然らば、最果てのパーターラへ
ガンダルヴァの神話では、人は死後にヴァイタラニと呼ばれる冥界の大河を渡る。
悪しき者は渡る術を持たずに流され、善き者には小舟が用意されるという。
また、生ある者は死後には地下の世界へ落ちていくともいう。
パーターラと呼ばれるその世界は、あらゆる苦しみから解放された楽園と伝えられている。
しかし、それらはどれも迷信に過ぎない。
実際に見て帰ってきた者がいないのに、どうして死後の世界が分かるというのか。
全ては──人間が死後も自己が継続する儚い永遠を思い描いた、空想の世界でしかない。
「ほうれ……やっぱり大嘘だったじゃろうが」
ザキは、ゴミの山の中で呻いた。
奇妙な半透明の袋の中に、臭い生ゴミや得体の知れないガラクタが入っているので……これは多分、ゴミ袋なのだろう。
「パーターラには……ゴミ捨て場があんのか?」
少なくとも、ここは神話に描かれる楽園ではないということだ。
見上げる空はぼんやりとモヤがかかっている。
微妙に肌寒いので、今は朝なのだと思う。
石の壁には見慣れぬ文字が書かれていた。なんらかの象形文字。北方帝国の文字に近い気がする。
周囲を囲むのは王族の城のような高い高い石の塔。青や赤の不思議な色の灯りがついている。蝋燭や松明のものではない。
遠くから、石臼を高速で回すような……何かの駆動音も聞こえた。
「どこじゃろうな、ここ」
シューニャとの戦いの後、気がつくと──ザキは見知らぬ場所にいた。
自分の体が、仰向けにゴミの山にめり込んでいる。やけに尻が痛い。
「あぁ……つつっ……いった……ケツいった……!」
この状況から判断して──
「どうやら、わしは……異界に落ちてしまったようじゃのう?」
そう考えるしかない。
死の寸前に夢を見ている可能性はない。ケツがじんじんと痛む夢など見たことも聞いたこともない。
「ま、シューニャだってわしらの世界に落ちてきたんじゃから……その逆があっても不思議ではないわなぁ~?」
ザキは痛みに耐えながら、体を起こした。
「あぁ~……年寄りにはきっつぅ……あん?」
体が、妙に軽かった。
関節の軋みがない。思い通りに手足が動く。夜に光を見ても目が霞まない。
「ちょっと待て。なんじゃこりゃ……」
服装は死んだ時に着ていた戦装束だが、刀は鞘ごと消えていた。
ゴミの山から降りて、石造りの道を歩く。
周囲の建物は全て窓にガラスが張られている。ガンダルヴァではあり得ない。明らかな異界である。
二つの車輪が前後についた奇妙な乗り物とすれ違った。人間が人力で漕いでいるようだが、あんな物も初めて見た。
「乗っていたのは……パイやヘイ達みたいな顔つきの人種じゃったな」
冷静に観察し、思考を整理しながら、ザキは自分の体を再確認した。
夜が明けつつある。街灯の光もある。
まだ暗いが、自分の体の様子は見えてきた。
「肌がガサガサしていない……体調も良すぎる……まさか、これはまさか……」
路上に止められた大きな二輪車に、鏡がついているのを見つけた。
その鏡を覗いて、ザキの予想は確信に変わった。
「おいおいおい……マジかよ」
ドン引き四割、戸惑い三割、恐怖が二割、喜び一割。
鏡の中のザキの顔は、二十代の頃に若返っていた。
それから、ザキは異界の街を散策した。
情報収集は兵法の基本である。
幸いにも街には多種多様な人種がいたので、ザキが歩いても奇異の目で見られることはなかった。
大多数は、ガンダルヴァにいた頃に雇用していたヘイ・シーグィのような色の薄い肌と黒髪の人種だった。彼らがこの国の主要民族なのだろう。
金髪や黒い肌の異人種もいるが、単に髪や肌を染めているだけの現地人もいるので紛らわしかった。
ガンダルヴァ人と同じような見た目の人種もそれなりに多く、彼らの経営する飲食店を見る限り、文字や文化もガンダルヴァに近似しているようだ。
昼過ぎの飲食店では、懐かしい故郷のスパイスの香りがした。
「ふーん……しかし、腹は減らんのだなあ」
随分と歩き回ったが、飢えも乾きも疲労も感じなかった。
「はぁ……マジでわしはシューニャと同じになっちまったワケだ」
困惑せざるを得ない。
若返っても人間を辞めてしまったのだから、困惑以外に感情は出てこない。
「喜ぶも何も、わしはこの地で何の楽しみを見つけろというのか。いや、そもそも……どうしてわしはこんな姿に──」
ふと背後に気配を感じて振り向くと、肩をとんとんと優しく叩かれた。
ガンダルヴァ人と同じ顔立ちの料理人が、甘い香りの小麦焼き──ナンを持っていた。
「ウチノナーン、オイシイヨー」
なぜか料理人の言葉は片言に聞こえた。
自分がガンダルヴァ語ではなく現地語で話しているからなのか?
ザキは戸惑った。
「いや、わしは金は持ってなくて……」
「ビンボー、ハラヘリ、トテモツラーーイ! ワカールワカール! ワタシ、アナタトオナジ! ネパール生まレ!」
「は? ネパ……?」
「インド料理ダケド! オイシイヨー! タダでオゴリ! ゲンキダシテ!」
料理人にドン、と背中を叩かれてザキはナンを貰った。
なにやら色々と勘違いされたようだが、とりあえず感謝してナンを食べることにした。
「ん……甘いなコレ。この国の人間の舌に合わせたのかのう……?」
ナンの味は、ガンダルヴァで食べたものより甘みが強かった。砂糖でも練り込まれているのだろうか。
食べ歩きながら、ザキはこの世界の文明と文化を観察していた。
幸いにも言語は理解できた。シューニャが最初からガンダルヴァ語を解していたのと同じ理屈なのだろう。
街の道路には大きな機械仕掛けの車が走り、人々は常に小型の機械時計のような物を覗いている。
近くに寄ってさりげなく見ると、四角い手鏡の中に文字が表示されたり、絵が動いているのが確認できた。
「フーン、どうやら元いた世界とは別の技術体系で、遥かに進んだ文明社会のようじゃ」
しかし──
「どこの世界でも……人間は人間のようじゃな」
ザキは少し呆れた。
音楽がうるさい店で売っている大きな鏡には、この世界の出来事が映し出されていた。
料理を食べたり、動物と戯れたり、芸能人が不倫したり、政治家が逮捕されたり、戦争が起きていたり……人の営みはガンダルヴァと大差ないようだった。
つまり、どれだけ文明が発展しても人は業から抜け出せないというわけだ。
「むしろ、より大きい欲望や、便利すぎる道具に振り回されとるように見えるのう」
日が傾く頃には、ザキはこの世界のことをおおよそ理解していた。
そして、未だ迷っていた。
「この世界で……どうしろっちゅーねん」
街のベンチに腰掛け、天を仰いでいた。
神に語りかけるわけではない。そもそも神などいない。自分がここに落ちてきたのも、単なる自然現象なのだろう。
「わしがシューニャと同じなら……強い未練でもあるのか?」
己の未練はなんだろうかと、自問自答する。
「女に縁がなかったことか。子を成せなかったことか。そもそも青春を謳歌できなかったことだろうか……」
パッと思いつくのはそんなところだが、どれもさほど後悔があるように思えなかった。
「別にそんなこと、どうでも良いっちゅーか……」
悩んでいると、目の前の建物から大勢の若者が出てきた。
何十人もの少年と少女。性別ごとに同じ服を着ている。おそらく、学校の制服なのだろう。
「ここは学校ではないな……そう、人を大量輸送できる電車というやつの駅じゃの」
ザキは半日の内に、この世界の文明に適応しつつあった。
だが、まだ分からないこともある。
学生たちの持っているスマホなる道具が、一斉に音を出して振動した。
あの道具が振動するのは何かの通知であることは理解していた。
だが、一斉に鳴るのは不可解だ。
「うへ~、こんな時に怪人警報かいな!」
聞き覚えのある少女の声がした。
声の方向を見ると、誰かに似ている少女が二人。スマホを覗いていた。
「見てみぃクロ子! この怪人きっしょ! カメ怪人きっっっしょ!」
「え~~? そうかな~シロちゃん? わたし、カメさんかわいいと思うけど~~?」
二人の少女は、かつての部下だったパイ・フーとヘイ・シーグィに似ていた。
遠くから、窓ガラスの割れる音が聞こえた。
続いて、緊急事態を知らせるサイレン音がした。
それでも尚、少年少女たちに緊張感はなかった。
「キャハハハ! サハジ~~! 怪人だって~! マジうける! 見にいこうよー!」
「ダメですよ、お嬢様~! 危ないですって~!」
「あぶないワケないじゃーん! どーせ、パパッと退治されちゃうんだから~~! キャハハハハ!」
バカ笑いする少女と、それを情けなく追う少年。
二人を見て、ザキは絶句した。
「なんてこった……アビシャ殿と我が弟子のソックリさんがおる……」
二つの世界の近似性云々を考えている余裕はなかった。
アビシャそっくりの少女がザキの方に走ってきて、すれ違いざまに学生鞄をぶち当ててきた。
「あだっ!」
「あ~、お兄さんごっめーん! キャハハハハハ!」
全く悪びれず、少女は笑いながら走り去った。
代わってサハジに瓜二つの少年が「ゴメンナサイゴメンナサイ……」と連呼して頭を下げながら、お嬢様と呼ぶ少女を追って行った。
「この世界でも、我が弟子は苦労人のようじゃ……」
学生鞄を当てられた肩をさすりながら、ザキはガンダルヴァに残した弟子の人生を心配した。
きっと、あちらの世界で夫婦になった後もアビシャに振り回されているだろうと。
「しかし、怪人とな……?」
会話の内容と現状から判断すれば、何らかの危険が発生したのだろう。
だが脅威と感じている者は少ないようだ。
怯えて避難する者より、興味を抱いてサイレンの方向に向かう者の方が多い。
「うちの学校の子にヒーローいるんだっけ?」
「B1ランク! あと一体倒せばA5ランクに昇格だって!」
「マジ? こんど一緒に写真撮らせてよ~!」
誰も彼も、まるで遊戯を楽しむような口ぶり。
「さて……どうしたものかの」
ザキは少し、考えた。
起きているのは恐らく厄介事。異邦人の自分が首を突っ込む義理はない。
下手に関われば面倒が増えることは間違いない。
そんな危険を冒してまで、情報収集に行くべきだろうか。
「ま、わしが人間だったら……慎重に動いたろうがな?」
ザキは勢いをつけて、ベンチから立ち上がった。
人の波を掻き分けて、サイレンと爆音の出元に向かう。
近づくにつれ、懐かしい臭いが強くなる。
「血と炎の臭い……戦の臭いじゃ」
平和な街中に似つかわしくない臭気に、ザキは目を細めた。
スマホで遠巻きに撮影する群衆をすり抜け、警察の制止を無視して、立ち入り禁止のテープを飛び越えると──
異界の戦場が広がっていた。
「あがァッ!」
二本脚の亀のような異形が、悲鳴を上げて吹き飛ばされた。
甲羅が道路に擦れて火花を散らし、ザキの真横の壁にめり込んだ。
吹きあがる土煙、砕け散る破片。
その奥で、異形を殴り飛ばした男の声がした。
「カーッ! かって! やっぱ亀だから固ェ!」
若い男の声。
ザキが目を凝らすと、全身を赤い鎧に包んだ男がいた。
顔面も装甲に覆われ、目の部分だけが青く光っている。
赤い鎧男の周囲には、同じような出で立ちの者たちがいた。
「でもぉ~、ダメージ通ってるよ~? あいつのライフゲージあと500ちょい」
桃色の鎧を着た女と
「あと一匹でA5にランク昇格だろ? 譲るよ。だから、俺の昇格試験の時は頼むぜ?」
緑色の装甲の男だった。
赤い鎧男の仲間のようだが、この状況を見てザキは背筋に悪寒を覚えた。
下衆に対して抱く、冷たい憤りを。
「こやつら、嬲って……弄んでおるのか」
ザキは上空に、羽虫の飛ぶような音を聞いた。
小さいレンズの付いた機械が飛んでいる。
あれは遠隔操作で映像を撮影して、遠くに送る機械だと学んだ。
「フン、なるほど……大体理解した」
理解した通りに、状況は動いた。
桃色の鎧の女が、面倒臭そうに誰かと話している。
「は~? 一般人が戦闘エリアに侵入~? 誰よ、ウッザ!」
上空の機械でザキのことを知られたらしい。
すぐ横の破壊された壁の中では、亀の異形がもがいている。
「ア、アァァァ……だ、ダスケデ……」
異形は血泡を吹きながら、ザキに助けを求めていた。
見た目は怪物。確かに怪人だ。
だが、この異形は弱々しく、哀れで……ザキには悪と思えなかった。
「そこのお前、どうして殺されそうになっておるのだ?」
訊ねると、異形は首を振って取り乱した。
「ワカラナイ……気づいたら、こんな姿になって……あいつらに……攻撃されて……」
「あやつらは何じゃ?」
「シラナイ……ワカラナイ! 俺は俺が誰なのか! ここがどこかもワカラナイんだァァァァァ!」
異形は恐怖で錯乱していた。
彼は何もかも忘れた状態で怪物にされ、殺されそうになっている。
そして、あの鎧の一団は彼の命を弄んでいる。
いや、あの一団だけではない。
おそらく、この世界の全てが命を遊戯で弄び、興業として消費しているのだ。
「はは……なるほど。そういう狂った世界か、ここは」
ザキは首をひねって、背後を見た。
群衆が薄笑いを浮かべて、スマホで戦場を撮影している。
目をぐるりと回して、上空を見る。
空飛ぶ機械が殺戮ショーを撮影して、世界中の鏡に映している。
首を正面に向けると、まるで正義の戦士のような鎧をまとった三人が、ザキを見ていた。
「そこの人~、邪魔なんでどいてくださーーい」
まるでチンピラのガキのような軽い口振り。
以前のザキなら。こんなことには関わらなかったろうが──
「ほーう。こやつを殺したいのか、お前らは?」
ザキは薄い笑みを浮かべて、鎧の男たちに向かっていった。
やや猫背で、両腕をだらりと下げて、静かな殺気を笑みに隠して。
ある程度の武道の心得のある者なら、ザキの構えに危険を覚えたはずだ。
だが、鎧の一団は誰一人として気付かなかった。
「なに、あいつ?」
「新しい怪人? サプライズゲスト?」
「人間型だから……指揮官タイプかあ?」
三人は勝手な予想を口にするが、危機感はなかった。
むしろ嬉々として、赤い鎧男が前に出た。
「指揮官タイプならポイント高いっしょ! ここで倒すか撃退したら、視聴者からの高ポイント評価は確実ゥ!」
赤い鎧男が背中から剣を抜いた。
赤熱化した流体金属が刀身を形成し、これみよがしに振り回す。
「ポイントォ! 貰ったァーーーッ!」
赤い鎧男が地を蹴った。
人間を遥かに超えた脚力に、背中から吹き出す炎の推進力が加わり、その速度は神速を超え、生身のザキへと激突し──
次の瞬間、ザキに剣を奪われていた。
「へ……?」
「振りがデカすぎじゃ。たわけ……!」
ザキは鎧男の突進力を逆に利用し、無刀取りに柔術を加えて投げ飛ばした。
一見、ザキの隙だらけの構えなき姿は敵の打ちを誘うカウンターの構えだったのだ。
鎧男は手首を捻じ折られ、体のコントロールを失ったまま回転し、ザキの後方の群集へと突っ込んでいった。
大きな破砕音。そして群衆たちから悲鳴が上がった。
「キャアアアア!」
「なんでこっちに来るんだバカヤロォォォォ!」
群衆たちは、ようやく自分たちが戦場にいると自覚したようだ。
パニック状態の群集は逃げる者、巻き添えをくって倒れる者、なおもスマホで撮影を続ける者、諸々が混ざり合った地獄絵図と化していた。
残った二人の鎧もまた、混乱していた。
「ちょ……なにアレ? どーすんのよ、コレェ! イベントにしちゃヤバすぎでしょォッ!」
「た、多分……あ、新手の指揮官タイプでぇ……」
未だ戦場を知らぬ素人二人。
ザキは奪った剣を下段に構え、すいすいと接近していく。
「抜いたらどうだ? 抜かねば斬るぞ? 抜いても斬るがな」
「き、斬るって……?」
緑の鎧が狼狽えた。
「お、おい……ちょ……武器奪うのはルール違反だろォッッッッ!」
「お前らの理屈なぞ知らんわ。わしは自由なのでな」
「は、はぁぁぁぁぁぁ!?」
「おいおい、他人を殺そうとしたのに自分が殺されるのは怖いか? それは筋が通らんというモンじゃのう?」
ザキが更に間合を詰める。
桃鎧の女は、恐怖を感じて後ずさった。背筋がガクガクと震えていた。
「ご、ごめん……あ、アタシはギブ! もう無理! アレ無理だって!」
女は男よりも、生命の危機を感じる本能が強いという。
その差が明確に表れていた。
緑鎧の男は狼狽えるばかりで決断が遅れている。
「ちょっ……」
「アレヤバい! ヤバいよ! ぜったい……ヤバいよォォッッッッ!」
女は背中を見せて全速力で逃げた。正しく脱兎のごとき、凄まじいスピードだった。
残ったのは、緑鎧の男だけ。
生まれて初めての緊張と恐怖に全身をわなわなと震わせている。武者震いを制御できていない。己が身の震えの理由を理解すらしていない。
「あ、ああ! あああああ! ちくしょォォォォォ!」
まるで、戦場に初めて出た新兵のごとき無様な姿だった。
恐慌状態に陥った緑鎧は、ザキへと殴りかかった。
分厚い装甲に覆われた両腕が生身のザキへと超音速で迫り──
「阿呆め」
ザキは静かに一歩踏み込んで、切っ先を緑鎧の首に突き刺した。
そもそも、素手よりもこの剣の方が間合いは長い。
戦闘の基本すら知らない素人は装甲の施されていない首の部分を貫かれ、声もなく転倒した。
『警告 オーバーダメージ 装着者の生命に 危険が生じています レスキュー用レバーを引いて ただちにイジェクトしてください 警告 警告……』
緑の鎧が機械的な音声で何かを言っている。
装甲から火花が散り、黄色いレバーが露出した。
レバーの周囲の空間に複数の言語で赤い文字が投映表示されたが、ザキは無視した。
「悪いが、何言ってんのか分からんし……文字はまだ読めん」
ザキは剣の柄を弄って、刀身を消すスイッチを見つけた。
緑鎧のことより、この奇妙な剣の方に関心があった。
「フン……目立つが、まあまあ便利な剣じゃの」
ザキは再び刀身を発振すると、上空の撮影機械に向けて投擲した。
回転する剣は容易く撮影機械を切断し、不愉快な映像中継は強制終了させられた。
「フフ……さて、これでわしはこの世界の敵になってしまったワケじゃな?」
ザキは肩すくめて笑った。
とんだ大事に首を突っ込んでしまった。
だが、隠者としての自分はもう死んだ。
既に死人なのだから、もはや何も恐れるものはない。
何者にも、今のザキは縛れない。
「なるほど、わしがこの世界に来た理由が分かった。わしは自由に、心のままに生きるために……この地に来たのじゃろうな」
俗世に縛られ、自由に生きられなかったのが……ザキの唯一の未練なのだろう。
ザキは、壁に埋まった亀の異形に手を差し伸べた。
「立てるか、お前さん?」
亀の異形は、戸惑いながら首を動かした。
「あ、アンタは……いったい……?」
「ん~……わしか? わしは、そう──」
何者なのか、と問われて少し考えた。
シューニャのように名を捨てる気はない。かといって、自分はこの世界にとっては異物に違いない。
よって、名乗るとすれば──
「わしはザキ……ガンダルヴァのザキじゃ」
故郷の地を字名とし、ザキは運命に縛られぬ新たな生を得た。
ガンダルヴァの神話に語られる冥界パーターラの最も深き場所は、異形のナーガたちの住まう土地──ナーガローガと呼ばれる。
異形の者を救い上げ、ふとザキは思う。
案外、シューニャもこの世界に落ちてきているかも知れないと。
ザキの心残りがあるとすれば、もう一つ。
再び会えたなら、今度はシューニャと肩を並べて、共に戦いたい。
「あやつも、わしと同じ願いを抱いていたなら……また、どこかで会えるかもな」
全ての執着から解放されたシューニャと共に自由に剣を振るう姿を思い描いて、ザキは清しい笑みを浮かべた。