風見鶏
「毒の出処?」
ハルはライ麦パンにチーズとスモークサーモンを乗せながら目を瞬かせた。
休日のオープンテラスは気温が低いからかあまり生徒が集まることは無い。秘密の話をするのにはうってつけの場所だった。
ユイは湯気を立てるコーヒーを持ち上げる。黒い水面に自分の顔がゆらゆら揺れている。食欲がないのでユイの食事はこれだけだ。
「カミラ先生に渡されたレンの日記をよんだの、でもそれらしい記述はなかった」
「ふーん、カミラがねぇ」
あまり興味なさげにハルはパンにかじりついた。
レンの日記には学園に来る前からの日常が書かれていた。懺悔が綴られたページを読み進めると学園に入学した辺りから徐々に明るくなり、友達と街に買い物に行ったり、課題を忘れて奉仕活動を命じられたり、そんな些細なことばかりかきつらねてあった。
……そのなかにはもちろん、ユイと出会ったあの日のことも書いてあった。
そして最後のページには……
ユイにはやはりレンが自殺するなんて思えなかった。
考え込んで押し黙ったユイのことを見て、ハルがこともなげに言った。
「そんなの、君の身近にある場所があるじゃないか」
呆気にとられたユイは顔を上げてハルの次の言葉を待った。ハルはパンを皿に置いて、身を乗り出した。
「医務室だよ、ドロシーはレンとも親交が深い人間だ、コーヒーの中にでも混ぜれば間違って飲んでもおかしくない」
「……ドロシー先生はそんな事しないよ」
「わからないよ?人間は嘘をつく生き物だからね」
いたずらにそう言って、ハルは背もたれに体重をかけた。納得のいかないと言った表情のユイを興味深げに紫の瞳で眺めて、頭の後ろで手を組んで笑った。
「じゃあ僕とデートでもしてみる?」
「は?」
胡乱に見やったユイの瞳をみて、ハルはさらに面白そうに笑みを深めた。
情報が集まる場所にツテがあるというハルの言葉を信じてカミラに外出届を出すと、「あなたにはなにか気晴らしが必要よ」と快諾して送り出してくれた。
バスに乗って小高い丘をおりていき、麓の街にたどり着くと、相変わらず活気のある港町がユイたちを出迎えた。休日だからか制服姿の生徒の姿も幾度となく見かけた。
ハルが見るからにはしゃいで、往来を言ったりきたりするのを、ユイは冷めた気持ちで見守っていた。こんなことをしている場合では無い、ユイはレンがどうやって死んだのか、早くつきとめたい気持ちでいっぱいだった。
やがてハルは一件のアンティークショップに足を踏み入れた。習って足を踏み入れたそこはどちらかと言うと女性向けのピンクを基調とした豪奢な店だった。
「これ、君に似合うんじゃない?」
そう言って髪にあてがわれたのは、花の形に形どった銀細工にパールがふんだんに使われた、瀟洒な髪飾りだった。
「……こんな綺麗なもの、似合わないと思うけどな」
「まあまあ」
言うが早いか、ハルとっとと会計を済ませ、そのまま店の外に出てしまった。一応居心地は悪かったのかもしれない。
同じく店を出たユイたちは、横に並びながら人でごったがえす道を歩いた。
「今度創立記念のダンスパーティがあるでしょ?君に誘われたいと思って」
「…悪いけど、私は出るつもりないよ」
「そんな冷たいこと言わないでよ、勇気を出して言ったのに。それに……」
紫の瞳が悪戯っぽく光った。そっとユイの耳元に唇をよせ囁く。
「…役ありのお近付きにもなれるかもしれないよ」
もし毒を生成出来る役ありがいるとしたら、レンの死因に1歩近づけるかもしれない。
再び考え込むユイを、ハルは楽しげに微笑んで見下ろしていた。
ここだよ。
と着いたのは空いているかも分からない酒屋だった。ペンキで真っ黒に塗られた壁に、今は付いていないネオンライトで「weathercock」と書かれている。
明らかに学生が立ち入っていい雰囲気ではないが、ハルは躊躇いもなくドアを開けた。
店内は薄暗く、唯一スモークガラスが貼られたドアから日が差し込んでいる。
ドアベルの音が聞こえたのか、奥から長い茶髪を一つにまとめた男が現れた。
「らっしゃい、って学園の子か」
「はじめまして、僕はハル、こっちはユイ」
「うちは学生さんが来る店じゃないんだけど」
言いながら男は手をヒラヒラさせて帰れ、とジェスチャーした。
「まあそう言わないでよウェールズ」
にこやかなハルの言葉にウェールズの顔から表情が抜け落ちた。緑の瞳が値踏みするようにジロジロハルを見つめる。
「……君とはどこかであったことあったかな?」
「いいや、はじめまして、だよ」
それ以上口を割らないことがわかったのか、男はため息をついて椅子に座りこんだ。
「酒じゃなくて情報を買いに来たのね、じゃあ何を一体調べて欲しいのかな?」
ユイは1歩前に出て、ウェールズの目を見つめた。
「レンという生徒のこの街での足取りを調べて欲しいの。どの店に寄ってどんな買い物をしたか」
途端に興味なさげな顔になった男は、髪の枝毛を整えるOLのように髪をいじり出した。
「それで、見返りは?」
ユイは言葉に窮した。見返り?全財産で足りればいいが……
そう思案している最中、ウェールズはにやりといたぶることを楽しむ猫のように目を細めた。
「うちじゃ情報が商品だ、まさか払えないってことは無いよね?」
「わ、私に払えるのであれば払う」
「じゃあ、君の自身がお代ってことでどうかな」
え、と訝しむユイを他所にウェールズは身を乗り出して結をジロジロ眺めた。
「時に君、血液型は?過去に大きな病気をしたことは?」
「ないけど……」
「素晴らしい!きっと君の心臓は高く売れるだろうね。他の臓器も余すことなく使えるだろう」
唄うように言葉を連ねるウェールズに、ユイは日記帳の最後のページを思い出していた。最後のページに走り書きでこう書いてあったのだ、『生きたい』と。
「……それでいい、私の全てを持って行っていいからレンの死に関する情報を頂戴」
「はははっ威勢のいいお嬢さんだことで、いいよ、別の条件にしよう」
男はひとしきり笑ったあとで、楽しげに口角を歪めた。
「今度創立記念のダンスパーティがあるんだって?それにうちの店からドリンクを卸させてくれたらそれでいいよ」
店を出ると、もう夕方になっていた。
気疲れしたユイはぐったりとバスの座席にもたれかかった。緩やかに走行するバスの中で、ハルはぱしゃりとそんなユイを写真に収めた。
「ちょっと、今撮らないでよ」
「いいじゃん他に乗客もいないんだし」
ハルはいつも胸にカメラをぶら下げている。
デート記念!とふざけている彼の首からカメラを抜き取り、ユイはハルの肩に身を寄せた。
ーーパシャッ
シャッターが切られる。
ハルの顔を見ると呆気にとられたような、珍しい顔をしていた。してやったりとユイは思わず笑った。
「デート記念なら二人で取らなきゃ意味ないじゃない」
夕日が差し込むバスの中、ハルの横顔が赤く照らされていた。




