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親と子と男と女と

 夏のある夜、クリシュナ将軍の屋敷で宴会が開かれた。

 要は政治的な懇親会である。

 招待客は新政府のお歴々、豪農、豪商及びその家族。

 酒の席で談笑しつつ語られるのは、選挙工作、商売の談合、献金諸々の生臭い話。

 その片隅に、ザキも座っていた。

 目立たないように端の席を選んだのだが、有名人ゆえ生臭どもの魔の手からは逃れられなかった。

「ザキ先生は独身だそうで~?」

 名前も知らない太った豪商が、隣に座って馴れ馴れしく話しかけてくる。

「ええ、まあ……」

 ザキは苦笑いで受け流す。

 ガンダルヴァ伝統の弦楽器シタールが奏でる音楽が屋敷を包み、酒と香木の香りが神経を惑わせる。

 ここは正しくガンダルヴァの城だ。

 一時の虚構に惑わされる、あわれな人間たちの踊る舞台なのだ。

「実はうちの娘が、ザキ先生にとても憧れていましてな~~」

 豪商のおっさんが、まだゴチャゴチャと話している。

 魂胆は見え見えだ。

 ザキに自分の娘を見合いさせようとしている。あわよくば結婚を狙っている。

 ここで下手に話を合わせると見合いの言質を取られてしまうので、ザキは会話の間合を計って敬遠する。

「はは……わしは女性にょしょうに嫌われるクチでしてな~? 一人でいるのが性に合っておるのです」

「いやいや、ザキ先生には深い人生経験があります。ぜひとも、一度わが娘と会ってお話でも……」

 食い下がってくる豪商は、心底鬱陶しかった。

 この場でこいつを無礼打ちできたら、どんなに楽だろうかと思う。

 貴人の家に上がる時の作法として、今は脇差しか持っていない。だが、この間合なら一撃で仕留めるのは容易い。

 が、そんな物騒なことは心の中で願うだけだ。

 いっそ、自分は若い頃に患った熱病で種無しになってしまったとか適当な嘘でも言ってしまおうかと思案していると、背後から声がした。

「ザキ先生、そろそろお時間です」

 サハジ副官が良いタイミングで来てくれた。

「おお、そうか。では、これにて失礼」

 離席の良い口実だった。

 ザキの愛想笑いは、宴会場を出た瞬間に安堵の笑みに変わっていた。

「はははは……たまらんな、ああいう生臭い場所は!」

「先生はこういう場所……お嫌いですよね?」

「ああ、大ッ嫌いじゃ!」

 それなのに招待に応じた。

 俗物どもと無意味な付き合いをするくらいなら仮病を使って辞退するところだが、そもそも今回の宴会はクリシュナ将軍がザキと会談するために催したカモフラージュなのだ。

 軍部に強い影響力を持つ二人が大っぴらに話をすれば、他の閣僚に警戒される。

 いらぬ嫌疑をかけられ政府内に不和を起こすのは望む所ではない。

 なので、クリシュナ将軍は全ての要人を招待し、その中にザキを紛れ込ませた。

 後は適当に宴会に顔を出して、タイミングを見て退席したというわけだ。

 蝋燭の火が点々と灯る屋敷の廊下を曲がると、先導していたサハジ副官が女性とぶつかった。

「おっと……」

 サハジ副官は、倒れそうになった女性をとっさに支えた。

 若く、美しい女性だった。

 まだ少女のあどけなさを残す顔立ち、長く艶やかな黒髪、柔らかな褐色の肌が、蝋燭の灯りで幻想的に見える。

 サハジ副官は一瞬、見惚れかけたが彼女の上品な身なりを見て、高い身分であることに気付いた。

「これは失礼を……」

「いえ、わたくしの方こそ不注意でした……」

 女性は姿勢を正すと、会釈をして小走りに去っていった。

 ほんの数秒の出来事は嵐のようで、サハジ副官は呆気に取られた。

 甘い花の香りが、まだ体にまとわりついている。

「あの女性は……?」

「ん~……クリシュナ将軍のご息女、アビシャ殿じゃのう」

 ザキは首を猫のように捩じって、薄闇に消えていくアビシャの背中を見ていた。

「アビシャ殿は、なんであんな急いでるんじゃろうな? 自分の家なのに」

「きっと、お父上に代わって、客人の相手などもせねばならないのでしょう」

 サハジ副官の物言いに、ザキは目を細めて「フーーン……」と鼻を鳴らして呆れた。

「ボケーっとしとらんで、早く案内あないせい」

 ザキはサハジ副官の足を小突いた。

「ああ、はい。すみません、先生……」

 我に返ったサハジ副官は先導を再開した。

 廊下を曲がって少し歩くと、離れのテラスに出た。

 テラスには、クリシュナ将軍が待っていた。

「ザキ殿、良くきてくれた」

 握手を求めるクリシュナ将軍に応え、ザキは手を差し出した。

「人と会うのも一苦労ですな。将軍のお気持ちが良く分かるようになってしまいましたわ」

 お互いに苦笑いを浮かべる。

 ザキは失った自由を懐かしみ、クリシュナ将軍は同類を哀れむように。

 話を始める前に、ザキはサハジ副官を一瞥した。

「将軍、あの者も同席させたいのですが」

「ん、彼は……?」

「我が弟子です」

 ザキが極秘の会談内容を弟子に聞かせる……その意味を察して、クリシュナ将軍は頷いた。

「よろしい。それがザキ殿の願いなら」

 承諾を得て、サハジ副官は頭を下げて謝意を示した。

「ありがたき仕合わせにございます」

 テラスには、心地いい夜風が吹いていた。

 シタールの演奏が遠くに聞こえる。人目につかず、騒音もなく、存分に会話が出来る場所だった。

 ザキは、テラスの間取りを確認していた。

 大理石の床、手すり、テーブルと二つの椅子……。

 どれも上等な代物。ただそれだけだ。

 だが、それらに何かを感じるものがあったのか、ザキは視線を再びクリシュナ将軍に移した。

「クリシュナ将軍、もう一つお願いがあるのですが」

「なにかね?」

「折角ですから──チャトランガでもやりませんか?」

 チャトランガとは、駒を使って盤上で戦争を再現する伝統的遊戯のことだ。

 暫くして、サハジ副官がチャトランガのセット一式を持ってきた。

 ザキが持ってくるように命じて、屋敷の者から借りてきたのだ。

 この遊戯は軍の基礎的な教習にも使えるので、武家には必ず一つは置いてある。

「我らは軍人ですからな。チャトランガに興じながらの方が、話も弾むというもの」

「うむ、一理ある。私もザキ殿と一戦交えてみたいと思っていた。血を流さぬ盤上の戦でな」

 クリシュナ将軍は楽しげに言うが──含むところがある。

 それはザキも同じで、チャトランガは密談を隠蔽するための偽装工作であるのは明らかだった。

 ザキとクリシュナ将軍はテーブルを囲んで座り、サハジ副官は入口付近に控えていた。

 チャトランガの盤上には、各々に王と臣の駒が一騎。他に象、馬、車、歩兵の駒が複数用意されている。

 これらの駒を交互に動かし、戦わせ、敵の王を討ち取った側のプレイヤーが勝者となる。

「わしが呼ばれた理由。パールシー国の件……ですな」

 先手のザキは単刀直入に本題に入った。

 そして、まず歩兵の駒を動かした。

「昨年、わしの反乱が成功したのに触発されて隣国パールシーでも反乱が起きた。腐敗した王政は、伝統的宗教儀礼を尊ぶ教団に打倒された。問題は……こいつらだ」

 クリシュナ将軍は険しい表情だった。

 こちらも歩兵の駒を前進させる。

「決して我々に友好的な集団ではない。間者によれば、民衆を扇動して即席の兵士に仕立て上げ、素手で突撃させるという。それも何万、何十万という人の津波となって……」

「人海戦術……とでも言うべきですかな。後先考えない戦術ですが、だからこそ恐ろしい」

 国の税収の元となる一般大衆を武器として使い潰す狂気の戦術である。

 クリシュナ将軍とザキは、盤上で互いに歩兵を潰し合わせた。

 人的資源の損耗は国力を著しく低下させる愚行だ。

 それを正規の作戦として大規模に行うのは──

「戦力不足を補うためにやむを得ず行ったか、あるいは反乱軍にマトモな司令官がいないから、こんなアホな作戦を実行したのでしょうな」

「もしくは、その両方だ。実際、この人海戦術が成功体験となっているようだ。パールシー国軍の残党は殲滅され、次に矛先が向かうのは──」

「我が国、ですな」

 ザキは淡々と空恐ろしい予測を述べた。

「なっ!」

 サハジ副官が動揺して身を乗り出そうとしたのを、ザキは右手で制止した。

 黙って話を聞いていろ、と。

「都合の良い敵を作って、民衆の不満の矛先を自分達以外にそらす。政治の常套手段ですな」

「敵勢の数は膨大だ。未だ国内を統一し切れていない我が軍に数の利はないが──」

「ま、勝てるでしょうな」

 ザキはキッパリと言った。

 チャトランガの盤上は、いつしかクリシュナ将軍の側が押されていた。

 ザキは敵の歩兵を巧みにかわし、馬の駒で敵王に迫りつつあった。

 確かに、ザキはこれまで数的に上回る敵軍を撃破し続けた。正規軍ですらない素人の寄せ集めに負けるはずがない。

「しかし、勝ち続けるのも問題なのですなあ~?」

 ザキの発言に、クリシュナ将軍は頷いた。

 この不可解な発言にこそ、会談の真意が秘められている。

「ザキ殿の軍は、一度の敗北も知らず戦争に勝利してしまった。この上、パールシーの軍にも勝利すれば慢心、増長は止められなくなる。おそらく、ザキ殿ですら……」

「調子こいてのぼせたアホ共には、教師の言葉も届きませんからの。かつての成功体験を愚直に信じ、勝ち目のないバクチに賭け続け……いずれ取り返しのつかない結果に至る。だから──」

 ザキは盤上の駒を巧みに動かし、敢えて敵に有利な方向に誘導していた。

「そういう軍隊は、適当な所で痛い目を見させる必要がある」

 話を聞いていたサハジ副官は、ザキとクリシュナ将軍が何を考えているか気付いて、冷や汗を流した。

 ザキは突き放すような、あるいは悲しむような冷たい目で、夜空を見上げた。

「おそらく、敵は数を頼りに多方向から我が国の領内への浸透を図る。もちろん敵の主力は撃破するが──」

 ザキは言葉を濁し、チャトランガの盤上で敵軍の抜け道を作った。

「我が王に敵勢を誘導し──」

「ちょっとした敗北……か」

 クリシュナ将軍は盤上で有利に駒を進め、王手を取った。

 つまり意図的に敵を首都に呼び込み、自軍の兵たちの血を以てガンダルヴァ軍に敗北を教育する──ということである。

 恐るべき計画だった。公にできるはずがない。他の閣僚たちにも決して理解されないだろう。これが露見すれば狂気と見なされ、ザキとクリシュナ将軍は逮捕されるに違いない。

 人を盤上の駒として扱い、命を弄ぶ鬼畜の所業である。

 傲慢なる己を、ザキは自嘲した。

「ふふ……こんなことをバラしたらチャトランガのラージャ気取りかと、軽蔑されるじゃろうなあ」

 チャトランガのプレイヤーはラージャと呼ばれ、駒を思うがままに動かし、使い潰す。

 ザキ自身、計画の傲慢さは痛いほど理解していた。

「それでも、やらねばならんのじゃ。この試練なくば、ガンダルヴァは遠からず破滅する」

「して、軍の指揮はやはりザキ殿が?」

 クリシュナ将軍の問いに、ザキは首を振った。

「いや……我が副官、サハジに一任しようかと思っております」

「ほう……」

 突然に大任を押し付けられ、サハジ副官は「うっ……」と小さく悲鳴を押し殺した。

 緊張と重責に踏みとどまり、拳を強く握っている。

 ザキは弟子の様子を横目で見て、クリシュナ将軍との会話に戻った。

「見た目こそ若いですが、わしも歳ですゆえ。病の療養で暫くラジギールの温泉にでも引っ込むつもりです」

「ラジギールといえば、シャーキャなる古の聖人が沐浴した地。パールシーとは反対側の東の地だな」

「はい。あまりに遠いですので、召集されても遅参する恐れもありますなあ」

 その後も暫く、陰謀談義は続いた。

 周囲に他人の気配はないというのに、なぜか二人とも暗号めいた回りくどい話し方を続けていた。

 宴会場から響くシタールの調べが切なげな旋律を奏で始めて、宴の終わりが近いことをザキは悟った。

「そろそろ戻らねば。長居すると怪しまれますからな」

 言いながら、ザキはテーブルの端をさすった。

「時に、良く手入れのされた家具ですな。これを用意されたのは……アビシャ殿ですかな?」

「ん、そうだが?」

 唐突に娘の話を振られて、クリシュナ将軍は呆気に取られた。

 どうして? と問い返される前に、ザキは声の先を打った。

「さきほど廊下ですれ違いましてな。こういう繊細な手入れは下女ではなく、高貴な女性ならではと思いましてな。ははははは」

 ザキは話を適当にお世辞に逸らして、席を起った。


 その後、サハジ副官と共に宴会場に戻り、宴の終わりに参加してから、屋敷の裏庭に向かった。

 ここは灯りも少なく、酔い覚ましにたむろする客もいない。

 時間つぶしと内緒話には、丁度いい穴場だった。

「──ときに、サハジよ」

 ザキは暗い庭園を歩きながら、背中越しにサハジ副官に声をかけた。

「おぬし、アビシャ殿をどう思う?」

「はい? ああ……とても美しい御方で──」

「惚けるな」

 ぴしゃり、と見た目云々の世辞をほざく弟子を叱るように言って、ザキは後に拳を突き出した。

「さっきのテーブルにな、こんなゴミが付いておった。手入れに不備あったと、おぬしからアビシャ殿に伝えておけ」

 サハジ副官が慌てて両手を差し出すと、ザキの拳がパッと開いた。

 暗がりの中で、小石のような何かがサハジ副官の掌に落とされた。

 それを受け取った瞬間、サハジ副官は酔いから目醒めた。

 先程のチャトランガの意味も、漸く理解が追いついた。

 ザキは踵を返すと、サハジ副官を置いて庭の奥へと歩き始めた。

「わしは少し散歩してくる」

「せ、先生!」

「お前はお前の仕事をしろ。女子おなごに化かされるでないぞ」

 ザキの声が、闇の中に遠ざかっていく。

 師の忠告で、サハジ副官は我を取り戻した。

 鼻の奥に残っていた甘い色香も消えた。

 今なら、鼻も良く効く。

「……アビシャ殿、夜の隠れんぼは、止めた方がよろしいかと」

 サハジ副官は背後に向けて言った。

 暫くすると観念したのか、花のアーチの物陰からアビシャが現れた。

 ばつが悪そうに、サハジ副官を睨んでいる。

「……勘の良い殿方は嫌われますよ」

「隠れんぼをするには、香水が強すぎなのですよ」

 皮肉を皮肉で返され、アビシャは顔を背けた。

 煽り合いにも穏行にも馴れていない。要するに、全ては素人の気の迷いなのだ。

 さきほどザキから渡された、この小石にしても。

「アビシャ殿、これがテーブルの裏に付いていたそうです」

 サハジ副官は小石を灯りに晒した。

 それは中身がくりぬかれた、小さな音響魔石だった。

「この魔石は魔石同士の共振で音を伝える。それを利用すれば、離れた部屋からでも会話を盗聴できます」

 件のテーブルを用意したのはアビシャであり、その後の不審な行動を見れば盗聴の犯人が誰かは明白だ。

 サハジ副官は怒るでもなく、淡々と問い詰めた。

「どうして、こんなことを? と聞いてはみますが、おおよその察しはつきます。アビシャ殿の母方のおじい様は中央政府の財務大臣でしたね。昨年の戦いで逃走中に捕捉され、一族諸共に──」

「……ええ、そうよッ!」

 図星を突かれ、もはや隠し立ては無理と思ったのか、アビシャが声を張り上げた。

「ザキは……父上をたぶらかし、おじい様を殺し、ガンダルヴァを我が者にした簒奪者! 許せるわけがないでしょうッ!」

 感情を露わにするアビシャは鬼の形相だった。

 サハジ副官は、ただ冷静に女というものを観察していた。

 美しい外面の中に、どろどろした怨念を煮えたぎらせるのが女。

 花の香りで男を騙し、我がままに食らおうとするのが……女。

「父も父です! 武人なら……どうして戦って死ななかったのですか! 我が身かわいさに生き恥を晒し、あまつさえザキと何かの謀をして……再びガンダルヴァに災いを成そうとしている! ああ、醜い醜い! 同じ家に住むのも汚らわしいッ! 気が狂いそうッッ!」

 アビシャは髪を掻きむしり、羅刹のように振り乱した。

 こんな女に一時でも惑わされた自分を愚かとは思うが、サハジ副官は同時にアビシャを哀れんだ。

「そのお父上に養われて、今のあなたがあるのではないですか」

「あなたに、わたくしの何が分かるのですかッ!」

「分かりませんなあ」

 サハジ副官は平然と、アビシャに歩み寄った。

「近寄るな下郎ッ!」

 アビシャが護身用の短刀を抜いて斬りかかってきた。

 しかし素人の斬撃。ザキに教えを受け、実戦を経験してきたサハジ副官には児戯に等しかった。

 サハジ副官は間合を見切り、短刀を握るアビシャの手首を掴んで、捩じるように背後に回った。

「い、痛い……ッ!」

「痛い? それに斬られたら、私は痛いどころでは済みませんよ?」

 素人の激情とはいえ、アビシャの無神経な発言にサハジ副官は眉をひそめた。

「あなたは人の痛みが分かっていないと見える。常に高みから民衆を見下ろし、幼き日より飢えも知らない生活をしていながら、まるで自分が世界で一番不幸だという顔をしている」

「お……お前のような平民の出に……ッ」

「そうです。その傲慢こそがガンダルヴァを蝕んだ悪なのです。あなたのおじい様も、父上も、民から搾取した金であなたを育てた。いわば、あなたの体は悪しきもので作り上げられた」

 サハジ副官がアビシャの手首を捩じる力が増した。

 アビシャの手から短刀が落ちて、甲高い悲鳴が上がった。

「いっ、痛い~~~ッッッッ! やめてぇッッ!」

 さすがに小娘をいたぶるようで心が痛む。

 騒ぎにもしたくないので、サハジ副官はやや力を緩めた。

「お父上が……クリシュナ将軍が、どうしてザキ先生に降ったのか、お分かりですか? あなた達、家族を守るために……敢えて恥をかぶったのですよ?」

「そんなこと……頼んでない……ッ! 我が家は歴史ある武人の家系です! 父は家名のために……戦って死ぬべきだったのよ……!」

戦場いくさばに立ったこともないあなたに、武人の何が分かるのか! 子を育んだこともないあなたに、親の何が分かるのか!」

 サハジ副官は思わず感情的に叫んでしまった。

 怒りよりも、哀れみを含んだ声だった。

「あなたがお父上とザキ先生を憎むのは勝手だが……大義を言い訳にされるな!」

 サハジ副官は抵抗の弱まったアビシャを、突き放すように解放した。

「ぎゃっ」と小さな悲鳴を上げて、アビシャが花壇に倒れた。

 この世間知らずの小娘から見れば、クリシュナ将軍は土壇場で転向した卑怯者に見えるのだろう。

 こんな娘でも、クリシュナ将軍は守ろうとした……。

 サハジ副官は、ザキの言っていたことを理解できたような気がした。

「歳を取ると弱気になる……か。我が子が独り立ちできねば、なおさら不安は大きくなる……。どんな猛将だろうと、人の親なのだ……!」

 守るべき者のために人は弱くなる。呪縛と幸福は表裏一体。

 故にザキは、自分には守る者がないと言ったのだ。

 人の親になれなかった師の哀しみ、人の親になったクリシュナ将軍の苦しみを……サハジ副官は理解できたような気がした。

 その親の心を知らない子が、キッと顔を上げてサハジ副官を睨んだ。

「説教したくらいで勝った気になるなよ下郎! ザキは今ごろ、我が手の者にかかって死んでおるわッ!」

 小娘が、負け惜しみのように叫んだ。

 サハジ副官は、ザキが自分を置いて立ち去った意味を悟った。

「はぁ~~……まったく!」

 呆れ果てて、大きな溜息が出た。

 アビシャの愚かしさに、こんな小娘に一瞬でも心惹かれた自分に。

 庭の奥から、水の溢れるような音が聞こえた。

 いったい何が起きているのか。

 しかし──どんな手練れの刺客が相手だろうと、ザキが負けるという結果は考えられなかった。


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