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キャリアウーマンに異世界スローライフは似合わない!  作者: 日高 章
一章 ウエストツリートップストアへようこそ!
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第9話 グリーンヴェール・ディフューザー



 一つ唾を飲み込みながらわたしは包みを開く。テーブルの上にそっと小瓶を置いた。ガラス細工にも魔晶石の加工で廃棄される余りを散りばめた、モダンなデザインだ。意図的にこうしたわけではなく、ガラスの内側に魔晶石の破片を砕いたものを練り込むと万華鏡のように光を反射している造りになった。しかしデザイン性だけではない。この魔晶石こそが真骨頂だ。そして中にはオイルが入っていて、スティックがそれを吸収している。周囲にはラベンダーに似た香りが広がって、飲食店で開くものではなかったかもしれないと思った。とにかくわたしは驚いているサイの表情を見つめたのち、ビンを彼のほうに少し寄せて言葉をつむいだ。


「ビンの蓋を開けて、このフレグランスオイルの中にスティックを差して使います。スティックが中のオイルを吸い込むまで時間がかかるので、今回はオイルを吸収したものを持ってきました」

「いい香りですね」

「ええ。でももちろん香りだけではないです。これは魔草とハーブの香りをブレンドした香りですが、」

「魔草ですか?」


 サイがわたしに聞いてきた。何度か瞬きしてみせるサイに、わたしはゆっくりと説明を続ける。


「そうです。それにオイルとビンそのものに魔晶石を砕いて使っていますので、大気中、地中のマナを使って魔晶石がそれを取り込みます。そして中の魔晶石はすでに魔物の体質が嫌がる調律を済ませてあるので、あとは微弱な魔力とオイルの交換さえあれば半永久的に使えるんです」


 わたしは言って、少しばかりこのディフューザーを見つめる。スティックの部分は多孔質素材たこうしつそざいと呼ばれる中にいくつもの穴を持つ素材でなければ意味がない。スポンジがいい例だろう。それに近い木材を探すことが一番大変だった。


 わたしはひとまずバッグの中から一枚の紙を持ちだして、サイに差しだした。


「魔物討伐ギルドの報告書です。野営と戦闘時に配置したところ、魔物の動きが鈍ったり、逃げて行ったり、そもそも近接戦を避けるような動きがみえたということです。データもしっかり取ってはあります」

「アンケートまで取ったんですか?」


 サイの表情がいつまでも驚きで満ちていることにわたしは内心ホッとする。


「リアルな声はわたしはこういった方法でしかわかりませんから、無料で配る代わりに回答をお願いしたんですよ」

「この短期間でここまで。すごい、すごいですよ! お二人ともありがとうございます!」


 この世界にはすでに魔道具は実現している。それを応用してさまざまな商品を作ることは不可能ではない技術レベルがこの世界にはある。わたしたちはあくまでそれを利用しただけに過ぎない。しかしサイの素直な輝いた目を見ると、わたしはやはりやりがいと嬉しさが胸の内側でひろがって、じわりと心に沁みた。


「俺はなにもしちゃいないけどな。この人ここ二週間ずっと机がベッドになってたからな」


 ルイスがつけ足すように言って、わたしは口元をほころばせて彼を横目で見た。そうは言っても、ルイスは案外協力的で見えない手伝いや魔法についての話を聞かせてくれた。


 わたしはサイに再び視線を戻し、こう続ける。


「ひとまず、大量生産は今は実現できていませんから、考える余地はあります」

「でも、これが世界中に配置できれば魔物被害は激減するでしょう。僕は地図を作って旅を続けていますが、これは歴史的な発明かもしれません」


 たしかに国の魔晶石を魔物の生態系の魔力と反発するように調律はしていたが、その範囲を超えると効果が損なわれてしまう。これがあるだけで、どこでも魔物を遠ざけることができる。わたしは小さく二、三度うなずいて続けた。


「今回の開発のポイントは、砕いた魔晶石の調律と、周囲の魔力で補っているところです。無属性という魔法がありますよね。それは五属性にとりわけ高い調和能力を持っていて」

「ありがとうございます。本当に、本当に」


 サイは目をうるませて、下唇を噛んだのち腰のバッグから袋を取りだした。


「約束の報酬です。金貨五十枚と、銀貨二十枚、受け取ってください」

「報酬は半分で結構ですよ」


 わたしはキッパリと言って続けた。


「エルンスト国王陛下と協議して、国を挙げて開発に協力いただいたので、これから商品の普及に向けて計画を進めるつもりです。できればサイさんにはこのグリーンヴェールディフューザーをいくつかお渡ししますので、各地で広めてもらえますか? たとえば行商人にこの話をしてくださるだけで、この国への貿易も可能性が広がることでしょうから」


 ぽかん、とサイは目を丸くしている。


「それが一番の報酬です」


 わたしはそう言って笑顔を浮かべる。サイは深く頭を垂れて顔を上げた。


「わかりました。大戦後の魔物被害の影響は深刻化している。僕にできることならなんでも」


 サイの視線にはなにか隠された覚悟のようなものが感じられた。わたしはその正体がわからないのだが、なにか事情があっての依頼だったのだろう。サイは窓の外を見つめ、遠くに視線をまっすぐに向ける。おもむろにこう切り出した。


「僕は見た目の通り、出身は南のイリオス地方です。北と南は魔物の動きが活発で、この手の商品を買い付けるために来る人はいると思います」


 そう言ってサイは視線を戻すのだが、視線が落ちたままだった。


「僕の村は、大戦で失った魔晶石の影響で壊滅的な被害に遭いました。だから」


 彼の視線が持ち上がり、わたしを強い意志でとらえる。


「なんとしてでも、この商品を広げます。やり遂げます」

「気張りすぎんなよ」


 唐突にルイスが言葉を投げる。


「はい!」


 それでもサイは、大きな声でハッキリと返事をする。


「それじゃ、飯屋でメシ頼まないのも無礼だろ。ごちになるぞ!」

「ちょっと、ルイス!」


 ルイスの思いがけない言葉に、わたしは思わず口をとがらせた。しかしサイは両手を軽く振って、


「いいんです。僕が出します。出させてください」


 と言った。わたしは申し訳なく思ったのだが、言葉には素直に甘えることにした。ルイスとサイは歳が近いのだろう。このフランクな距離の詰め方も、接客ではいつか役立つときが来るだろう。


 それにしても。


 わたしは心が少し軽くなったような気がした。


 ルイスは山盛りの肉の炒め物と、パスタを食べている。サイはそれを見て驚きながらも頬を緩ませて、思わずわたしも笑みがこぼれた。



 ああ、きっと、きっと。


 この瞬間だ。


 この瞬間のために、わたしは仕事をしている。こういう小さな気持ちの変化が、この世界でも訪れたなら。ずっと、そう思っていた。



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