしいな……先輩はなぜ反撃しないんだ──」
僕は首をかしげて思う、先ほどから先輩は防戦一方で相手の攻撃を避けているだけだ。
「──気になるか少年? あれはセナさんの持ち味が関係してるんだ」
解説するように、僕の横からぬっと知らない色白の外国人みたいな奴が急に出てきた。
「うおっ⁉ 誰すか⁉」
「俺の名は『テリー照山』。気軽に『テリーヤン』と呼んでくれ」
短髪の金髪、額には『照』の字が刻まれていて、白い歯を輝かせたそいつはキメ顔でこちらに言ってきた。
「あっ、はい……それで持ち味って……?」
「『持ち味』とは言い換えれば能力のことだ。セナさんの能力はその圧倒的なまでの怪力だ! セナさんの攻撃を受ければいかに茶々さんといえどもタダではすまない! だからああやってパンチを躱しながら一瞬の隙をうかがっているのだよ」
なるほど、わかったようなわからんような。
何者か知らんがサンキューテリーヤン。
「おーほほ! 茶々! もう逃げ場はありませんことよ!」
気が付くと先輩はコーナーに追い詰められていた。
「ああっ! あれじゃもう逃れられない!」
僕は先輩の身を一瞬案じたが、よくよく考えたらこれ先輩が負ければ茶道部が復活する平和なハッピーエンドであることを思い出したので、僕は全力で鹿馬さんを応援した。
「うおおー! がんばれええ! 負けるなああ‼」
後々の報復が恐いので、敢えて名前は出さないどちらとも取れるようなスタイルの応援をする。
我ながらチキンだが弱者には弱者の世渡りがあるのだよ。
「これでフィニッシュですわ! 食らいなさいまし『クラッシュ・ピストン・パンチ』!」
残像の混ざった全てを粉砕する豪の拳が先輩の顔面に飛んでくる!
決まった、悪鬼が討たれるのを誰もがそう思った!
ドガァッ!
その必殺パンチは先輩では無く──後ろの黒板へと豪快に突き刺さったのだ。
「はずした⁉」
「いや違う! はずされたんだ! 茶々さん……さては、やらかしたな!」
テリーヤンが解説するが僕にはさっぱりわからない。
そしてリングの中ではどさりと、鹿馬さんがうつぶせにダウンをした。
「おい、レフェリー。カウントしろ」
「だ……ダーーウン! ワン、ツー、スリー!」
先輩がにやっと笑いながらレフェリーに言うと、カウントが始まった。
教室内はどよめいている、いったい何が起こったのか、なぜ鹿馬さんが急に倒れたのか誰もわからないからだ。
「ど、どうなってるんだ……! テリーヤン!」
僕は軽く絶望しながら解説役に説明を求める。
「──あれは茶々さんの『持ち味』が出たんだ……!」
でた、持ち味。
なんなんだよそれ、先輩は光より早いパンチでも打てんのか?
「詳しく頼む」
「……茶々さんの持ち味はずばり、『やらかす』能力だ──!」
「……やらかす?」
「ああ、そうだ。『やらかす』能力はその名の通り何かをやらかすんだ。あのパンチが当たる直前、何かをやらかしたんだ。この能力の一番怖いところは『やらかす』という概念が多岐にわたるところにある!」
いまいち要領がつかめないテリーヤンの説明に僕は少しイラッとする。
「もっと簡単に頼む」
「つまり、よくわからないということだ!」
まじかよテリーヤン、何も解決してねえよ。
「ぐ……ぐうう……! 茶々、あなたは……!」
「ほう、まだ喋る元気があるとは大したもんだ。なかなかしびれるだろ?」
倒れながら話す鹿馬さんを見ながら、先輩は余裕の表情を浮かべている。
すると、ほのかにリングから甘い香りが漂ってきた。
それを嗅いだテリーヤンが急に目を見開いた。
「そうかわかったぞ! 茶々さんは麻薬を使ったんだ!」
「な、なんだってー⁉」
僕は一瞬驚いたが、思い返せば別に不思議でもなんでもないことだ。
出会った時から薬を使っていた彼女にとっては、別にこのくらいことは涼しい顔でやるだろうよ。
「お前は最初から負けていたんだよ。あたしの制服の内側に仕込んであった薬物の香が、お前のパンチを避けるたびにリングを包んだ。こいつは肺に深く吸っちまうと体が痺れちまうんだ。何度もパンチを空振りしたお前はスタミナが無くなるに連れて呼吸も荒くなる。するとどうだ、意図せずに深く吸っちまったようだなあ! はっはー!」
「おの……れ……」
そう一言もらすと、鹿馬さんはノックダウンした。
カンカンカン!
試合終了のゴングが鳴る、勝利を強引にもぎ取った悪魔は不敵に笑っていた。
いやいやあなた反則で犯罪ですよ?
……とは言えない、そんなことを言った瞬間、僕もあの鹿馬さんのように冷たいリングに沈むことになるだろう。
「さあ約束だぞ馬鹿セナ。お前は今日から殺道部だ!」
「お、鬼だ……」
先輩が鹿馬さんの顔面に何か香水のようなものを吹きかけると、彼女の身体が再び動き出した。
「これは……!」
「解毒薬みたいなもんだ。お前は今日からファミリーだ。しっかり働いてもらうぞ」
「くっ……情けは無用ですわ。いつか見てなさい茶々あなたを──」
「あーあー、いちいちうるせえなあ。勝ちは勝ち、負けは負けだろ」
「……悔しいがその通りですわ。潔く負けを認めましょう」
試合の内容には目を背けるとして、そこには確かに二人の女の意地と誇り、そして友情のようなものが芽生えていた。
ギャラリーはその光景に拍手をし、熱き戦いを称えているのだ。
そう、僕以外のみんながこの試合を称賛しているのだ……!
「えっ? これで終わり? 茶道部は? 僕の華やかな学校生活は?」
頭が混乱する、どうやら事はそう単純には運ばないらしい。
「鹿馬さん! その、大丈夫ですか……?」
「ふふ……リキュー、今日からわたくしはあなたと同じ。同胞となったからにはもっとフランクでよくってよ。わたくしのことはセナと呼びなさいな」
違うんだよ、僕が言いたいのはここで諦めずに茶道部を取り戻してもらいたいんだよ。あなたが負けたら誰がやるんすか、僕?
無理無理、二秒で殺される。
「リキュー。そいつは年齢は上だが学年はお前と一緒だ。仲良くしてやれ」
「年齢が上……? それって──」
「馬鹿セナはダブってるんだよ」
この人ダブってんのか……。
「茶々! 間違ってますわ! わたくしはトリプ(・・・)って(・・)いますのよ! おーほほ!」
なんで自信満々で言うんだよ……しかし、冷静に考えてみればここに居るのは常人には考えられないほどの問題児が集まっているのだ。
そう思えばダブりなどかわいいもんだが、セナさんのようなまだ教養のありそうな人がここにいるのも不思議だ。
トリプると強制的にここに落とされるのか?
それともやっぱりこの人も血が冷めるような極悪人なのかもしれない。
「セナさんのことが気になっているようだな、少年」
「テ、テリーヤン!」
またも横から突然と現れるこの男は、僕の心を見透かしたように言ってきた。
「彼女、鹿馬セナは別にそんなに裕福じゃない家庭に生まれ育ったなんちゃってお嬢様だ」
「なんちゃってなのか」
「生まれつき怪力の能力を持って育った彼女は、脳ミソさえも筋力で支配された悲しきモンスター。小学生にも負けるその頭の弱さ、馬鹿っぷりはもはや救いようがない。そのあまりの勉強のできなさ故にここにいるのだ」
この人めちゃくちゃディスりますやん。
「で、でも悪いことはしてないんだよな? なら他の連中よりはまともじゃないか」
「……彼女はとんでもない悪さをしている」
テリーヤンはそう言うと冷や汗を流した。信じられないがセナさんもまた、危ない人なのか……?
「──いったいどんな悪事を?」
僕は固唾をのんで聞いてみる。
そして彼は、眼を見開いて言うのだ。
「インサイダー取引だ……!」
「それはやばい」
なんか予想外の社会派な悪事だった。
……いやまてまて、インサイダー取引ってあれだよな?
たしか会社員が情報の漏洩から株取引をして利益を出させるあれだよな?
高校生には関係ないことなのでは?
僕は頭をかしげると、テリーヤンは続けて言った。
「彼女は──駄菓子屋でインサイダー取引したんだ!」
あっ、これツッコミが無粋なやつだな?
さてはこいつも頭わりーな?
これ以上聞くと僕の脳も破壊されそうなので『ふーん』と一言だけ言った。




