第6話 王宮からの使者
わたしたちが王都に向かった二日後、王宮魔導士の女性がやってくることが手紙で知らされた。相変わらず手紙に男性の写真を添付してくるエルンスト陛下に心の内側で槍を投げ、わたしは写真を破らずに燃やして破棄することにした。だって、もうあの文字が浮き出る魔法がかかっているってわかっているし、トラップにわざわざ付き合って気を削ぎたくない。相変わらず時おりやってくるお客さまに対応をしているわけだが、この店の売り上げはそう簡単に上昇気流に乗れないのであって。
「いらっしゃいませー」
やる気のないルイスの声がする。わたしはお会計用のカウンターから離れて接客を交代しようとした、のだが。ヒールの踵が木製の床に引っかかって姿勢が前のめりになる。とっさに地面に手を突こうとしたのだが、
「おっと、大丈夫か?」
ふわり、と風が舞ってルイスの腕に抱きとめられた。おそらく風の魔法を使ったのだろうか、ルイスに最初に提案した香水の香りがふわりと舞う。
「え、だ、だいじょうぶ。お客さま、びっくりしてるから」
「わーってるよ。そんな靴履いてるからだろ。あぶねえな」
なんとか体勢を立て直してわたしが言い返したところ、ルイスはすぐにお客さまのところへ戻っていった。女性客が少し驚いて両手を口元で押さえている姿を尻目に「まあ、似合ってるからいいけど」と言い残してルイスは接客に戻る。女性客はすっかり彼のとりこになっていて、マネキンとして正しく機能していると思う。その反面、なにやらわたしの心臓がもぞもぞと動いた。わたしは気を取り直して、門番のハミルトンに先日あいさつしそびれたことを思い出してなにか奇妙な感情を誤魔化す。遅れてルイスにも頼れる部分があるのだと思った。瞬間、仕事へ集中することでやはり見えない敵みたいな気持ちを逸らした。
カランカラン、と乾いたドアベルの音がしたのはそのときだった。
「いらっしゃいませ!」
現れたのはホワイトヘアの若い少女で、フード付きのローブを身にまとっている。恐らく格好からして魔導士だろう。わたしは魔法に関してまったく使えないので――そもそも異世界転移者はそもそも魔力を持っていないらしい――ある意味偏見だ。長いホワイトヘアにウェーブがかかった少女の姿に、すこしばかりわたしは見惚れた。
「あの。陛下から変わった道具屋があるって聞いて、それで来てみたんだけれど。でも、どうしてルイスがいるの?」
彼女の青い瞳が捉えたのはわたしの後ろで接客しているルイスだった。商品が売れて、お会計をしているところに現れたホワイトヘアの少女の言葉に、わたしは先日エルンスト陛下が言っていた王宮魔導士のことを思いだした。と、同時にルイスのことを知っているようだ。これは口を挟まざるを得ない。
「お知り合い、ですか?」
「知ってるもなにも、幼馴染だから。一応」
思わぬ単語にわたしは瞬きをした。
それからすぐに、その少女はこう言った。
「あの。私、こう見えて王宮魔導士なんです。先日陛下より命令を受けた、カタリーナ・ベルベットと申します。以後カタリナとお呼びください」
わたしはカタリナの言葉に軽く会釈をして、
「ミナミです。ヤスダミナミと申します。以後、ミナミとお呼びください」
と、返すのだが、すっかりルイスのとりこになった女性客をお見送りする際のルイスの様子に、少しばかり困惑した。なにせ、カタリナと一度も目を合わせることもしていない。
女性客を見送ったルイスはカウンターで物の補充をしようと早足で戻っていった。カタリナはルイスをまじまじと見つめている。話題を逸らそうにも逸らせない。わたしは迷った挙句、ルイスに問いかけるしかなかった。
「お知り合い、みたいだけど?」
わたしの慎重な声かけに、ルイスは子供がしかられた後みたいに目を逸らしてこう答える。
「俺は知らないよ、こんな人」
彼の様子がいつもと違って、気まずそうにみけんにしわを寄せていた。
ひとまず、わたしはカタリナにソファに座るようにうながした。それから紅茶の準備をして、ティーポットとカップをトレーに乗せて運ぶ。店頭の商品の整理をしているルイスと、それを横目で冷ややかに見つめているカタリナ。なんとも気まずい空気が天井から降り注いでいた。今日は晴れだが、店の中だけが曇りがかっている、そんな感じがした。
「お待たせいたしました。今日は遠方からお越しいただきありがとうございます」
「いいのよ。ちょうどお仕事がひと段落して時間ができたから、すぐに来てみたの」
カタリナは軽い口調でそういって、わたしはテーブルの横でしゃがみこみながらカップを置いた。トレーをテーブルの下に隠し、ソファに座る。
紅茶をカップに注ぐ間もカタリナの視線はルイスを見つめており、ルイスは知らないフリをしている。
なんだ、この状況。とても気まずい、とわたしは思う。
ひとまず「どうぞ、お飲みください」と言って、わたしも対面のソファに腰かけた。カタリナは「いただきます」と言って、華奢な指でカップを両手で持って、そっと口に含む。
「え、この紅茶おいしいです。初めての香り」
とカタリナが驚いている。ようやく話題がルイスから逸れそうだ。
「この紅茶、バッファの葉から抽出してるんですよ」
「ウソ。そこらへんに生えているバッファで?」
「そうです。普通に茶葉を作ると渋みが出すぎるので三回ほどあく抜きして、摘み取った茶葉を乾燥させて、それから発酵乾燥の過程でハーブ系の薬草で燻すんです。それでこの味に。商談のときなどにお出しするために作ってもらっているんですよ」
バッファというのは、野草でありどこにでも生息している植物だ。雑草の一種だろう。あくが強く、食用としてはあまり使われていないが、独特の香りが強い。それを逆手にとって、わたしは商品化できないかを考えた。それがバッファ紅茶だ。
「そうなんだ。私一口目はかならず砂糖を入れずに飲むのだけど、使っていい?」
「ええ、どうぞ」
わたしが砂糖の入ったビンをカタリナに寄せると、砂場の山みたいに砂糖を入れ始めた。「なに驚いてるの?」とわたしのほうを見て目を瞬かせている。よほど口に合わなかったか、カタリナが異常なほどの甘党なのか、見当がつかなくなる。
「紅茶に砂糖を入れなきゃ損よ。だって甘いほうがいいじゃない」
どうやら後者のようだった。すこしホッとしながらわたしは砂糖を控えめに入れて、スプーンでかき混ぜる。
「それで、わたしに相談があるって聞いてきたんだけど」
「そうです。今回来てもらったのには少し理由がありまして」
わたしはようやく本題に入れると思い、旅人のサイの話と商品化、それから魔晶石のことを話してみた。すると、カタリナは魔法について語り始める。
「そもそも魔晶石の原理を知るためには、魔法というものがどういう原理かを知るところから必要になるわね。今は魔晶石の調律による魔力供給で補われているけれど、そもそもこの世界に生まれた瞬間から人は魔力を有して、その器の大きさでその魔力値がおおよそ決まる。世界樹から一時はマナを魔力として借りて、自然現象を拡張再現しているわけだけれど、歴史から学ぶ、というのはいったん置いておくわ。とにかく」
カタリナは長々と言ったのち、一度言葉を区切って立ち上がった。
「異世界転移者は魔法が使えない。だから一度、魔法というものを見せるから実践しましょう」
わたしはカタリナの言葉に疑問符が湧いた。つまり、彼女は魔法を見せてくれるということだろうか。そう思いながら立ち上がると、カタリナの視線が再びルイスに戻る。
「ルイス、あなたも手伝ってくれるわよね」
「なんで、俺が」
やはり親しい仲らしい。
「へえ。イヤならぜーんぶ、言っちゃおうかな。ミナミさんの知らないアナタの黒歴史」
「ふざけんな!」
なに、その面白そうな話題は。気になるじゃない。
「決まり。そしたら中級魔法まではありの、演習形式で」
「魔女め」
ルイスは心底憎そうな表情を浮かべて、大きなため息を吐く。私は魔法にたいへん興味があった。なにせわたしの世界では科学技術がすべてで、こういった超常現象みたいなものを見る機会はそうそうない。
しかし残念でもあった。ルイスの黒歴史とやらは、ほんの少しだけ興味が湧く話題だ。
魔法を見せてもらい、カタリナと仲良くなったら、ルイスの黒歴史はあとからこっそり聞いてみることにしよう。一番の魔女は、結局わたしだったりする。