第5話 ルイスの横顔
突然降ってきた仕事終わりの家系ラーメンの映像をかき消して、わたしは思わず確認を取らざるを得なくなった。
「からかってるとか、ではなく、なにかのご冗談ですか?」
わたしの疑問はもっともだ、と主張したい。なぜならあの寝起きの悪さ、王家に生まれたものとしての態度とは思えぬ接客態度、しかしふとわたしは気づいてしまった。彼の髪色と、国王エルンスト陛下の髪色が似ていることに。
「この髪が、証拠だよ。魔力の質がとてもワシに似ている。だけど」
エルンスト陛下はまるでわたしの心の中を読んだみたいに言った。しかし語尾の辺りで一度区切って、小さな吐息交じりに続ける。
「家出をしたっきり連絡一つよこさなくなった」
疑わざるを得ない状況には違いがない。しかしつまらない冗談は言っても、ウソを吐くようなメリットも、そういう人種にも見えない。少なくともエルンスト陛下という人物は、わたしには裏表のないように接している。そう、見える。
「兄弟仲が悪くってね。五つ離れた兄が後継者なんだけど、いろいろあるんだよ我が家も」
我が家、という言いかたになんだかものすごくケタが違うな、と思う。国の代表者の家族にもいろいろと事情があるのだろう。それにしても、あのルイスが王族の家柄だったとは。最初の投資話のときも、財源はきっと国王やこの国のもの、ということになる。一号店の借金も、ルイスのなけなしのお金の投資話も、資金の出どころは一緒だった。なんともわたしはコメントできずに、一人目を細めるしかなかった。
「国王の息子と知ったからって、なにも態度を変える必要はない。むしろルイスにいろいろと教えてやってほしいと思っている」
既にやってました、とはとても口にはできず、わたしはこう返す。
「善処します」
それから一つ、こちらからも質問があった。
「今日手紙が届いてやってきたのには私にも理由がありまして」
王都のどこかにいるはずの、サイの相談のことだ。「なんでも話してごらん」とエルンスト陛下は言って、わたしはひとつ呼吸をして口を開いた。
「魔晶石について詳しい魔導士、もしくは書物があれば助かりまして」
「またなにか新しい商品開発かな?」
「ええ、そんなところです。魔晶石の魔力回路の反転による、正確には調律による魔物を寄せ付けない原理を知れたら嬉しくて」
そもそも原理を知っても実際に扱うのはこの国の職人たちになる。それでも少なくとも可能かどうかを推測するのは、開発者としての責任が伴う。わたしがエルンスト陛下の目を真っすぐ見つめると、口元をほころばせてこう言った。
「それなら適任がいる。後日カタリナを向かわせよう。王宮魔導士で、彼女は優秀だよ」
「え、そんな簡単にいいんですか? 魔晶石については国ごとにルールが異なるようですし、もっと厳重な情報管理がされてるものと思ってましたが」
あまり詳しくは知らないが、かなり国の深部に影響を及ぼす問題だ。なにをしようとしているかを説明されていないにもかかわらず、情報開示が許可されることがあっていいのだろうか。すこしばかりこの国の防衛に疑問が湧く。
「そうだね。だけどミナミは悪用するようなタイプでもないし、しないだろ?」
「それはそうですけど。あまりに簡単に人を信じすぎですよ、国王陛下」
わたしが思わず言い返すと、エルンスト陛下は当然のようにまばたきをして、
「既に商品開発でこの国に利益をもたらしている。仕事も増え、職人たちは潤っていることだろう。そういう小さな功績が、信頼なんだよ」
と言い切った。その返しかたにわたしはなにも言い返すこともなく、一度頭を下げて一礼した。とにかく、話はそのカタリナという王宮魔導士がやってきてからになりそうだ。
わたしは内心ほっとしつつ、いろいろと情報を整理しなければならないと思った。エルンスト陛下は椅子から立ち上がる。隣にいる側近の女性から書類を一枚受け取って続けた。
「それからミナミ。キミが召喚された理由と術者についてはまだ捜査をしているが、いまだに進展がない。今回はその報告も兼ねてきてもらったんだよ」
進展がない。しかしその報告はやはり転送装置があれば可能だ。それをわざわざ招いてまでするということは、なにか裏があるのかもしれない。暗に注意を払えと言いたいのだろう。エルンストは一呼吸置いて続ける。
「異世界転生者を召喚するには大量の魔力が必要で、大戦後は世界規模で禁止されている。それに、向こう側へは行けず一方通行の道だ。それをわかっていて、おこなった誰かがかならずいるわけだけど」
一度言葉を区切って王座から離れ、わたしのもとに近づいてきた。それから報告書と書かれた紙を一枚手渡してきた。
「こちらも調べを進めるから、どうかルイスを頼んだよ」
唐突にルイスの話題に戻って、わたしはその場を後にすることになる。もちろん、パフェは断った。なにせわたしは王都に買い出しと街並みの観察があるからだ。エルンスト陛下は残念そうに「ちえ」と毒づいていたが、わたしにはまったくダメージはない。
プライベートの時間など、わたしにはないのだから。
ルイスの魔力を込めた指輪の方向に向かうと、東南を指していた。わたしは一区のお城を離れて、まず彼を探すことにした。しかしルイスと合流できる気がしない。リバープールの端、四十区まで歩くことも覚悟したのだが、そんなことをしていると日が暮れてしまう。石畳の大通りを革靴で歩く。この自作のソールをいれた革靴でも足が痛い。靴の開発は最優先だ、と思いながら茶色と褐色の街並みを抜けていると、不意にすれ違いの男の子にぼうぜんと見つめられていた。
「黒いホークだ!」
「ダメでしょ、そんな呼びかたしちゃ。ごめんなさいね。ほら、行きましょう」
わたしはなんのことだか少しの間わからなくて、男の子が後ろを振り返りながらチラチラと見て母親に連れられてゆくさまを見守った。ああ、そういうことか、とわたしは脳内で納得する。
黒いホーク。ホークとはあちら側でいうトンビみたいな野鳥のことだ。黒いホークとは恐らく日本人の異世界転生者のことを指している。つまり、わたしだ。私の黒い髪はこの世界では異質で、目立つ。さきほどの子どもだって、髪の毛は赤毛だ。わたしはまだこの世界のことを知らない。もっと知らなければならないと思いながら、わたしは再び街の隙間を歩き始める。ほとんどの建物が木と石材でできているため、背も低い。空も見渡せるこの世界で、わたしは正直な話をするとあちらの世界よりこちらの世界――ナチュラ――のほうが過ごしやすい。ノイズも少ないし、電車の中で潰される苦労を毎日味合わなくてもいい。……でも、少し足りないのではないかと不安になる。
知らなければならない。すこし義務感みたいね、と思った。
ルイスの魔力を込めた指輪が強く反応しはじめた。シルバーのような、アメジストのような色合いの宝石が強く点滅し、わたしの細い指の内側で示す方向に向けて中の結晶が異動し始める。わたしはその方向指示に従って、角を曲がった。ずいぶん入り組んだ石畳の上を歩かされた。
「これ、どこに向かってるの?」
わたしはすこしばかり戸惑っていた。ひと気の少ない路地裏で、指輪が強く明滅した。ここだろう、と思い改めて周囲を確認すると、ダウンタウンのような印象の少しゴミが散らばったエリアだった。そこには数件軒を連ねた酒のマークがあった。
「ルイス、あいつお酒飲んでるの?」
地下から反応があるようで、中央に固まって結晶は指示を示してくれない。正直少し入るかを迷った。地下への階段にはところどころアーク(街灯のような魔力で明かりを灯すもの)が設置してあるが、ほの暗く、男の笑い声が聞こえる。わたしが入って大丈夫なの? という心配の反対で、わたしに今更怖いものなんてない、と決意もある。
「よし、行くか」
次の瞬間にはわたしの足は階段を下っていて、我ながらとんでもない行動力に恵まれたと思った。地下へ降りるほど薄暗く鳴っていて、煙たい。薬草をいぶしたみたいなにおいだ。最後の段を下って、扉を開くと笑い声と煙の薄暗い空間が出迎えた。前言撤回。少しだけ怖いわ。
「あ、見つかった。ほら、噂をすればミナミだ。なんだ、もう終わったのかよ! こっちこっち!」
ルイスを探す手間が省けた。彼はカウンターで屈強そうな大男と酒を飲んでいたのか、男に口元をほころばせた。それからすぐにわたしに向けて手をブンブンと振る。
「お勘定! あ、ミナミもお酒飲んでく?」
「わたしは大丈夫。やることまだ残ってるんだけど、その様子じゃ難しそうね」
とにかくわたしはこの煙と酒と汗の空間から一刻も早く抜け出したかった。金貨一枚を出して「チップだ、とっときな」と言うルイスの背中を追いかけてわたしは外に出た。金貨一枚ということは、銅貨百枚、銀貨十枚だ。どういう無駄遣いだろう。
「ねえ。お金、まさかレジから使ってないでしょうね」
「俺のポケットマネーだよ!」
つまり、国から出た金貨ということだろう。文句の一つくらい言ってやらないと気が済まない。わたしが口をとがらせて息を吐こうとしたときだった。
「でもさ、イイは話があったぜ。嗜好品を特別価格で譲ってくれるってさ」
「え、そういう交渉したの?」
さすがのわたしも冷静に話を聞かざるを得なくなった。ルイスは切れ長の目を細めて口元をゆるめながら、自信満々にこう答える。
「おう、だからあの店に置いておけば売れるんじゃねえかな?」
王家の人間がタバコの販売とは。少し面白いとわたしは思って、彼の横に並んで歩いた。彼はどうやらあのお城の中では窮屈な思いをしていたのかもしれない。そう勝手に想像すると、わたしはなんだか得意気な彼を放っておけなかった。
「やるじゃん」
「だろ?」
頬をお酒で真っ赤に染めて、ルイスはふらふらと歩く。その少し後ろでわたしは彼を見守って歩いた。
買い出しは、定休日にまた来よう。