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赤いてるてる坊主

てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ

            (『てるてる坊主』浅原鏡村)



 飯島誠治が世を捨てて庵を結んだ場所は県境の山奥であった。

 四方から山が迫る土地で、ほとんど日が射さない。

 しかも気流の関係で、一年中、霧に覆われている。

 あの事件で世を捨てた飯島誠治にとっては、ふさわしい場所であった。

 飯島誠治は、まだ二十代であったが、心は既に朽ちていたのである。

 あの事件。

 自分の一言が、あの事件を引き起こした……、と飯島誠治は、間断なく後悔し続けていた。


 飯島誠治は、身体を動かすのが好きで、歌が上手であった。

 また、子供と遊んでいると時間を忘れてしまう。

 こうした性格を生かすのに最適な職業として、飯島誠治が選んだのは幼稚園の先生であった。

 子供たちといっしょに合唱をして、ダンスを踊る。

 晴れた日には、運動場でゲーム。

 雨の日は、読書会。

 これを毎日繰り返し、そして給料を貰えるのである。

 飯島誠治は、これぞ天職、と思うのであった。

 飯島誠治がいちばん得意としたのは朗読であった。

 絵本を、思い入れたっぷりに読むと、園児たちは、目を輝かせて、聞き惚れるのであった。

 例えば、〈アリババのぼうけん〉。

 もちろん、アラビアンナイトの話を、易しくした絵本である。

 この本を朗読した後で、園児たちの間では、砂漠の遊びが大流行した。

 砂丘を登ってオアシスを探す――。

 盗賊との壮絶な戦い――。

 秘密の岩戸を開ける不思議な呪文――。

 そして、光り輝く財宝――。

 こうしたシチュエーションで、園児たちは、アラビアンナイトを楽しんだのである。

 だが、木谷亮太だけは宝探しの冒険に加わらなかった。

 他の園児たちが遊ぶのを、独りで見ているのであった。

 遊びに入りたいけれども、入れない、というのではない。

 冷ややかに遊びを見ているのでもない。

 ただ、見ているだけ、という雰囲気なのである。

 そして、飯島誠治に質問した。

「せんせい、なぜ、ゴマなんですか?」

「え?」

「たからもの、のトビラをあけるのに、ひらけゴマ、というんでしょう」

「ああ、その呪文のことか」

 飯島誠治は、これは秘密だよ、というように声を落とした。

「あれはね、さばくの、まほうつかいの、とくべつな、ことばなんだよ」

「ふうん。まほうつかい……、ことば……、トビラがひらくんだ……」

 木谷亮太は、子供らしからぬ目つきで飯島誠治を見て、部屋を出て行った。

 飯島誠治は、考え込みながら、木谷亮太の後ろ姿を見ていた。

 この木谷亮太という園児は、どこか、他の園児たちと違うところがある、と考えていたのである。

 人見知りがはげしく、人の中に入れない、というのではない。

 人を見下す、過剰なプライドが育ちつつある、というのでもない。

 ただ、どこかが、他人と違う、のである。

 その違いを飯島誠治が分析することはできなかった。

 人と違うのは、木谷亮太だけではなかった。

 その母親の木谷満里子も、飯島誠治から見ると、いささか変わっているのであった。

 母親との面談で、木谷満里子が最初に発した言葉は、〈超能力〉であった。

「亮太には超能力があるんです」

「え、超能力?」

 飯島誠治は、何と答えていいのか分からなかった。

「犬や猫と話ができるんです」

 そんなことか、と飯島誠治は思った。

 子供が、犬や猫に話しかけるのは、よくあることである。

 それを大げさに、超能力とは、考えすぎではないか。

「私の心を読むこともあるんです」

「心を読む?」

「食事の用意をして、呼ぼうとすると、もう背後に来ているんですよ」

 お腹が空けば、母親の所に来るのは当たり前ではないか。

「最近は、部屋の扉を、念力で空けるんです」

 前に家庭訪問した園長から、木谷満里子が豪邸に住んでいることを聞いていた。

 木谷満里子の夫は大企業の副社長であり、破格の給料を得ているのである。

 新築の豪邸ならば、部屋の扉は、摩擦なくスムースに動くであろう。

「息子に聞くと、心の中で、開けゴマ、と唱えるのだそうです」

「……」

「初体験が、いけなかったのです」

「初体験?」

 飯島誠治は、話の展開が読めなかった。

 木谷満里子は話を続けた。

 彼女は、大学卒業後、総合商社に就職したのだが、そこの社長の息子に見初められてしまった。

 結婚相手としては十分過ぎる人物である。

 彼女は、イエスと言った。

 そして、夜の海岸で初体験をしたのである。

 飯島誠治は、あわてた。

「あ、あのう、亮太君のための面談ですから、そういう話は、ちょっと……」

 だが、彼女は話を続けた。

「そのとき、お腹の中に真っ赤な星が入るのを感じたんです」

「ですから、そのう……、そういう話は……」

「あの赤い星がお腹に入って妊娠したんです」

 飯島誠治は、あ然として、話を聞くだけであった。

「だから、あの子は、普通とは違うんです」

「そうですか……」

 面談が終わったとき、木谷満里子は、甘い笑顔になった。

「先生、電話番号を教えて頂けません?」

「は?」

「超能力が強くなってきたら、私には手に負えません。頼りになるのは先生だけですわ」

 飯島誠治は、番号を教えた。

「それに……」

 木谷満里子は、帰りながら付け加えた。

「主人が、アメリカ出張で、留守なんです」


 幼稚園から車で1時間ほどの場所に、壮大な日本庭園があった。

 江戸時代の豪商の庭で、現在は、庭園として公開されているのである。

 この庭園は、幼稚園の遠足に格好な場所であった。

 毎年、初夏の陽気の良い季節に、バスでこの庭園へ遠足するのが恒例の行事であった。

 その年――。

 なぜか天候不順で、雨が続いていた。

 遠足の前日まで、止むことなく雨が降っていたのである。

 雨ならば遠足は中止。

 別の行事が予定されていた。

 だが、園児たちが、長いこと楽しみにしていた遠足である。

 なんとか、遠足を実行させたい。

「みなさん、あしたは、えんそくですよね。でも……」

 遠足の前日、飯島誠治は、園児たちに話しかけた。

「でも、このままだと、あめで、えんそくにいけません」

 園児たちは、悲しげな顔をしている。

「だから、はれるように、てるてるぼうずをつくりましょう」

 書き損じの画用紙を丸めて核を作る。

 それを折り紙で包む。

 凧糸で縛り、てるてる坊主が完成する。

 教室の窓に、多数のてるてる坊主を吊し、全員で、てるてる坊主の歌を合唱した。

「みんな、おうちへかえったら、もうひとつ、てるてるぼうずをつくりましょうね。それで、はれるように、おねがいしましょう」

 園児たちは帰っていったが、木谷亮太が近づいてきた。

「せんせい、てるてるぼうずは、しろ、なんですか?」

「え?」

 これは鋭い質問であった。

 窓に吊されたてるてる坊主は、確かに白い紙で作られたものばかりである。

 他の色の紙で作ってもよいではないか。

「しろ、ではない、いろでも、いいよ。りょうたくんは、どのいろがいい?」

「ええと……」

「そうだ、あか、にしなさい」

「あか、は、おひさまの、いろですね」

「そう」

 飯島誠治は、園児たちの間でいちばん人気の高かった〈アリババのぼうけん〉を思い出していたのである。

 灼熱の太陽が砂漠の空に輝いている――。

 その考えが木谷亮太にも分かったのであろう。

 木谷亮太は、納得した顔付きで帰っていった。


 その日の深夜、飯島誠治のスマホが、けたたましく鳴った。

「もしもし、飯島です」

「先生、木谷です。木谷満里子。すぐ来て下さい」

「奥さん、こんな夜中に、困ります」

「お願い。すぐに来て……」

「ご主人が不在の夜に、いくらなんでも……」

「そうじゃないんです。息子のことです」

 電話の声には、ただならぬ雰囲気があった。

「超能力が……。まだ幼いから……」

 言葉が支離滅裂で、興奮している。

「分かりました。伺いますから、落ち着いて」

 飯島誠治は、車で木谷の家へ向かった。

 雨が降り続く深夜の国道には、他の車の姿は見えなかった。

 木谷満里子は玄関で待っていた。

「ああ、先生……」

「亮太君が、どうかしましたか?」

「幼いから……、超能力の加減が分からなくて……」

「加減?」

「てるてる坊主なんか、作るから……」

「ともかく、亮太君に会いましょう」

 木谷満里子は、泣きながら、飯島誠治を子供部屋へ案内した。

「ここです」

 子供部屋に入り、飯島誠治は言葉を失った。

 部屋の熱気に圧倒されたのだ。

 砂漠のような熱さである。

 寝台の上に吊された、赤いてるてる坊主から、強烈な熱が出ているのだ。

 砂漠の太陽であった。

 そして、木谷亮太は、寝台の中で、木乃伊になっていた。


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