表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/21

白昼の死角

怪異が起きるのがたそがれ時とは限りません。

白昼でも怪異が起きることがあります。

もっとも、あたり前のことを、うっかり、怪異だ、と思い込むこともあるのですが。

 大都会のいいところは、さまざまな交通手段を選べることである。

 私が移動する道筋には、電車だけで三つのルートがある。

 バスを含めれば、五つ以上のルートを選択することができる。

 私は、一週間に二回、本社と制作本部を行き来しなければならない。

 もちろん、ネットでのやりとりは日常茶飯事に行っている。

 それでも、私が直接出かけていき、こまかい詰めをしなければならない事情も多いのだ。

 中間管理職の辛いところではある。

 その日――。

 いつものように、昼過ぎに本社を出た。

 電車に乗る。

 高架の線路を走る電車のルートである。

 別に、意識してそのルートを選んだわけではない。

 無意識と言おうか、偶然と言おうか、何の考えもなしにそのルートにしたのだ。

 平日の午後なので電車の中は空いていた。

 空席が四割ほどあり、座らずに立っている人もちらほらいる、という光景であった。

 私もドア付近に立っていた。

 どうせ短い距離だし、運動不足解消の役に立つだろう、と思い、制作本部との行き来には座らないことにしているのだ。

 次の駅に着き、電車が止まる。

 ドアが開いた。

 降りる人はいず、乗ってきたのは一人だけであった。

 一瞬、私は驚いて、凝視してしまった。

 それは、中年の婦人であった。

 品のよさそうな雰囲気をしている。

 遠慮がちな態度で、左右に軽く挨拶をして、空いた席に座った。

 これだけなら、なんでもない。

 だが、それだけではないのだ。

 先ず、その婦人の服装が、いささか場違いであった。

 黒い和服を、しっかりと着こなしているのだ。

 正式に家紋が付いた、黒一色の和服。

 喪服である。

 平日の白昼の電車の中では、あまり見かけない服装ではある。

 そして、その婦人は、両手で箱を抱え持っていた。

 両手で抱えなければならないほどの大きな箱で、蓮の花の模様を編み出した白い布で覆われている。

 喪服を着た人が抱える白い箱が何であるか――、言うまでもないであろう。

 これはもう、完全な場違いではないのか。

 別に、火葬場からの帰り道に遺骨を抱えて電車に乗っては行けない、という規則はない。

 電車の中で大声で電話をするのとは違い、迷惑条例違反に引っかかることはあるまい。

 それでも、場違い、としか言いようがないと思う。

 普通なら、火葬場への往復は車を使うのが常識であろう。

 こういったことを考えながら、私はその婦人を見つめてしまった。

 婦人は、顔をうつむき加減にして、きちんと座ったままである。

 あまり見つめるのは、さすがに失礼となる。

 私は、眼を転じて、車内の広告を見たり、後ろへ流れる景色を見たりした。


 高架なので、車窓の景色はよい。

 制作本部での打ち合わせの話題を増やそうかなと、なにとはなしに思いついたときに、その声が聞こえた。

 うめくような声である。

 周囲を見回す。

 誰かが、電車に揺られて、うとうとしているうちに、いびきをかいてしまったのだろう、と思ったのである。

 しかし、眠っている人はいない。

 ヘッドホンを耳に付け、眼を閉じている人は何人もいる。

 だが、いびきをかくほどに、眠りこけている人はいない。

 空耳かな、と思った。

 最近は運動不足だし、眼も悪くなってきた。

 この上、耳が故障しては大変だ。

 外の景色を見る。

 うめき声が、また聞こえてくる。

 空耳ではない。

 うめくような、泣くような、なんとも形容しがたい声である。

 そのうち、それが歌声であることが分かってきた。

 お経とかご詠歌とか、そういうような歌なのだ。

 うめき声のような声で調子をとりつつ、低い声で歌っているのである。

 男の声であることは分かる。

 切れ切れに言葉も分かった。


 ……僧侶が血を吐き……、

 ……暗い無間の旅に出て……、

 ……針の女山にからすが飛んで……、


 こういった言葉の断片は聞き取れたが、全体の歌詞は分からなかった。

 低い、うねるようなメロディーも聞いたことがないものだ。

 スマホから音が漏れているのだろう、と私は考えた。

 音の出てくる方角を探す。

 その方角は、喪服の婦人を指していた。

 だが、婦人はヘッドホンを付けていない。

 婦人の右隣はサラリーパーソンであり、ヘッドホンは付けていない。

 熱心に経済新聞を読んでいる。

 左隣は若い女性であり、やはりヘッドホンを付けていない。

 鏡を見ながら化粧をしているのだ。

 誰もスマホを使っていない。

 それでも、苦しみをはき出すような歌は聞こえてくる。

 やはり、婦人の方から音が聞こえてくる。

 もっと正確に言うと、婦人の持つ白い箱の中から声が聞こえるみたいだ。

 どういうことなんだ……。

 私は、うつむいたままじっとしている婦人の方を見つめた。

 間違いない、うなるような、うめくような歌は箱から出ているのだ。

 もちろん箱の中にスピーカーが仕掛けてあるのだろう。

 あの箱の中に人がいるはずはない……。

 猫なら入れるかな?

 そのとき私は気が付いた。

 婦人の両側に座っている人たちは、自分の事に専念しているのだ。

 この歌が聞こえないのだろうか。

 かなり奇妙な歌である。

 聞こえれば、気味悪がって顔をしかめるくらいはしそうなものだが、サラリーパーソンは新聞を読み、若い娘は口紅を塗るのに夢中である。

 車内の誰にも聞こえないようである。

 聞こえているのは私一人。

 妙な歌を聞いて、はてな、と思っているのは私一人。

 どういうことなんだ……。

 平日の午後。

 空は晴れている。

 電車は軽快に走っている。

 私だけが、うめくような歌を聞いているのだ。

 これは、どういうことなんだ……。

 もう一度、自分の耳を疑った。

 空耳――。

 だが、電車が出す騒音は聞こえるし、婦人の隣のサラリーパーソンが新聞をたたむ音も分かる。

 耳が変になったのではない。

 では、この歌は何なのだ?

 なぜ、他の人たちは奇妙な歌を無視しているのだ?

 どういうことなんだ。

 私は、合理的な説明を考え続けた。


 私は工学部を卒業して、競争の激しいゲーム業界で生き抜いている人間である。

 状況を冷静に分析して、最善の手を打つことには慣れている。

 この状況にも合理的な説明がつくはずだ。

 合理的――。

 そうか!

 ようやく納得がいった。

 これは、『びっくりカメラ』のようなものなのだ。

 

 よくテレビの番組で、タレントをだますのを見かけることがある。

 例えば、若い女性のテレビタレントの所へ、知り合いのプロデューサーが、超大作の映画へ出演するチャンスが出来た、と言って来る。

 若い女性のテレビタレントは、もちろん、大喜びする。

 ただしオーディションがある、と条件を言う。

 歌と踊りの審査に合格しなければならないのだ。

 若い女性のテレビタレントは、「頑張ります」と健気に答える。

 そして、オーディション当日、指定された会議室へ出向く。

 そこが審査会場なのだ。

 指定された服装は水着。

 若い女性のテレビタレントは、水着に着替えて会議室へ入る。

 だが、会議室の中では、会社幹部とおぼしき人々が会議をしている。

 会社の将来を決める重要会議、といった雰囲気である。

 若い女性のテレビタレントは、完全にパニックになる。

 そこに、有名なお笑いタレントが入ってくる。

「はぁい、びっくりしたでしょう」

 

 これ、これなのだ。

 もちろん私はテレビタレントではない。

 普通の会社員である。

 だが、『びっくりカメラ』の番組はマンネリ気味である。

 テレビタレントではない、素人をだまそうということになったのだろう。

 そこで、なぜか、私に白羽の矢が立った。

 これなら納得がいく。

 この車両の人間は、私を除いて、すべて俳優なのだ。

 みんな、妙な声が聞こえないふりをしているのだ。

 網棚の上の荷物にテレビカメラが仕掛けてあるのだ。

 私が完全にパニックになった時、お笑いタレントが出てきて、「はぁい、びっくりしたでしょう」と言う。

 こういう筋書きに違いない。

 私は、もう一度、車内を見渡した。

 どこかにお笑いタレントがいるはずだ。

 有名なお笑いタレントたちの顔を思い浮かべながら、車内を見渡す。

 だが、それらしい人物はいない。

 変装しているのだろうか。

 もし変装しているなら、よほどうまく変装しているのだ。

 白い箱から聞こえてくる歌の調子が変わった。


 ……黒い御殿に料理をならべ……、

 ……おおい、おおい、と話しかけ……、

 ……背中におぶさり、生肝しゃぶり……、


 私は、お笑いタレントを捜し続けた。

 どこかにいるはずだ。

 これはテレビの収録なのだ。

 そのとき、車掌の声が聞こえた。

 もうすぐ次の駅へ着く、というアナウンスである。

 そうか、分かった。

 お笑いタレントは次の駅に待機しているのだ。

 電車が止まり、パニックになった私が車両から飛び出そうとしたとき、ホームにいたお笑いタレントが入ってくる。

「はぁい、びっくりしたでしょう」

 これに違いない。

 これなら、合理的な説明が、すべてつく。

 電車にブレーキがかかった。

 車窓の向こうにホームが見えてくる。

 電車のスピードが落ちる。

 電車が止まった。

 ドアが開く。

 私は、意識的にゆっくりとした動作でホームへ降りた。

 ホームには誰もいなかった。

 そのまま、脇目もふらずに早足で歩く。

 階段を下り、改札のゲートにスマホをかざした。

 そして――、この駅から離れた。

 二度とこのルートを使うことはないだろう。

 大都会のいいところは、交通ルートを選べることである。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ