将は幻影の笛を吹く
それから、ザキはサハジ副官を介して斥候と伝令を放った。
ガンダルヴァ国は複数の藩王国を統一した国家であり、各藩には中央政府と地方議会から承認を得た知事が置かれる。
知事を太守と呼ぶのも、藩王国だった頃の名残だ。
統一国家となって300余年が経過しても尚、各藩に恭順の意識は希薄だった。
ガンダルヴァ人の数千年に渡る民族性とでもいうべきか。
各藩はそれなりの自治が認められており、軍の指揮権も太守が持つ。
つまり極論、中央から派兵の要請があっても太守が突っぱねることも可能なのだ。
尤も、そうなると反乱とみなされ別の藩から攻撃される危険性も孕んでいる。
なので、ザキは先手を打って工作を仕込んだ。
ザキは各藩の商人組合と強いパイプを持っている。
組合に弟子たちを軍事顧問として送り込み、訓練を施し、自衛用という方便で武装化していた。
彼らは藩と藩との交通の要所である駅家の運営に関わり、馬という最速の交通手段と情報伝達を抑えていた。
この強力な商人ネットワークで情報戦を制するのだ。
各藩の太守に
「此度の騒乱は、かの高名なザキ先生の率いる藩軍が悪政極まるアワド太守を成敗し、議会を正したものである」
「中央への叛意はない。また、他藩への攻撃の意思はないと確約するものである」
「だが我々への敵対行為に関しては、その限りではない」
と、虚実織り交ぜ、脚色を加えて伝えた。
ザキは、この日のために不本意ながら名声を高めていた。
師を尊敬するあまり過分に持ち上げる弟子や商人たちは、勝手にザキを肥大化させて各地で講談師のごとく触れ回った。
ザキ先生こそ腐敗した中央政府軍の職を自ら辞して、困窮する地方の人々と共に生きることを選んだ傑物。偽りの名誉を捨てて野に潜んでいた孤高の剣豪であり、類まれなる将器を持つ侠──という些か脚色された、しかし民衆の好みそうな宣伝を方々に広めていたのだ。
文字を読める知識層のために、ザキは本も書いていた。
思想書、歴史書、兵法書などなど、それらも商人によって各地に流通し、将校クラスの軍人、議員、太守たちが手に取った。
各藩には、中央に不満を持つ太守もいれば、ザキに心酔する太守もいる。
また太守とは別に、商人組合が議会を掌握している藩もある。
そういった藩は味方にならずとも中立でいてくれれば良い。
中央は表向きザキたちの反乱を黙認するだろうが、いずれ時期を見て軍を差し向けてくるだろう。
こんな国盗り紛いの行為を認めてしまっては、国家としての統制が乱れ、ゆくゆくは自分たち中央政府も打倒されることくらい、平和ボケした世襲議員どもでも想像がつく。
だから先手を打って──
「こちらから打って出るのだ」
ザキは、速攻をかけて中央を落とすつもりだった。
アワド藩の議会を掌握し、藩軍を指揮下に置き、再編成し、一気にガンダルヴァ中央府を叩く。
その戦略の内に、シューニャという人の形の災厄が組み込まれていた。
ザキたちがアワド藩を制圧して半月後──細かい事務処理は残っているが、議会はほぼ掌握していた。
前太守の下で利権を貪っていた議員らは、事前に商人組合側に寝返っていた者を除いて、財産没収の上で追放とした。
彼らは他藩の親戚を頼って逃亡するだろうが、その道中で恨みを抱く市民の報復に合っても、それはもはやザキ達の関知するところではない。
「大衆が憎しみをぶつける生贄が必要なのじゃよ。クソ太守を公開クビチョンできれば手っ取り早かったんじゃが、シューニャにブッ殺されてしもうたからの。だから、太守のお友達の皆さんに代わりをやって頂いた」
テントの下で、ザキは淡々と残酷な仕置を説明した。
サハジ副官は、温厚な師の別の顔に寒気を覚えた。
「既に街道で何人か吊るされているようですが……」
「ん、誰も降ろさないようなら腐る前に適当な墓に埋めてやれ」
さらり、とザキは死体の処理について指示した。
既に大した関心事ではないが、衛生上の問題もあるし、新政権の寛大さを宣伝するのに利用できる。
ザキは今、遥かに大きな問題と苦労に直面していた。
「はぁぁ~~……やりたくないのぉ……」
心底、うんざりした溜息を吐いて肩を落とす。
ザキとサハジ副官の待機するテントの前方には、ずらりと藩軍の部隊が整列していた。
再編成を完了したアワド藩軍の歩兵、弓兵、騎兵、将校諸々、総勢約5千人。
まだ夏の日差しは厳しく、兵たちの額には汗が浮かび、苛立ちがつのり始めていた。
「夏の集会っちゅーのは本当にムカつくよなぁ~? 学校でも軍隊でも、無駄に待たせて何十分もくだらん話を聞かせる校長だの将軍様だのマジでブッ殺したくなるわ」
ザキは本音まじりの愚痴をぼやくが、今の彼こそが殺意を向けられる当事者なのだ。
「待たせてるのは将軍でも校長でもない。成り上がりの良く分からんオッサン……つまりわしじゃ。叛意反感殺意はムッキムキじゃな?」
「なら、早く演説やっちゃいましょうよ……」
「ふふふ、演説だと? わしはこれから、演習を装った他藩への侵攻作戦をぶっちゃけるんだろうが」
ザキの不敵な笑み。
真実を知らされているとはいえ、サハジ副官は真っ青になった。
「この状況でそんなことを言ったら……!」
「それを言い包めるのが、戦争を始めたわしの責任なのじゃよ」
半ば諦め、半ば決心し、ザキは断崖に身を投げる気分で席を起った。
議会は買収や裏取引で懐柔できても、ザキは軍を掌握しているとは言い難かった。
軍人たちから見れば、ザキは太守から藩を乗っ取った簒奪者でしかない。
ザキが元軍人といっても、二十年も前の話だ。しかも中央政府軍勤務だったので、当時の知り合いは田舎のアワド藩軍には皆無。コネがないのだから根回しなど出来ない。
テントから一歩出ると、5千人の視線に全身を撃ち貫かれるのを感じた。
肌がピリピリと痺れるのは……日差しのせいではあるまい。
「まさしく、針のむしろじゃな」
敵意、不信、不安、軽侮、負の感情がチクチクとザキを刺す。
勝負馴れした剣者は、対手の心理を読むのにも長けている。
兵たちが自分をどう思っているか、ザキには手に取るように分かった。
「一人で5千人を相手せにゃならんとはのぉ」
心底、嫌気がさす。
だから──戦争はやりたくないのだ。
彼らを言葉で説き伏せ、真に配下としなければ戦争は出来ない。
これが責任だ。人と関わり、人を見捨てられず、世を変えるために立ってしまった者の責任だ。
ザキの一世一代の孤独な大勝負が……始まってしまった。
アワド藩は起伏が小さい土地だ。
少し高台に昇れば、遥か地平線の彼方まで見渡せる。
ザキは演説のために用意された台に昇った。
荒涼とした大地と夏の乾いた青空の間に、5千の兵が並んでいた。
一旦「ふう……」と息を吐いてから、ザキは拡声用の魔石に顔を近づけた。
「あー……端の方まで聞こえておるかな?」
魔石は内部を集音に適する形で切り抜かれている。
内部に入った声が共振し、兵たちの四方に配置された同一形状の魔石から、山びこのようにザキの声が響いた。
四方の魔石を担当する兵士から、動作良好を示す旗が上がった。
「うむ。では──」
ザキは、はぁーっと息を吸い込んだ。
魔石で拡声されるとはいえ、ベースとなる声は大きくなければならない。
檀上でのスピーチなぞ中央政府軍の教練所以来だが、緊張も恥も死ぬよりはマシだと思えば何も怖いものはない。
命を失う真剣勝負、部下を死なせる実戦に比べれば、5千人を騙す芝居なぞ屁でもない!
「──諸君! わしはこの度、新たな太守より藩軍の司令官に任命されたザキじゃ。要するに諸君にとって、一番偉い上官というわけじゃ」
さっそくの詭弁である。
新太守は副知事が繰り上がりで就任したが、その実態は商人組合の傀儡である。
傀儡に任命された司令官など、彼らが上官と認めるわけがない。
事実、何人かの士官級の人物が皮肉っぼい苦笑いを吹き出す様が見て取れた。
──まあ、想定の内じゃ。
ザキは構わず、演説を続けた。
「これから総軍の演習──ということになっておるが……わしらは隣接するナグープル藩との国境まで進行する。そして、そのままナグープル藩内に侵入する。この意味が分かるか?」
発言の真意を理解した士官と将校らの顔に動揺の色が見えた。
ザキは反論の隙を与えず、一気に畳みかける。
「まず言っておくが、わしは前太守とは違う! 諸君らも既にちゃんとした給料を受け取ったであろう? その手に持っている槍も、身にまとう鎧も新品を支給した。諸君らはもはや、民に盗賊まがい、汚職兵隊と蔑まれることはない! このわしが、子や親に胸を張って誇れる真の軍人にしてやろう!」
ザキは兵士たちに待遇の改善という目に見えた実利を与え、これからもたらされる名声と尊敬という餌をぶら下げた。
檀上でパン、と両手を叩く。
それを合図に、ザキの後方で配下の事務官たちが机と椅子を持って現れた。
「わしに不満を抱く者、ついてこれないと思う者はこの場で除隊して構わん! すぐさま手続きをせよ! 退職金も手配しよう! わしは一切、それを責めようとは思わん。諸君らの心の自由を尊重する!」
これが、ザキの心理戦だった。
まず誠実さをアピールし、選択を兵個人の自由意思に任せる──ように見せかけた。
現実として、一般の雑兵はこういう場で自己主張できるような訓練はされていない。逆に命令に従順になるように、徹底して個を殺す訓練を施されるのが末端の兵卒だ。
彼らは前に出て除隊の手続きをしろ、と言われても出てこられない習性を持っている。
そんな兵隊アリから脱して自己判断を出来る意思と決断力を持った者が、士官や将校になれる。
仮に誰か一人でも士官級が除隊手続きに出れば、堰を切ったように除隊者が続き、この場でアワド藩軍は崩壊しかねない。
──だが
そんな勝算の低い分の悪い賭けをするほど、ザキは愚かではなく、また若くもなかった。
夏の熱気に蒸された兵たちの頭上には、蒸発した汗で靄がかかっていた。
彼らの意識もまた、長い整列と小難しいザキの演説で朦朧とし始めていた。
隊列の中央付近から、声が上がった。
「──俺は! ザキ先生についていくぞッ!」
一人の中隊長級の士官が槍を持ち上げて叫んだ。
「俺は軍人だ! このままアワドの田舎に一生篭っていて、何の栄光が得られる? 何もせず給料を貰って腐っていくより、ザキ先生の下で一花咲かせたい! これは大いなる機会だと思うッ!」
それに続いて、別の隊からも声が上がった。
「ザキ先生は兵法を以て、我らの血を流さず太守を打ち倒した! 仁義と知恵のある御方だ! この方の下でなら、俺たちは存分に戦える! 決して無駄死になどしない!」
ざわめきが兵たちの間に広がっていった。
「世直しのために命かけるは武人の誉よ! タジマ様の時代のように、我がアワド藩は世直しに立ち上がるのだッ!」
その後も、兵たちを鼓舞する声が相次いだ。
これこそがザキの仕込んだ策であった。
ザキはアワド藩軍にコネを持っていないが、士官や将校の中にはザキの本を読んで感化された者も少なくない。
彼らに事前に接触し、タイミングを見てザキに賛同する声を上げるよう命じていたのだ。
その他に、単に金を渡されたサクラもいる。
原始的な手段だが、人間とは群れの生き者。軍隊ならば尚のことだ。
朱に交われば赤くなる──ということわざの通り、5千人の兵士はザキに同調する色に染まっていた。
もちろん、不承の将校もいる。だが、彼らとて流れには逆らえない。
人流と炎天下の熱は、兵たちから正常な判断力を奪っていた。
この暑苦しさと汗から逃れられるのなら、もうどうなっても構わない。なるようになれば良い……という諦めから、ザキに同調する者も多かった。
話術、サクラ、そして夏場の野外、全てはザキの策略だった。
ザキはしたり顔を自信ありげに見せかけて、檀上で高らかに謳った。
「ありがとう、諸君! わしは諸君らに誓おう! 戦をするなら必ず勝つ! 二度と諸君らに惨めな思いはさせん! 我らを苦しめる諸悪の根源たる者どもを成敗するのじゃ!」
5千人の兵がザギを見る視線は、演説前とは一転していた。
賞賛、憧憬、尊敬、崇拝。それらがザキの肌にまとわりつき、ヒリヒリと焼け付いた。
兵士たちはザキに心を読まれ、利用され、自分の自由意志で戦争参加を選択してしまった。
──だから、戦争なぞしたくないのだ。
歓声を浴びながら壇上から降りたザキは、心底うんざりした顔だった。
「ああ……人を騙すのは最悪の気分じゃ。それも、罪もない味方の兵たちを……」
迎えるサハジ副官は、喜ぶべきか嘆くべきか困惑していた。
「ザキ先生……これで、絶対に……負けられなくなりましたね」
サハジ副官は熱狂に飲まれない賢い男だ。
これからの困難を理解している。
「一度でも負ければ兵たちの熱は冷めるどころか……反転しますよ」
「分かっておるわ。あやつらに必要なのは成功体験じゃ。わしについてきたのは間違いではない。自分たちは正しかった──と確信できる、完全な勝利……」
ザキはテントに入って、椅子にどっと腰を下ろした。
周囲に兵たちの目がないことを確認してから、両手で顔を覆い……深く疲労した溜息を吐いた。
「はぁぁぁぁ……。きっついわ……」
「勝てますか? ナグープル藩に?」
サハジ副官が冷水の入った壷から手ぬぐいを出して、ザキの顔にかけた。
「勝つのが、わしの責任じゃ」
手ぬぐいの下から、ザキのくぐもった声がした。
サハジ副官は、手ぬぐいに覆われたザキの顔を覗いた。
「先生にしてみれば、負ける方が難しいのでは?」
「驕るな。いかに知恵と策を凝らしても、勝負とは……最後は時の運じゃ」
買い被りの過ぎるサハジ副官を窘めるように、手ぬぐいの下でザキは続けた。
「勝利の女神とは……気まぐれな悪女よ。調子に乗り過ぎた奴は簡単に見放す。それを忘れるな」
ザキの短い説教は、自分に言い聞かせるようでもあった。
百戦錬磨の名将を装っていても、軍隊同士の大規模な会戦はザキも未経験であり、
それはナグープル藩も中央政府も同じだった。




