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将は月下にて駒を得る

 クリシュナ将軍の屋敷は、ガンダルヴァ統一前の古い皇族の居城を接収して改築したものだ。

 庭園も呆れるほどに広大で、村一つ分ほどの広さがある。

 これでも現在の庭園は小さく改修したもので、かつては象や鹿が放し飼いにされていたという。

 往時の名残から、庭園内には川が流れている。

 ザキは月明かりを頼りに土手の遊歩道を歩いていたが、ふと歩みを止めた。

 水面に映る月を、ぼうっと眺める。

 ここはクリシュナ将軍の屋敷の敷地内。剣は預けてあり、身を守る武器は脇差のみ。そもそも襲撃の心配もないので護衛もつけていない。

 どう見ても、あからさまに、隙だらけだった。

 僅かに草の揺れる音がして──ザキは刺客らに囲まれていた。

「おうおう、素手同然のオッサン相手に数人がかりとはのう」

 ザキは動じることなく、敵を数えた。

 前に一人、やや斜め後方に二人。黒づくめで軽装。武器は取り回しの良い、小ぶりのタジマ刀。典型的な暗殺者のスタイルだ。

 試しにザキが動く素振りを見せると、刺客も僅かに動いた。

 鎖帷子の擦れる音がした。

「そうビビるなよ。わしがこんな脇差を持っているのが怖いのか? ん?」

 ザキが脇差に手をかけると、刺客らは身構えたが──脇差はぽい、と横の草むらに投げ捨てられた。

 理解不能の行動に一瞬、刺客らに動揺が走った。

 その僅かな隙に、ザキは前方に踏み出した。

 ザキは完全な素手である。

 刺客は困惑しつつも、自らの圧倒的有利を疑わずに斬り込んだ。

 闇中に剣が閃き、月光が反射した、次の瞬間──

「がああああああ!」

 刺客が叫びと共に転倒した。

 タジマ刀はザキに奪われていた。

 残った二人の刺客は、何が起きたのか理解できなかった。

 ザキがやったのは、タジマ寺に伝わる無刀取りの奥義だった。

 敢えて隙を見せて敵の攻撃を誘い、カウンターで敵の剣の柄を握り、下から掬い上げるようにして一拍子で奪い取る。

 ザキは無刀取りにてタジマ刀を奪ったと同時に刺客の手首を捩じって折り、足首を踏み砕いて転倒させたのだった。

「おいおい、どうしたどうした~?」

 ザキはおどけるように、ゆらゆらと体を左右に動かして攻撃を誘った。

 それなりの剣境に至った者なら、ザキの無刀取りを見て技至らずと悟り、身を引いただろう。

 しかし、刺客たちは無刀取りの視認すら出来なかった。

 わけも分からぬままザキに斬りかかり──

「のおおおおおおっ!」

 刹那の後、絶叫と共に地面に転がっていた。二人の刺客が、ほぼ同時に。

 ザキは、ほとんど動いていなかった。

 刺客たちの技の起こりと足運びから全てを見切り、相手の動く先に切っ先を置いた。

 それだけで刺客たちは自ら刃に飛び込み、手足を切り裂かれ、柄打ちと峰打ちで首を打たれて転倒した。

「ま……剣の位が違い過ぎたのう」

 刺客たちを殺さなかったのは、情けをかけるほどに余裕があったからだ。

「おぬしらは若いゆえ、まだやり直しも効く。追わぬから、とっとと去ね」

 敢えて一人になったのも、武器を持ってこなかったのも、人気のない庭園の奥に進んだのも、全てがザキの術中だった。

 敵に隙を見せ、カウンターを狙い、最小限のコストで終わらせる。

 それがザキの戦いだった。

 刺客たちが這って逃げていくのを確認して、ザキは川面に目を向けた。

 水面の月が、僅かに歪んでいる。

「わしの気のせいかのぉ~? 川底に竜が潜んでいるように見えるのは?」

 ザキが大声で叫ぶと、川面の月が大きく盛り上がった。

 月は水面を突き破り、巨大な銀色の巨竜と化して現れた。

 それは、昨年にコーチン藩で目撃された直立二足歩行の竜の魔物、地雷之怒ティーレイ・チ・ヌゥだった。

「チィッ……いつから気付いとった!」

 対岸の土手から、異国の魔物使いパイ・フーが顔を出した。

 ザキはやや離れた銀髪の刺客に聞こえるように、声を張り上げた。

「そんなバカでかい竜が気付かれずに移動できると思っとったのか? 川底を歩いてきたようじゃが、川に入るところをわしの兵が目撃しておるぞ~!」

 まるで子供の悪戯を笑うような口調だった。

 暗殺の現場は緊張感のない状況に一変して、パイ・フーは頭を抱えて赤面した。

「ぬぁ~~っ! せやけど! あんたを殺せば無問題やっ!」

「ふん、どうせ依頼主はアビシャ殿じゃろ?」

「知らんっ! ウチは全然知らんっ! 知らんから死ね~~っ!」

 自分の不手際と恥を覆い隠さんと、パイ・フーが地雷之怒ティーレイ・チ・ヌゥをけしかけた。

 もはや隠す必要もないからと、巨竜が吼えてザキに迫る。

 いかにザキが剣豪とはいえ、タジマ刀で装甲に覆われた地雷之怒ティーレイ・チ・ヌゥにダメージは与えられない。

 しかし──ザキは、最初から全てを読み切っていたのだ。

「ほうれ、出番じゃカメェェェーーーっ!」

 どこか脳天気な叫びを合図に、ザキの足元の土手が崩壊した。

 地中から巨大な亀型魔物、羅刹亀ルオ・シャーグィが飛び出したのだ。

 甲羅に四肢と首を引っ込め、回転しながら地雷之怒ティーレイ・チ・ヌゥに体当たりを食らわす。

 銀の装甲から火花が散り、のけぞる竜の絶叫が月下にこだました。

「うげっ! あの亀は、まさか……っ!?」

 パイ・フーは、月明かりを頼りに人を探した。

 相手は隠れているわけではない。すぐに見つかった。

 羅刹亀ルオ・シャーグィを操る魔物使い、ヘイ・シーグイが対岸に立って……パイ・フーに手を振っていた。

「パイちゃ~~ん、ひさしぶり~~!」

 ヘイ・シーグイは同郷の友との再会に、空気を読まずに喜んでいた。

 羅刹亀ルオ・シャーグィの体当たりを食らった地雷之怒ティーレイ・チ・ヌゥは体勢を崩し、再び川の中に没した。

 大量の水飛沫が吹きあがる中、パイ・フーは対岸に叫んだ。

「お前~~っ! なんで、そこにおんねーーんっ!」

「ザキ先生が~~、ここにティーちゃんが来るから、隠れてろって~~!」

 ヘイ・シーグイの言う「ティーちゃん」とは、地雷之怒ティーレイ・チ・ヌゥのことだ。

 旧知の相手の間の抜けた喋り方の脱力感と、ザキに全てを見抜かれていた敗北感で、パイ・フーは戦意を喪失した。

「ああ~、もう……負けや負け! ウチの負けやっ! もう好きにせえっ!」

 パイ・フーは、その場にへたっと座り込んでしまった。

 これまでの旅の失敗もあって、半ばヤケクソになっていた。

「ほう、好きにしろと言うたな?」

 ザキはにたり、と笑ってヘイ・シーグイに目配せした。

 人材の匂いを感じたのだ。

「アレは無職なのか?」

「はい~。たぶん、パイちゃんだけでなく仲間の子たちも~~……」

 ヘイ・シーグイは不安げに、だが少し期待するような目で何かを訴えていた。

 ザキは伊達に歳を取っていない。言わんとすることは分かる。

「よかろう、そいつら全員雇ってやる」

「わぁ~~、ありがとうございます~!」

 自分と同様に仲間達をも雇用してくれるというのだから、ヘイ・シーグイは嬉しくないわけがなかった。

 感謝をこめてザキに一礼してから、パイ・フーに大きく手を振った。

「やったね、パイちゃ~~ん! 無職卒業だよ~~っ!」

「でかい声でワケわからんこと言うな~~っ!」

 パイ・フーは、まだ状況を理解していない。

 旧友にバカにされたと思っているのかもしれない。

 川の中で、二匹の魔物は主たちの奇妙な姿を見て、ぼんやりと口を開けていた。

 この時、既にザキは新しい手駒を加えた作戦を頭の中で完成させつつあった。


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