白昼の死角
怪異が起きるのがたそがれ時とは限りません。
白昼でも怪異が起きることがあります。
もっとも、あたり前のことを、うっかり、怪異だ、と思い込むこともあるのですが。
大都会のいいところは、さまざまな交通手段を選べることである。
私が移動する道筋には、電車だけで三つのルートがある。
バスを含めれば、五つ以上のルートを選択することができる。
私は、一週間に二回、本社と制作本部を行き来しなければならない。
もちろん、ネットでのやりとりは日常茶飯事に行っている。
それでも、私が直接出かけていき、こまかい詰めをしなければならない事情も多いのだ。
中間管理職の辛いところではある。
その日――。
いつものように、昼過ぎに本社を出た。
電車に乗る。
高架の線路を走る電車のルートである。
別に、意識してそのルートを選んだわけではない。
無意識と言おうか、偶然と言おうか、何の考えもなしにそのルートにしたのだ。
平日の午後なので電車の中は空いていた。
空席が四割ほどあり、座らずに立っている人もちらほらいる、という光景であった。
私もドア付近に立っていた。
どうせ短い距離だし、運動不足解消の役に立つだろう、と思い、制作本部との行き来には座らないことにしているのだ。
次の駅に着き、電車が止まる。
ドアが開いた。
降りる人はいず、乗ってきたのは一人だけであった。
一瞬、私は驚いて、凝視してしまった。
それは、中年の婦人であった。
品のよさそうな雰囲気をしている。
遠慮がちな態度で、左右に軽く挨拶をして、空いた席に座った。
これだけなら、なんでもない。
だが、それだけではないのだ。
先ず、その婦人の服装が、いささか場違いであった。
黒い和服を、しっかりと着こなしているのだ。
正式に家紋が付いた、黒一色の和服。
喪服である。
平日の白昼の電車の中では、あまり見かけない服装ではある。
そして、その婦人は、両手で箱を抱え持っていた。
両手で抱えなければならないほどの大きな箱で、蓮の花の模様を編み出した白い布で覆われている。
喪服を着た人が抱える白い箱が何であるか――、言うまでもないであろう。
これはもう、完全な場違いではないのか。
別に、火葬場からの帰り道に遺骨を抱えて電車に乗っては行けない、という規則はない。
電車の中で大声で電話をするのとは違い、迷惑条例違反に引っかかることはあるまい。
それでも、場違い、としか言いようがないと思う。
普通なら、火葬場への往復は車を使うのが常識であろう。
こういったことを考えながら、私はその婦人を見つめてしまった。
婦人は、顔をうつむき加減にして、きちんと座ったままである。
あまり見つめるのは、さすがに失礼となる。
私は、眼を転じて、車内の広告を見たり、後ろへ流れる景色を見たりした。
高架なので、車窓の景色はよい。
制作本部での打ち合わせの話題を増やそうかなと、なにとはなしに思いついたときに、その声が聞こえた。
うめくような声である。
周囲を見回す。
誰かが、電車に揺られて、うとうとしているうちに、いびきをかいてしまったのだろう、と思ったのである。
しかし、眠っている人はいない。
ヘッドホンを耳に付け、眼を閉じている人は何人もいる。
だが、いびきをかくほどに、眠りこけている人はいない。
空耳かな、と思った。
最近は運動不足だし、眼も悪くなってきた。
この上、耳が故障しては大変だ。
外の景色を見る。
うめき声が、また聞こえてくる。
空耳ではない。
うめくような、泣くような、なんとも形容しがたい声である。
そのうち、それが歌声であることが分かってきた。
お経とかご詠歌とか、そういうような歌なのだ。
うめき声のような声で調子をとりつつ、低い声で歌っているのである。
男の声であることは分かる。
切れ切れに言葉も分かった。
……僧侶が血を吐き……、
……暗い無間の旅に出て……、
……針の女山に鴉が飛んで……、
こういった言葉の断片は聞き取れたが、全体の歌詞は分からなかった。
低い、うねるようなメロディーも聞いたことがないものだ。
スマホから音が漏れているのだろう、と私は考えた。
音の出てくる方角を探す。
その方角は、喪服の婦人を指していた。
だが、婦人はヘッドホンを付けていない。
婦人の右隣はサラリーパーソンであり、ヘッドホンは付けていない。
熱心に経済新聞を読んでいる。
左隣は若い女性であり、やはりヘッドホンを付けていない。
鏡を見ながら化粧をしているのだ。
誰もスマホを使っていない。
それでも、苦しみをはき出すような歌は聞こえてくる。
やはり、婦人の方から音が聞こえてくる。
もっと正確に言うと、婦人の持つ白い箱の中から声が聞こえるみたいだ。
どういうことなんだ……。
私は、うつむいたままじっとしている婦人の方を見つめた。
間違いない、うなるような、うめくような歌は箱から出ているのだ。
もちろん箱の中にスピーカーが仕掛けてあるのだろう。
あの箱の中に人がいるはずはない……。
猫なら入れるかな?
そのとき私は気が付いた。
婦人の両側に座っている人たちは、自分の事に専念しているのだ。
この歌が聞こえないのだろうか。
かなり奇妙な歌である。
聞こえれば、気味悪がって顔をしかめるくらいはしそうなものだが、サラリーパーソンは新聞を読み、若い娘は口紅を塗るのに夢中である。
車内の誰にも聞こえないようである。
聞こえているのは私一人。
妙な歌を聞いて、はてな、と思っているのは私一人。
どういうことなんだ……。
平日の午後。
空は晴れている。
電車は軽快に走っている。
私だけが、うめくような歌を聞いているのだ。
これは、どういうことなんだ……。
もう一度、自分の耳を疑った。
空耳――。
だが、電車が出す騒音は聞こえるし、婦人の隣のサラリーパーソンが新聞をたたむ音も分かる。
耳が変になったのではない。
では、この歌は何なのだ?
なぜ、他の人たちは奇妙な歌を無視しているのだ?
どういうことなんだ。
私は、合理的な説明を考え続けた。
私は工学部を卒業して、競争の激しいゲーム業界で生き抜いている人間である。
状況を冷静に分析して、最善の手を打つことには慣れている。
この状況にも合理的な説明がつくはずだ。
合理的――。
そうか!
ようやく納得がいった。
これは、『びっくりカメラ』のようなものなのだ。
よくテレビの番組で、タレントをだますのを見かけることがある。
例えば、若い女性のテレビタレントの所へ、知り合いのプロデューサーが、超大作の映画へ出演するチャンスが出来た、と言って来る。
若い女性のテレビタレントは、もちろん、大喜びする。
ただしオーディションがある、と条件を言う。
歌と踊りの審査に合格しなければならないのだ。
若い女性のテレビタレントは、「頑張ります」と健気に答える。
そして、オーディション当日、指定された会議室へ出向く。
そこが審査会場なのだ。
指定された服装は水着。
若い女性のテレビタレントは、水着に着替えて会議室へ入る。
だが、会議室の中では、会社幹部とおぼしき人々が会議をしている。
会社の将来を決める重要会議、といった雰囲気である。
若い女性のテレビタレントは、完全にパニックになる。
そこに、有名なお笑いタレントが入ってくる。
「はぁい、びっくりしたでしょう」
これ、これなのだ。
もちろん私はテレビタレントではない。
普通の会社員である。
だが、『びっくりカメラ』の番組はマンネリ気味である。
テレビタレントではない、素人をだまそうということになったのだろう。
そこで、なぜか、私に白羽の矢が立った。
これなら納得がいく。
この車両の人間は、私を除いて、すべて俳優なのだ。
みんな、妙な声が聞こえないふりをしているのだ。
網棚の上の荷物にテレビカメラが仕掛けてあるのだ。
私が完全にパニックになった時、お笑いタレントが出てきて、「はぁい、びっくりしたでしょう」と言う。
こういう筋書きに違いない。
私は、もう一度、車内を見渡した。
どこかにお笑いタレントがいるはずだ。
有名なお笑いタレントたちの顔を思い浮かべながら、車内を見渡す。
だが、それらしい人物はいない。
変装しているのだろうか。
もし変装しているなら、よほどうまく変装しているのだ。
白い箱から聞こえてくる歌の調子が変わった。
……黒い御殿に料理をならべ……、
……おおい、おおい、と話しかけ……、
……背中におぶさり、生肝しゃぶり……、
私は、お笑いタレントを捜し続けた。
どこかにいるはずだ。
これはテレビの収録なのだ。
そのとき、車掌の声が聞こえた。
もうすぐ次の駅へ着く、というアナウンスである。
そうか、分かった。
お笑いタレントは次の駅に待機しているのだ。
電車が止まり、パニックになった私が車両から飛び出そうとしたとき、ホームにいたお笑いタレントが入ってくる。
「はぁい、びっくりしたでしょう」
これに違いない。
これなら、合理的な説明が、すべてつく。
電車にブレーキがかかった。
車窓の向こうにホームが見えてくる。
電車のスピードが落ちる。
電車が止まった。
ドアが開く。
私は、意識的にゆっくりとした動作でホームへ降りた。
ホームには誰もいなかった。
そのまま、脇目もふらずに早足で歩く。
階段を下り、改札のゲートにスマホをかざした。
そして――、この駅から離れた。
二度とこのルートを使うことはないだろう。
大都会のいいところは、交通ルートを選べることである。