間引く
「……自殺?」
「だろうな、服毒自殺だよ」
ドロシーは投げやりに言ってカップに口をつけた。いつ洗われたのか分からない程度に薄汚れたマグカップは風味が出るという本人の希望でこれからも洗われることはない。
「毒で死んだって言うんですか?じゃあ胸のナイフは」
「その前に死んでいたってのが検死官の見解だ。それにあいつには十分な動機があっただろ?」
ユイは目を瞬かせた。
そんな話は聞いていない、そういう素振りも微塵も感じていなかったからだった。
「動機……?」
「なんだ聞いてなかったのか……あいつ、間引かれる予定だったらしいぞ」
「間引く……?」
そう首を傾げたユイにドロシーは冷ややかな笑みを浮かべた。
「そんなことも知らねぇわけだ。あいつに守られてたんだなぁ」
それから紙タバコの箱から1本取り出し、おもむろに火をつける。口から吐き出される紫煙が直撃し、ユイは軽く咳をした。文字通り煙たがられていることは分かっていたがそれでも問わずには居られなかった。
「でも毒だったら他殺の可能性も」
「そうだな、その場合1番の容疑者はおまえだがな」
病人以外は帰れ、と煩わしそうにドアを閉める間際、サングラスの奥の鋭い瞳がじろりとユイをとらえた。
「飯くらいちゃんと食えよ、点滴打たれたくなかったらな」
医務室を追い出されてからのユイの頭の中は疑問符でいっぱいだった。
毒殺だって?なら胸のナイフは誰の仕業なのか。自分で他殺に見せかけようとしたのか、それとも第三者がナイフを突き刺したのか。それは一体なぜ?
そもそもレンが間引かれるとは?守られていたとは一体なんのことを言っているのか。
確かにユイはレンと二人で行動することが多かったが、彼女はユイを守るために一緒にいたのだろうか。
ふと、レンの笑顔が思い出されて足が止まった。
どうして彼女は死ななければならなかったのか。
考えることでぽっかり空いた穴を埋めたかった。
レンに無性に会いたかった。
思考が途切れたことで、ユイはジロジロと見られていることに気がついた。周囲を見れば、皆、ユイを見て何やらヒソヒソ話している。十中八九レンのことだろう。
嫌気がさして足早に去ろうとしたところで、ユイの目の前に人影が立ち塞がった。
「こんにちは〜、ちょーっとお話よろしいですかぁ?」
見たことない少年だった。くるくるした茶色の髪にそばかすが印象的だ。少年は顔には大きすぎるのではないかという眼鏡を、中指で押し上げながら不敵に笑った。
「まず自己紹介を、僕はアミティ、以後お見知り置きを」
人気のない校舎の端は雑木林と隣接していた。
アミティは木の枝を絨毯に、まるで王子のように優雅に一礼して、それからいそいそとショルダーバックから真新しいノートを取りだした。
「さて、僕の見立てだとレンさんにいちばん近かったのは、あなたですよね、ユイさん」
「……そうだと思うけど、本当のところはどうなんだろうね」
現にレンは死んでしまった。ユイに多くの秘密を残して。
暗い顔をしたユイにまるで気づかないように、アミティは大袈裟に手を広げた。
「近くにいたってことは認めるわけですね?では彼女の死因が刺殺ではなく毒殺だということは?」
「……しってるけど」
「そう知っていて当たり前だ!僕は独自の情報網からこの情報を得ましたが、あなたはなぜ知っているんです?」
「ドロシー先生から聞いたんだけど」
アミティはユイが何か言う度に、熱心にノートにかきとめていた。
なんだか嫌な予感がしてきたユイは眉根をひそめた。
「それ、なにしてるの?」
「なにって、取材ですよ!犯人にいちばん近い人物に聴取しています」
「…私がレンを殺したっていうの?」
「僕の睨みではそうです!ですから、こうして事前インタビューを……」
「ふざけないで!」
アミティが言えたのはそこまでだった。
ユイは彼の襟首を掴んで力いっぱい持ち上げた。背の低いアミティはつま先立ちになり慌てたように叫んだ。
「ぼ、僕は暴力には屈しないぞっ!一流のジャーナリストになるためには時には危険もーー」
「誰がジャーナリストだって?人を馬鹿にするのもいい加減にして!」
「僕が書いた記事を待つ読者だって沢山いるんだ!」
「……記事?」
ユイはおもむろに手を離した。
顔を真っ赤にしたアミティは力なく枯葉の上にくずれおち、息を荒くしていた。
「ねぇ、記事ってなんのこと?」
「き、記事は、」
「ユイのことを書いた記事だよね、アミティ?」
背後から声をかけられたかと思えば、ずしりとユイの肩に手が回された。ユイの背後から、彼は滑らかに畳み掛ける。
「編入生が来る度に追いかけて写真を隠し撮りしてたんだよね、それを校内新聞として独自に掲載していた、今回はちょっと度が過ぎてるみたいだけれど」
「き、きみは……」
「編入生が来るなんて珍しい事じゃないから放置されてたけど、今度は学内で死亡事件ときた。詳細な裏取りもせずに彼女を犯人に仕立て上げるのは、ジャーナリズムと言えるのかな?」
「それは…」
「それに捜査をするのは警察の、推理をするのは探偵の仕事だ。一生徒が憶測を並べ立てて大衆を先導するのはよくないと思うけど?」
ぐうの音も出無くなったアミティが完全に沈黙するのを見てから、少年はパシャリと写真を撮った。
「今度は僕も記事を書いてみようかな、見出しは『ゴシップ記者、女子生徒に返り討ち!』とかどうかなぁ」
あまりのことに呆気にとられているアミティを他所に、彼は「行こうか」とユイの方の手を取り歩き出した。
「あの……ありがとう」
危うく暴力沙汰にするところだったユイは、少し背の高い背中にそう言った。冷静さを欠いていた自分を恥ずかしく思う。
「たまたま目についたからね、にしても見かけによらず力があるんだね」
そう笑った少年は中庭についてからようやく振り返った。黒髪が日差しに茶色く透けている。
「僕はハル。君のことはよく知ってる、有名人になる前からね」
そもそも有名人になった覚えはないが、ユイは首を傾げた。中性的な童顔に紫の瞳。みたことがあれば覚えてそうなものだったが、彼を見かけた記憶が全くない。
そんなユイの疑問が顔に出ていたのか、ハルはいたずらっぽく笑った。
「覚えてないのも無理ないよ、僕って影がものすごーく薄いんだ」
「あ、どこかで会ったりしてたらごめんなさい…」
「いーや、直接話したのはこれが初めてだから安心して」
どこかに座ろうか、とハルとユイは中庭のベンチに腰掛けた。日差しは暖かいが、風はひんやりと冷たく、長居すれば風邪を引きそうだ。
しかしようやくまともに話を聞けそうな相手に出会った。このチャンスを逃したくない。
「ハルはこの学園に来てどのくらい経つの?」
「うーん、僕はそんなに長くはいないかな。でもそれなりに君の質問には答えてあげられると思うよ」
ユイの意図を見透かしたように、ハルは紫の目を細めた。手のひらの上で転がされるような気持ちになったが、それはひとまず置いておこう。
「じゃあ『間引く』って、どういう意味」
なんだそんなことも知らないのか、と言った顔でハルはユイを見た。
「カミラにおそわらなかったの?」
「うん、それにレンにも」
ふうん、としばし考え込んだハルは、やがて口を開いた。
「……間引く、とはその言葉どおりの意味だよ。役なしの生徒を定期的に親元に送り返してるんだ」
どくん、と胸が波打った。
脳裏に暗い家の廊下が蘇る。
せっかく忘れていた押しつぶされるような絶望が息を吹き返す。
……レンも同じ気持ちを味わったとしたら?
「間引かれた生徒の行方は分からない。親元に帰ったものもいれば、行方不明になった生徒もいるって聞く」
「それって役ありの生徒は?なんで役なしだけなの?」
さあ、とハルは首を傾げた。秋風がサラサラと黒髪を乱す。
「学園長の方針だからね、意図は分からない」
無能力の生徒を学園から追放していくなら、最初から異能力持ちの生徒を集めればいいはずだ。
納得できないユイはスカートを握りしめた。
「じゃあ、役なしの生徒を集める意味って、何……?」
声が震えていた。何が恐ろしいものに触れているような気持ちになった。
ハルは俯いたユイの姿を目をすがめて見つめながら言った。
「それは、罪あるものにしか芽生えない力があるからだよ」




