第2話 わたしの異世界生活に暇の文字なし
物語のはじまりはこうだ。
「あなたは三か国語を使いこなすトリリンガルに留まらず、さまざまな国や地域の人に対して対応するために努力を重ねていますね。それは誰にも真似できることではありません」
総支配人は百貨店で年に一度行われる立食パーティーでわたしに向けて語った。もちろんやっかみもあるだろうし、素直に拍手をしている人もいたけれど、わたしは彼らに見向きもしなかった。
わたしは新宿のとある百貨店で働いていて、一年の売り上げと功績――主に顧客満足度や外商担当への対応――を表彰された。わたしは基本的に販売員として店頭に立っていたいという想いが強く、一度は断った昇進もようやく受け入れた、ところだったのだが。まさかその日、自分が飲んだアルコールによってこんな世界にやってくるなんて。そんなこと想像できていたら、予言者のほうがよほど向いているに違いない。
[十か月ほど前]
わたしたちの一日のはじまりは、床掃除と什器棚の清掃、陳列物の整理から始まる。木製の棚にはポーション――と呼ばれる傷の修復が瞬時に行われるもの――から、魔物の嫌がるにおいを詰めた薬草から抽出したスプレー、織物と衣類にまで幅広く扱う。特に日用品と、商品開発の依頼で日々は消耗戦となっているのだ。開発商品のオリジナリティと、それが生活に定着してゆくことが、この世界ではまず必要だ。とはいえ、一号店を開いたばかりの今、目玉商品の開発にはまだうまく事が進んでいないのが現状だ。
「暇だな」
「ちょっと、やることはたくさんあるんだから」
ルイスの一言で、考えないようにしていた現状を認めざるを得なくなる。閑古鳥が鳴り響いた状況は当然と言えるだろう。店を構えたが、ここは王都リバープールから徒歩三十分かかる場所だ。アクセスも悪い、品ぞろえもまだ特別感はない。宣伝もできていない。
そもそもこの世界には化粧品というものがあまりに少ない。口紅に似たそれはあるものの、フェイスパウダーにファンデーション、基礎化粧品と呼ばれるものはない。だから今その代理となるものの開発にいそしんでいるのだが、それ以前に話題性が強い商品が必要だ。わたしがもともといた世界ではSNS文化も相まって宣伝方法はいくらでもある。しかしここは違う世界だ。一号店が繁盛すれば、二号店は王都に直接開くという手もある。しかしわたしはあえて最初のお店をここにしたのだ。
「ミナミ、これなに?」
ルイスの何回目かの質問に、わたしはため息をグッとこらえて答える。
「それは魔導士に依頼した、無属性の即席のバリアの指輪よ。そろそろ覚えてよ」
半ば流すようにわたしは答えて、陳列棚を拭いていた手を止めた。
「朝イチってこんなに暇ならもうちょっと寝ててもいいだろ」
ルイスが小鳥みたいにつぶやく。わたしの耳はそれを聞き逃せない。
「ダメよ。やることただでさえ溜まっているんだから。最近きた少し高齢の、ほら、白髪にヒゲの」
「ああ、ハミルトン」
ハミルトン、という名前と記憶がようやく結びついた。日本生まれのわたしにとって、海外の人名を覚えるのは少しばかり苦労する。
「そう、ハミルトンさん、ね。その人に依頼された生地の催促連絡、まだでしょ?」
「あの人門番だし、後回しにしてもいいんじゃね?」
ルイスが思わぬことを言い始めたので、わたしは彼の方向に真正面に顔を向ける。
「お客さまに優劣つけない。ってか、門番の人だったの? なんで知ってるのよ」
「なんでって。まあ、王都のことはいろいろ知ってるから」
ルイスは視線を伏せている。彼の事情をわたしはあまり知らない。メタリックシルバーの短い髪はどこかで見覚えがある。出資話を持ちかけてきたときだって、立場を自分のほうが上にするという条件付きだった。出資がしてもらえるならいいと思い、わたしは彼に立場上の社長の座を任せたのだが、そこには気軽に踏み込めぬ事情があるように思えた。
カランカラン。
ドアベルが鳴ったのはそのときで、わたしは真っ先に視線を向ける。
「いらっしゃいませ!」
わたしの中でスイッチが仕事モードに切り替わり、お客さまをお出迎えした。
「あの。ここは、道具屋ですか?」
道具屋ですか? と、質問をしてきたのは茶褐色の肌に金色の髪をした男性だった。わたしは彼の首に巻きつけられたストールと、茶色い使いこまれた革靴から王都からやってきたわけではないと判断する。荷物の量や腰に提げたナイフからして、冒険者や旅人のたぐいだろうと考えた。
「ここはウエストツリートップストア百貨店です。まだオープンして間もないですが、よろしければご案内いたします」
「ぜひお願いします!」
わたしは手でうながして中にその男性を招き入れた。吹き抜け式の二階構造の内装をじっくりと見渡す男性にルイスが軽い会釈をしている。
「当店では珍しい品物も取り揃えているのですが、まだ試作段階の商品もいくつかあります。見た目だけではわかりにくいので、署品説明もありますよ」
一つ一つの商品になるべく商品説明を添えている。
「すごいです。見たことのない商品ばかりで。この棒が何本も入っている、いい香りがする、これはもなんですか?」
「ディフューザーといって、薬草を煮詰めてろ過したものを凝縮している芳香剤です。安眠の効果があって、夜に眠れない方にはおススメです」
実際、この世界ではすでに終結した大戦の傷跡がいたるところに残っていて、その一つが安眠できないというものだった。だから少しでもリラックス効果をと思い、開発したものがこの商品だ。油の吸収がよい木材に魔力を込め、茎の流れに反応する仕組みだ。
「すごい、この商品はあなたのアイデアで?」
「ええ、そうです。実際に商品開発の依頼をしているのは王都リバープールの専門分野の職人さんですけど、随時やりとりをして簡易的に実現してもらったんです」
わたしは少しばかり内心得意気になる。とはいえ、向こうの世界の商品を模倣しただけだが。男性は、周囲を再び見渡して、それから一呼吸あけてわたしの目を見つめた。
「しばらく王都にいるつもりなんですけど」
彼は一度言葉を区切る。
「少し相談に乗ってもらえたら嬉しいのですが」
「相談、ですか?」
わたしは彼の言葉に眉を持ち上げる。まずは話を聞いてみないことにはなにも答えられない。だからルイスに目線で合図を送って、こう続ける。
「ひとまずお話をお聞かせください。どうぞこちらにおかけください」
わたしは柔らかく口元をほころばせ、ソファに案内することにした。