黒電話
電話機の中でも1962年に登場した600形は、いわゆる「黒電話」として、この時代でもっとも一般的な通信手段となった。
(NTTのHPより)
電話のベルが鳴った。
脇の机に置いてある黒電話のベルである。
立花純一は、じっと、黒電話を見つめた。
そして、受話器を取る。
「もしもし……」
「健之助様ね?」
若い女の声であった。
「いえ、違いますが……」
「あら、そう。そうね……、違うわよね……」
立花純一は、受話器を耳に当てたまま、女が先を続けるのを待った。
「健之助様が出るはずはないのに、電話してしまった……。ごめんなさいね」
「いえ、かまいませんよ」
電話が切れた。
立花純一は、受話器を置いて、黒電話を見つめた。
骨董市で買った古い黒電話である。
もちろん電話線に繋がっていない。
黒電話を見つめていると、また、ベルが鳴った。
受話器を取る。
「もしもし……」
「先ほどは、失礼いたしました」
「かまいません」
「お名前を聞いて、よろしいかしら?」
「立花純一と申します」
「純一様ね……。純一様、また、お電話差し上げて、よろしいかしら?」
「僕は、かまいません」
「うれしいわ」
それで電話が切れた。
また黒電話のベルが鳴ったのは、1時間後であった。
「もし、もし」
「純一様、お仕事は、何をなさっているのかしら」
「イラストレーターです」
「イラストレーター? イラストレーションは絵だから、絵を描いておられる。画家でいらっしゃるのね?」
「まあ、そんなもんです」
「芸術家、うらやましいわ。わたくしなんか、お母様に、お茶、お花、ピアノ、それに絵も習わされたのですけれども、どれも駄目でした。芸術のセンスがないのよ」
「絵を勉強なさったのですか?」
「はい。印象派。ふふ、絵の先生は、ルノワールの崇拝者でしてね。それで……」
立花純一は、電話の声が話す、絵のレッスンの話に聞き入った。
「あら、長々とお話をしてしまったわ。御免なさいね」
電話が切れた。
立花純一は、相手の名前を聞くのを忘れたことに気が付いた。
黒電話を見ながら考え続けた。
立花純一は、ネットゲームのデザイナーである。
ゲームに出てくる、主人公や怪物、背景などをデザインするのだ。
昭和梧桐大学で絵を学び、この業界に入った。
将来は独立したイラストレーターになるのが夢であったが、現在はゲーム会社でゲームの絵を描いている。
昨年は中世神話の世界ばかりを描いていた。
今年は銀河海兵隊で忙しい。
立花純一の仕事場の脇の机には、ミレニアムファルコン号といっしょに、ゴジラに煉獄杏寿郎、進撃の巨人の人形が、仲良く並んでいる。
こうした主役級のフィギアの間を埋めているのが、脇役級の怪物たちだ。
そして、その中に黒電話があった。
黒電話は骨董市で買ったものである。
半月ほど前のことだが、立花純一は社長に呼ばれた。
「銀河海兵隊は、どうだ?」
「ほぼ、目途は付きました」
「よし。次は、昭和ものを考えている」
「昭和もの?」
「タイムマシンで昭和を探検する。今は若者の間で昭和時代がブームだし、団塊の世代にもウケるぞ」
「それはいいですね」
「まだ計画段階だが、少しずつ、資料を集めて、勉強を始めてくれ」
「分かりました」
こういうことで、資料収集のひとつとして骨董市を歩き回った。
そこで黒電話を見つけたのである。
黒電話は、どっしりとした重量感とともに、スマートでもあった。
単なる資料としてだけではなく、インテリアとしても、いいかもしれない。
立花純一は、黒電話を買い、脇の机に置いたのである。
電話線につながっていない電話機から声が聞こえるのだ。
もちろん、現代の無線機能が付いているわけではない。
純然たる、昭和時代の古い電話機。
普通ならば、不思議に思い、気味悪く感じるであろう。
だが、立花純一は、中世のドラゴンから銀河の彼方までを、日ごろから慣れ親しんでいる人間である。
「これはどういうことだ」
と、考えた。
この電話は、異世界とつながっているのかもしれない――。
あるいは、時空を超えた、別の時間・場所とつながっているのか――。
こうした、柔軟な思考が出来る人間であった。
気味悪いから黒電話を捨てる、というようなことはせず、電話の向こうの娘の話相手になってやろう、と考えたのであった。
黒電話のベルは、不定期に鳴った。
立花純一は聞き役で、もっぱら向こう側の娘が話した。
例えばこんな話である。
お父様が、ダイヤモンドを買って下さったの。あたくしは、ルビーが欲しかったのだけれども……。
軽井沢は、やはりいいわね。男爵の伯父様も親切で……。
健之助様の一周忌が済んだ途端、お見合いの話よ。あたくし、結婚したくない……。
立花純一は、話を聞きながら、いろいろと考えた。
黒電話は何処とつながっているんだ?
娘の口調、話の内容からすると、華族制度がある時代であった。
昭和初期?
大正?
それとも明治?
明治時代では、電話は無いかな?
こうしたことを考えながら電話の声を聞いていたのである。
そして――、深く考えるのを止めた。
綺麗な声をした、上流階級の娘と話が出来ることを、楽しむようになったのである。
気のせいであろうか。
黒電話で話すようになってから、仕事がはかどるのであった。
銀河海兵隊は、無事に仕上がった。
次は、タイムマシンで昭和時代へ。
昭和は、すぐ前の時代である。
資料には事欠かない。
立花純一は、昭和の雰囲気が残る場所を、歩き回った。
骨董市に行き、昭和の品物に触れてみる。
DVDを片っ端から見た。
もちろん、ゴジラやウルトラマンのDVDは、すでに、よく見ている。
それ以外の、これまでは興味がなかった、やくざ映画や文芸超大作のDVDを、仕事の参考として、見たのであった。
昭和の時代にどっぷりと浸かり、そこからイマジネーションを得るのだ。
そして、黒電話の娘との話が気分転換になった。
娘から、過去の時代の情報を得る、という考えはなかった。
娘との会話は、純粋に楽しむだけにしていたのである。
ひょっとして、娘に恋をしたのかもしれない……。
それは、深夜のことであった。
やくざ映画を見ながら、昭和の街並みをチエックしているとき、黒電話のベルがなったのである。
「もしもし」
「純一様……」
「あれ? 声が遠いですが」
「小声で話しているのよ。北小路侯爵の若様に聞かれたくないから」
「北小路侯爵の若様?」
「お見合いの相手なの。軟弱な男で、わたくし、大っ嫌い」
電話の向こうの声が、複数になった。
立花純一は、受話器を耳に押し当てた。
次のような会話が、聞こえてきた。
「どちらへ電話なさっているのですか」
「若様には、関係ありません」
「それはおかしい。僕は婚約者ですよ。僕に対して、秘密はないはずです」
「まだ、婚約までは……」
「われわれの世界では、お見合いは、もう婚約でしょう。宮様も認めていますし」
「でも……」
「それとも、他に……」
「え……、ああそう。そうですわ。好きな方がいらっしゃいますのよ」
「一体誰だ。僕ほどの身分で、金持ちの者はいないはずだが」
「立派な殿方は、いらっしゃるのよ」
「しかし……。あ、その受話器。この電話の先の人だな。電話をよこしなさい」
「いやでございます」
「僕が話をしてやる。電話を……」
「若様、駄目……」
こうした会話の後、受話器から男の声がした。
「もしもし、君は誰かな」
軟弱な感じの声である。
立花純一は黙っていた。
「いいかい。姫は、僕と結婚する約束になっているんだ。君が誰か知らないが、あきらめるんだね。僕は君より身分が高いよ。金も、たくさんある」
立花純一は、そのなよなよした声を聞いて、かっとした。
「うるせぇ」
受話器の先では、息を呑んだようである。
華族の若様としては、聞いたことのない口調と勢いであったのであろう。
立花純一は続けた。
「その女は俺のものだ。手を出すなよ。てめぇ、手を出したら殺すからな」
ちょうど見ていたDVDのやくざ映画の口調である。
立花純一は、もうひと押しした。
「いや、今すぐ殺してやる。そこを動くなよ」
電話は切れた。
立花純一は黒電話を見つめた。
すぐに、娘から電話があるかもしれない……。
いや、それはな無いかな。
若様はパニックになっているのだ。
婚約をはっきりと解消させ、若様を帰し、その後で、ゆっくりと、お礼の電話をしてくるだろう……。
立花純一は、満足して、寝ることにした。
朝、チャイムで眼が覚めた。
こんな朝早く、誰だろう。
ドアの外には男が立っていた。
その後ろにも、もう1人、男がいた。
「立花純一さんだね」
「はい、そうですが?」
男は、警察手帳を見せて、言った。
「今泉重雄が殺された事件で、聞きたいことがある」
「今泉重雄? 誰です、その人」
「しらばくれても駄目だ。防犯カメラに、お前に似た姿が映っていた」
「ええ?」
「そして、これが、何よりの証拠」
刑事は、小型のテープレコーダを取り出し、スイッチを入れた。
立花純一の声が聞こえてきた。
「多香子は俺のものだ。手を出すなよ。てめぇ、手を出したら殺すからな。いや、今すぐ殺してやる。そこを動くなよ」
刑事は不気味な笑顔で言った。
「お前の会社から、お前の音声のサンプルを提供してもらった。一週間かけて、3度もチェックしたんだ。声紋は、完全に一致した」
立花純一は、混乱した。
今泉重雄?
多香子?
ともかく、黒電話のことを話そう。
信じてもらえるかどうか、分からないが。
立花純一は、脇の机を見た。
ミレニアムファルコン号といっしょに、ゴジラに煉獄杏寿郎、進撃の巨人の人形が、仲良く並んでいる。
だが、黒電話は見当たらなかった。




