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役なし

「学園を案内するまえに、行かなきゃ行けないところがあるの」


神妙な顔で突然そういわれて案内されたのは医務室だった。

校舎の最西端にあるらしく、まだ外が明るいこの時間は薄暗く、不気味な雰囲気を醸し出していた。

羽目硝子付きの古めかしいドアを軋ませながら開いたレンが顔を突き入れる。


「ドロシー先生、いるー?転入生連れてきたよ」


随分仲がいいようだ。ドロシーという名前からも、温和な女性の保険医が想像された。が、帰ってきたのは予想外に低音のドスの効いた声だった。


「あ?」


のっそりと出てきたのは大柄、というには横幅が足りない男だった。荒れた唇に咥えたタバコから今にも灰が落ちそうになっている。

この虎のような男がドロシー?名前顔負けにも程がある。本当の保険医は監禁されていて、実はこの男は強盗犯だったといった話の方が現実味があった。

そんなユイの動揺を他所に、レンは「あ、」と怖いものなんてまるでないかのようにくわえタバコを指さした。


「先生またタバコ吸ってる。学園長に怒られるよ」

「うるせー俺の勝手だろうが、……そっちが転入生の、えーと」

「ユイよ!生徒の名前くらい覚えてよね!」

「俺はガキには興味ねーの」


憤慨するレンを他所に、ドロシーは面倒そうに肩をパキポキ鳴らしながらユイを見た。

丸いサングラスをかけた目元の奥の鋭い眼光に射竦められて、ユイは少し身を固くした、が、ドロシーは意にも介さないように白衣を翻すと、節くれだった人差し指だけこちらに向けて「入れ」と短くジェスチャーした。

その動作がどう見てもマフィアの幹部にしか見えなかった。大人しく従ったユイが扉を閉める直前、ドロシーがレンに向かって「聞き耳立てんなよ」とぶっきらぼうに叫んだ。「はーい」とレンのお気楽な声がする。ユイとしては全く同席してもらっても構わない気持ちだった。というかむしろしていただきたい心持ちだ。


「で、この学園について、どこまで聞いてんだ、お前」

「どこまで、とは……」


座れ、と促された丸椅子に小さなボストンバックを抱え込んでユイは恐る恐る座った。対面の背もたれ付きの椅子をきしませながら無造作に腰を下ろしたドロシーは、蛇に睨まれた蛙のように表情硬直しているユイを見て、咥えていたタバコをぐりぐりと灰皿に押付けながら、はぁー、とため息をついた。


「アイツ、なんにも説明してねぇな……?」

「お、美味しい食事屋さんなら聞いてますが…」

「バカかお前」

「あいた!」


とぼけた返事をしすぎたのか結構な威力のデコピンを食らってしまった。しかし本当にほかに聞いていることはない。

額を押えて痛みをこらえるユイに、いいか、とドロシーは人差し指を立てて見せた。


「この学園には2種類の生徒がいる。薄気味わりぃ力を持ってるやつか、そうじゃない人間だ」

「力……?」


力とは一体なんのことだろうか。筋力なら普通にある方だ。

思わず眉をひそめたユイをドロシーは濃いサングラスの向こう側で目を眇めて見ていた。


「お前、最近身の回りで変なことが起きなかったか。それか、自分自身が変じゃねえか」

「いえ、全く……あ、でも変な手紙が届いて」


ユイは着ていたパーカーのポケットを探って例の手紙を差し出した。


「これが編入許可書と一緒に届いたんです」

「『あなたの罪を知っています』、ねぇ?お前こんなもん届いてよくうちに来たな」


呆れたような口調に、ユイは苦笑いでお茶を濁した。他に行くあてがなかったので、とは初対面の相手にはいいづらい。


「これはあのクズの悪趣味なイタズラだから気にすんな。ただ……」


罪、ね。

唇だけでそう呟いたドロシーはうんざりしたようにため息をついてから立ち上がった。


「自覚症状もないし、お前は役なしだろうが、一応血、取っとくぞ」

「血液検査で何かわかるんですか?」

「わかんねぇよ、お前の健康状態調べるだけだ」


ユイに背中をむけて戸棚を漁っていたドロシーは、不意にニヤリと振り返った。


「時にお前、痛いのはすきか?」


薄暗い室内で、サングラスをかけた白衣の男が包装された注射器を持って不気味に笑っている。それだけでマッドサイエンティストの称号を送れそうだった。


「い、いえ。痛いのはちょっとーー」

「俺は注射が大好きでね、もちろんする側でだが」


本能が逃げろと伝えている。ユイは少しずつ腰を浮かせて横目で出口までを目算した。3m近くあるが走れば逃げられる。

そんな目論見などお見通しのように、今までにない素早さでドロシーはユイの肩を掴んで椅子に押付けた。荒れ放題の唇が吊り上がる。ただの採血とは思えない雰囲気に、ひっと喉が引きつった。


「特に子供にするのが大好きなんだよ。怯えたその面とかがな」



「酷い目に……あった、のか?」

「ごめんねー、ドロシー先生、人を怖がらせるのが好きで」


医務室からでてきた顔面蒼白でバッグを握りしめて震えているユイを見て全てを察したのか、レンは次に案内する場所をカフェテリアにしてくれた。

中庭の一角にあるそこは大きな木が植えられていて、そよ風が心地がいい。

おごりよ、と言ってくれたココアにはマシュマロがとろけていて、肌寒い季節には嬉しいチョイスだった。ドロシーよりもレンの方が100倍教師に向いている、と思いながら温かなココアに口をつける。


「全く、毎回新入生をこわがらせているし、どうにかならないかしらね」


頬を膨らませながら紅茶のカップを持ち上げるレンを見て、でも、とユイは貼られた保護パッドに目を向けた。

散々怖がらせておいて採血自体はスムーズかつ痛みもなく終わった。採血するのは保険医の管轄ではないだろう。看護師か医者の経験がある人間なのかもしれない。

そんな人物がなぜこの学園に、しかも向いてなさそうな保健医に……と思考していると、レンがぐい、と身を寄せてきた。


「それよりも、なんて言われたの?」

「え?何が?」

「もう、とぼけないでよ。役ありとか役なしとか言われなかった?」


まるで恋の話をするかのようにコソコソと声を潜めるので、ユイもならって「役なしだと思うって言われたよ」とヒソヒソ答えた。

ぱあっとレンの表情が明るくなる。


「わたしも!私も一緒なの!」

「そうなんだ、役ありとかなしとかってどういう意味?」


がくっとレンの肩が傾く。頭が痛むかのようにこめかみを押えて、彼女はテーブルにひじを付いた。


「そんなことも説明されなかったのね…」

「そんなことも説明されてないです」


この学園にはなにやら説明しなければならないことが沢山あるようだ。お互いに呆れあっているところを見ると、ドロシーとレンは仲の良さというかウマが合うのだろうな、となんともなしに思った。

項垂れたレンをココアを飲みながら眺めていると、しばらく後にガバッと顔を上げ何やら使命感に満ちた眼差しでユイの方へ向いた。


「いいわ、簡単に説明するけどまず、この学園には普通とは違う生徒がいるって話は聞いた?」

「うん、力?がある生徒がいるって話なら」

「そう、その力は神秘的なもので例えて言うなら火を自在に操ることが出来たり、オオカミに姿を変えることが出来たり、そういうものなの」

「……本当に言ってる?」

「本当だってば!」


胡乱げな目のユイにレンは真剣な顔で迫った。


「とにかく、人智を超えた能力がある人たちがいるの、その人たちが役あり。逆に私たちみたいな無能力者は役なしって呼ばれてるわ」


そうなんだ、とは納得できなかった。なにせ、人智を超えた力など見た事がない。


「まあ、そのうち見ることが出来ると思うわ。それに……」


知らない方がいいことだってあるしね。

ぽつりとそう言って、レンはカップに瞳を落とした。物憂げな表情を、ユイは不思議に思いながらココアを啜った。



校内を一通り案内されて、最後にたどり着いたのは女子寮だった。校舎と誂えたように、古めかしくも厳かな雰囲気の寮は中はリフォームしたのか思っていたより古くはなかった。タイルの敷きつめられたろうかは格子付きの窓から差し込んだ夕日に照らされて赤く染っている。


「レン、遅かったわね、おかえりなさい」

「カミラ先生!ただいま!」


シスター姿の女の姿を認めて、レンははしゃいで駆け寄った。ユイも倣って近づき、頭を下げる。


「こんにちは、ユイです、これからお世話になります」

「はじめまして、寮監のカミラよ。教会でシスターをしているわ。悩み事があるなら何でもいってね」


これまで人に感じたことの無い雰囲気だった。どこか懐かしいようなカミラの声は、ユイの何もかもを見透かしているかのように響いた。


「ここで暮らすのはみんな家族よ、役なしも役ありも関係ない、仲良く助け合ってやっていきましょう」

「…はい」


家族として。その言葉がユイにのしかかる。

やって行けるだろうか、この学園で。レンの言葉を信じるなら、普通の生徒以外にも不可思議な力を持つ存在がいるということだ。

しかしもうあの家に帰るのは、ユイの心が拒否していた。あの家にはもうユイの居場所はない。家族には、ユイはなれなかったのだ。

ここにしがみつくしかないんだと、拳をにぎりしめると、レンがその手を取って優しく包んだ。


「大丈夫だよ、最初は不安でもわたしがいるじゃない!」


レンの言葉に呆気にとられているユイを見て、カミラは鈴を転がすように笑った。


「ふふ、仲のいいことは良い事ね、2人はルームメイトだからなおさらだわ」


カミラの言葉に驚いてレンを見ると、彼女はにっこりしながら「よろしくね」と笑った。


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