空の棺
曇り空から僅かに差した日差しが、はめ殺しの窓から差し込んで、ユイは目を覚ました。静かな空間に、彼女のいた形跡はない。カミラが昨日全て片付けて親元に送る手筈となっているようだ。
「おはよう、レン」
がらんどうの部屋に、帰ってくる言葉はなかった。
今日はレンの葬儀の日だった。
とてもじゃないか食事をとる気分ではなかったが、昨日ドロシーに睨まれたことを思い出しユイはしぶしぶ食堂へ向かった。
『罪あるものにしか芽生えない力がある』
ハルが教えてくれたことを整理すると、ここの生徒はみな大小あれど罪を背負っていることになる。ユイも、そしてレンも。
レンの罪とは何だったのか、考えても明るく笑う彼女の顔しか思い出せずに胸が締め付けられるようだった。彼女は何を隠していたのか、想像もできない。
もう一つ気になることがあった。毒の出処だ。
一般的に猛毒ですといった名前の毒は出回っていないだろう。彼女はどこでその知識を得て、実行したのか。そもそも本当に他殺じゃないのか?
考えれば考えるほどまとまらない。
もっとレンのことを考えなくては、彼女が考えていたことを知らないと……ーー
「やあ、おはよう、食堂の門番にでもなったのかな?」
ぽん、と肩を叩いてきたのはハルだった。後ろを振り返れば数名の生徒が入口に立ち止まっていたユイを怪訝そうな顔で見つめていた。
「いきなり声をかけて悪いね、思い詰めた様子だったから」
「いや、ありがとう。声をかけてくれて」
あの後慌てて食堂に入って適当にトレイに食事を乗せたユイは、ハルと一緒にテーブルに着いていた。
慌てていたせいでユイの前にはミネストローネとコーンスープがほかほかと並んで鎮座している。
ハルは硬いパンをちぎりながら笑いかけた。
「はじめまして、だよね。僕はハル、よろしくね」
「え?昨日もあったじゃない。そんなに影が薄いことを気にしてるの?」
ハルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。しばしの沈黙の後、彼は取り繕うようにして笑った。
「へへ、実はそうなんだ。忘れられてないか試したくて」
「わすれないよ、昨日のことだし」
ユイも硬いパンをちぎって口に入れる。
それからミネストローネを口に含むと、生地がふやけて、舌の上でとろける。一日おきの食事がやけに染みた。こんな時なのに、身体は生きたがっていてやるせない気持ちになる。レンはもういないのに。
ハルはそうだよね、と口篭りながら目を伏せていたが、やがていたずらっぽく目を細めた。
「でも知らなかったなぁ、君が役有りだって」
「え?」
「僕みたいな役なしをからかってたの?」
「いや、私は役なしってドロシー先生に言われたよ、それよりいきなりどうしたの?」
ハルの芝居がかった身振りに驚いていると、彼は面白そうに眉間をつついた。
「やっと眉間のシワが取れたね、あのままだったらドロシーみたいに厳つい顔になっちゃうところだった」
彼なりの励ましだったのだろうか。つつかれた眉間をさすりながら、少しだけ肩から力が抜けた。
レンの葬儀は曇天の空の下行われた。
学園の中にある小さな教会は校舎によく似た雰囲気で立てられており、ステンドグラスは曇り空にもよく映えた。180人近い全校生徒は教会には入り切らないため、会場にはレンと交友のある生徒ばかり集まっているようだった。その中にはアミティの姿もあった。少し嫌な気分になる。
式が始まり、神父に変わりシスターのカミラが祈りを唱えた。香炉の煙が白く立ち上り、すすり泣く声が厳かな式に哀悼を添えていた。
「主よ、永遠の安息を彼女に与えたまえ。光のうちに彼女を憩わせ給え」
聖水が棺の上に静かにふりかけられる。
泣けないユイの代わりに滴り落ちる涙のようだった。
献花の順番がまわり、ユイの番が訪れた。
ヒソヒソと囁き声がさざ波のように静かな教会内にひろがっていった。
アミティの書いた記事は掲示板に大きく張り出されているのを昨日確認していた。見出しは『役なし殺人事件!犯人は同室の役なし』、酷いタイトルに呆れてものも言えなかったが、信じている者も多いのかもしれない。
ユイは白い薔薇を献花台に置いて、黙祷した。何も考えないようにしながら。
降り出した雨に慌てて学園へもどる生徒もいる中、レンは埋葬された。家族の希望で、遺体はエンバーミングされて実家に送り出すことになったらしい。
結局、あの朝から一度もレンの顔を見ていなかった。
墓石は学園の端の雑木林の近くに建てられた。
男子生徒たちが運んできた空の棺に、カミラが静かに聖水をふりかけた。
「塵は塵に、土は土に、灰は灰に」
ショベルカーでほった墓穴に、滑車を使ってゆっくりとレンは暗闇へ沈んで行った。
生徒が一人一人十字を切り、土を被せていく。
その中にフレムの姿もあった。彼女は優しく微笑みながらそっと一握の土を被せた。
ユイにはできなかった。寂しさに泣きわめくことも、門出に微笑むことも何も出来ないままユイは無感情にそっと土をかぶせた。
教会の鐘の音がなっている。
今生の別れだと言うのにとうとう涙は出なかった。
大切な人たちはいつも、ユイの手をすり抜けて遠くへ行ってしまう。
土が被せられ、レンの姿が見えなくなっていく。
「おい」
顔を上げると銀髪の青年が立っていた。
青年は冬の青空を思わせる瞳を冷ややかに光らせながらおもむろにブレザーを脱いだ。
「被ってろ」
そう言ってどこかへ歩いていく青年の姿を見送って、ユイは初めて瞳から一粒涙がこぼれた。
暗いブレザーの中は暖かく、レンがそばに居るようなそんな心地がした。
「ユイ」
振り返るとカミラが一冊の本を持って、歩み寄ってきた。
「これは、あなたが持っておくべきものだと思うわ」
差し出された本を手に取る。数ページ開いてみるとレンの日記帳のようだった。
「これは、でもいいんですか?ご両親に返した方が」
「いいのよ。あの子に両親はもういないの」
「え……?」
ユイは愕然とした。
「あの子の両親は不慮の事故で亡くなっているのよ。それから母方の祖父母に引き取られて生活していたって聞いたわ」
「……そうなんだ。でも何故この学園に?」
「あの子は祖父母に煙たがられてたみたいでね、自分のせいで両親が亡くなったって思い詰めていたみたい」
カミラはそこまで語って口元を押さえた。
ユイは無意識のうちに日記帳を抱きしめていた。レンの心がそこにあるかのような、そんな感覚がした。
「あなたもなにか吐き出したいことがあったら教会に来なさい、懺悔室で私はいつでもあなたたちを待っているわ」
ユイの頭をそっと撫でて、カミラは踵を返した。
手元の本をもう強く抱き締めながら、ユイは自室へと戻った。




