第15話 交渉
当然、わたしは店の権利を売るつもりはない。どういうつもりで発言しているのか、それをわたしは測ろうとした。その背後にある狙い、心理、思惑。そういうものを探るためにわたしはあえて言葉を返さなかった。無言の間が続いている間にも、水面下では互いのけん制が始まっている。その無言のやりとりを切り裂いたのは、ルイスだった。
「つまり、国営にして交易品として輸出するということか」
ルイスのつぶやくような言葉に、パレスは鋭い視線を彼に向けた。
「そうだ。国の直営にする。そうすれば、もっと輸出や他国に対してアプローチができ、さらなる国益となるだろう」
パレスの言いかたを要約すると、つまりわたしたちを取り込もうという算段だろう。わたしは懐に刀を静かに忍ばせたまま、彼の話の続きを聞くことにした。
「最近は君たちに目をつけている商人たちがたくさんいる。そういう風当たりの悪いところから守ることにもつながる。タダでとは言わん。一生暮らしてゆけるだけの金と、時間がある」
「お言葉ですが、それは不可能っすよ」
そろそろわたしも口を開こうとしたときだった。先手を打ったのはルイスで、わたしは思わず横目を彼に向ける。彼は呆れたとも落胆したとも、怒りに身を任せているとも違う、ただ静かな事実を続けた。
「お前はやっぱりお前のことしか見えてないんだな。人の気持ちなんておざなりだ」
「なに?」
ルイスの言葉に、パレスは眉をひそめて冷淡な視線を投げつける。ルイスはそこではじめて呆れたように椅子の背もたれに体重を預けて、こう続けた。
「この人、お金のためにやってるわけじゃないんで。そもそも、望んでない婚姻話を突然切りだして、はいそうですかって言うワケねえじゃん」
わたしがどう言うべきか迷っていたことを、ルイスはすらすらと迷いなく言い切った。
「ルイス、お前にこの話の重要性のなにがわかる。これはビジネスなんだぞ」
「お前こそ、いや、あなたこそ俺の、僕と彼女のなにがわかるというんすか」
ルイスは話の興味を失ったように天井を見上げはじめた。わたしは視線の行きどころが定まらず、目の前に並べられた手の付けられていない料理たちを眺める。肩に張りつめている緊張感が、少しだけ和らいだ気がした。
しかしパレスは引く様子を見せず、むしろ陰りすら見せはじめる。わたしはその様子を見て、そろそろなにか言葉を発さねばならないと思う。しかしパレスは奥歯を食いしばり、テーブルの上に置いた右手を強く握っているではないか。そして一度うつむいたパレスはルイスに向けて牙をむいた。
「今更、聖人面をするな! 母が大戦中に殺されたのはお前のせいだろう!」
その言葉にルイスの体がほんの少し固まった気がした。店に響き渡る声に、周囲の視線が一気に集まる。
「大戦で失ったものは大きい。それをお前は理解していない! この国は平穏に見えるが、なにが起きているのかをお前は知らずに逃げただけだろ!」
パレスの怒声に、わたしは冷静さを保つ。こういう感情剥き出しのときに、冷静さを失うことが、もっとも危ない。わたしは少なくともそう思う。
「わりいかよ」
ぼそり、とルイスが言う。しかしパレスは体を震わせてなにか奥底に我慢をしながらも、それが膨張して立ち上がるやいなや、ルイスのスーツの胸元を掴んだ。
「お前はなにをやっても逃げて、中途半端で、勉強からも逃げ、挙句の果てに大戦から国を守る義務からも逃げた! そうやって逃げて、家を出て、一人で生きていけるつもりか!」
ルイスは視線を合わせようとしない。さすがのわたしも、こうなってしまっては仲裁に入らなければならないのだが、その隙もないほどにパレスは言葉を投げ続ける。
「母すら守れなかった落ちこぼれたお前をせめて助けてやる案でもあるんだぞ!」
そこでルイスはパレスの腕を突っぱねて、口元を手の甲で拭きながら、
「誰が望んだんだよ、そんなくだらない話」
手拭きの布を床に投げつける。立ち上がった興奮状態の二人の間には火花が飛びかっている。
「これだから話にならん! 愚か者の役立たずが――」
それからのわたしの行動は早かった。ワインの入ったグラスを掴んだ瞬間、飛び出した中身が思い切りパレスの顔めがけて飛び散った。
「黙りなさい」
わたしはわたしの行動を理解しているつもりだ。次期国王のパレスの顔面に、大戦の英雄の顔に、ワインで泥を塗った。しかし後悔はない。わたしはルイスのほうを見たが、いまだに顔の陰が消えずにパレスの胸元を掴もうとしたので、
「アンタも落ち着きなさい」
ルイスにもワインを頭から垂らす。なにが起きたのかわからない、といったような二人の瞬きに合わせて、わたしは口を開く隙を逃さなかった。
「お言葉ですがパレス次期国王さま。わたしのお店の従業員兼、トップであるルイス・ハイデン・ラファエルのことを、貶めるような発言は控えてください」
淡々と言うわたしの言葉に、その場の誰もが口を開けなくなっていた。わたしは続ける。
「わたしと初めて会ったときからルイスのことをそうやって落ちこぼれだと言ってましたね。なにがあっても、そうやって人が人を見下していい理由にはならないし、そもそも、わたしはこのお店やお客さまを愛しています。それ以上に」
わたしは啖呵を切った手前、もう引き返すことができなくなっていた。
「わたしに協力してくれているすべての従業員たちと、最初に声をかけてくれたルイスのことを愛しているんです! それを悪く言われてタダで黙っていられるほど、わたしはビジネスに溺れていませんから。甘く見ないでください!」
わたしはそれまで溜め込んでいた思いや感情をすべて言葉として投げ出していた。ビジネスをするうえでは失格だ。しかし、なぜか後悔はなかった。
わたしは冷め始めた料理に手をつける気持ちも失せて、ルイスに横目を向けて「行きましょう」と言って一人その場を去る。それを追ってくるルイスの気配を感じながら、わたしは真っすぐに前を見つめ続け、背中の三本の矢がピンと張っていることを感じた。