帰り道
その日の練習が終わったころには、空は群青からオレンジへと変わりつつあった。校庭に灯る外灯が、ぽつりぽつりと光を放ち始めている。
片付けを終え、部室から出ると、美咲がグラウンド脇のベンチで靴紐を結び直していた。ジャージの裾から覗く、彼女の白い足首が目に留まる。
「まだ残ってたのか」
声をかけると、彼女はぱっと顔を上げた。夕暮れの光をその瞳に宿らせて、少しはにかむように微笑む。
「はい。靴紐がちょっと緩んじゃって……。なんか、練習のたびに調整しないと、落ち着かなくて」
そう言って、彼女はもう一度ぎゅっと紐を引っ張った。他の部員たちはすでに帰ってしまったのか、校庭には僕たち二人しかいない。静寂に包まれた空間に、僕の心臓が不自然に跳ねるのを感じた。
「じゃあ、一緒に帰るか」
気づけば、そんな言葉が口をついていた。彼女が少し驚いた顔をした後、「はい!」と嬉しそうに頷く。その返事が、胸の奥をくすぐる。
住宅街へ続く道を、二人で並んで歩く。夕方の風が汗ばんだ体に心地よく、沈黙さえも悪くなかった。僕が少し前に出ると、彼女はつられて歩幅を広げる。その様子がなんだか面白くて、つい笑ってしまった。
「先輩、なに笑ってるんですか?」
「いや、なんでもない。……なんか、不思議な感じがして」
「不思議?」
「こんな風に、後輩と話しながら帰るなんてこと、今までなかったから」
そう言うと、美咲は少し考えてから、不意に口を開いた。
「先輩は……どうして陸上を続けてるんですか?」
僕は少し考えてから、空を見上げる。満月のような三日月が、細く輝いていた。
「理由か……。速くなりたいって気持ちと、走ってると余計なこと考えなくて済むから、かな」
「余計なこと、ですか?」
「ああ。勉強とか、将来のこととか。そういう、どうでもいい悩み。走ってるときだけは、ただ前に進むことだけ考えられる」
自分でも驚くほど素直に言葉が出ていた。誰かにこんな話をするなんて、考えたこともなかったのに。美咲は黙って僕の話を聞き、深くうなずきながら、ふっと笑う。
「わかります。私も似てます。走ってるときだけ、自分がちょっと強くなれた気がするんです。周りのことなんかどうでもよくなって、ただ自分と、目の前のトラックだけになれる」
横顔に当たる街灯の光が、彼女の笑顔を妙に鮮やかに照らしていた。僕の知らない美咲の内側を垣間見たような気がして、胸の奥がまた熱くなる。
――後輩だから、なんて単純な理由で片づけられる感情ではない。彼女のひたむきな姿も、はにかんだ笑顔も、そして今、僕と同じ空を見上げている横顔も、そのすべてが、僕の中で少しずつ形を持ち始めている。




