スペースの問題
せまい日本では、いつもスペースが問題になります。
小谷由実子は3LDKのマンションを購入した。
タワマンではないが、高級マンションであり、窓からはレインボーブリッジが見える。
このマンションは、彼女の希望を満足させるものであった。
先ず立地条件。
小谷由実子はアクセサリーの製作をしている。
アーティストとしての感性を研ぎ澄ますには、近未来をイメージさせる場所が必要なのであった。
この場所は彼女の創造力をアップしてくれる。
都心に近いからクライアントに来てもらうにも便利だ。
次はスペース。
3LDKは、十分な広さである。
一室は生活空間、一室は作業場、そして残りの一室を応接室にした。
この部屋で打ち合わせをするのである。
応接室の壁一面には、『世界絵画全集』、『日本美術大全』などの豪華本が並んでいる。
この多数の本が、マンションを買うことにした動機の大きい一つであった。
さまざまな芸術作品を見て、イマジネーションを喚起しなければならない。
寝る前に、一時間は絵画の写真を見ていないと寝付けない。
こうした豪華本は、アーティストたる小谷由実子にとって必需品なのである。
しかし、今まで住んでいた狭いアパートでは並べることが出来なかった。
部屋中に、びっしりと積み重ねるしかなかったのである。
膨大な数である。
足の踏み場もない。
もっと広いスペースが欲しい。
そして今、ようやく、本をきれいにならべることが出来るようになったのだ。
3LDKはファミリー向けとして設計されたものである。
彼女の両隣の部屋もサラリーマンの一家であった。
マンション全体でも、かなりの割合でサラリーマンの所帯が多い。
残りは、小谷由実子のようなアーティスト。
小谷由実子が初めてその子供を見たのは、マンションの入り口であった。
小学校中学年くらいの年齢であろう。
頭が大きく、利口そうな顔をしている。
学校では博士というあだ名で呼ばれている――、そんな雰囲気を持つ子供であった。
そのうち、廊下やエレベータで、ひんぱんに見かけるようになった。
小谷由実子が笑いかけても、その子は笑わない。
人見知りする性格のようだ。
その子の父親とはマンションの前のコンビニで知り合った。
子供の手を引いて買い物をしていたのだ。
「いやぁ、どうも、どうも。マンションにお住まいですか……」
気軽に声をかけてきた。
彼は、自分が買おうとしているカップ麺について、なぜそれにしたか、味はどうか、などを延々と話をした。
その後、公園で会ったときは、マンションが建築されたときの話を聞かされた。
話し好きなのであった。
子供とは正反対の性格のようである。
それにしても――、仕事は?
と小谷由実子は思った。
平日の昼間、子供と遊んでいるのだ。
ひょっとして、リストラで職を失い、妻のパートで生活していて……。
だが、妻とおぼしき人物を見たことはない。
気さくな男で、雑談が好きであったが、自分の家庭の話は出さなかった。
夏のたそがれ時であった。
買い物から帰り、エレベータへ乗ろうとすると、あの子が一人で出てきた。
そのまま走り去って行った。
すれ違いにエレベータに乗る。
エレベータが上昇する。
エレベータの扉が開くと、その子がいた。
「え?」
父親が手を引いている。
父親は、いつもの笑顔で挨拶し、エレベータに乗った。
エレベータは降りていった。
小谷由実子は、廊下で、一瞬考えた。
「そうか、双子なんだ。びっくりした」
部屋へ入ってすぐに、電話が鳴った。
「もしもし、小谷です」
「どうも……」
その声は、あの父親であった。
「ちょっと、いらっしゃいませんか」
父親は自分の部屋の番号を告げた。
その声からは、いつもの快活な感じが見えない。
威圧的な感じがあった。
「はい、では……」
小谷由実子が、その部屋へ行くことにした理由は、自分でもよく分からない。
告げられた番号の扉の前で、チャイムを押す。
「はい」
声がして、父親が扉を開けた。
「どうぞお入り下さい。せまい所ですが……」
部屋の中を見る。
部屋中に、びっしりとあの子供が積み重ねてあった。
膨大な数である。
足の踏み場もない。