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将は呪いにて人形を繰る

 ザキの率いるアワド藩軍が六倍の数のナグープル藩軍を寡兵で破った! という名声は情報工作でガンダルヴァ全土に瞬く間に広まり、行く先々で敵軍は戦わずして降伏、もしくは自ら進んでザキの側に寝返った。

「とても敵いませぬゆえ、無益な戦いはしとうありません」

「どうか、我々もザキ先生の軍に加えて頂きたく……」

 中央府から派遣された直轄軍だけは抵抗したが、士気も練度も共に低く、ザキの精鋭部隊に容易く打ち破られた。

 ザキがシューニャの習性を利用し、敵軍の側面や後方に誘導することで重圧をかけ、戦力を分散させる作戦も功を奏した。

「しかし……わしはシューニャを完全に御せるとは思っておらん。自然の全てを思い通りに出来るなぞ、ただの驕りでしかない」

 ザキは慢心せず、常に用心して、高速の騎馬隊を用いてシューニャを慎重に誘導していた。

 ガンダルヴァの藩は辺境ほど中央への忠誠心は薄く、連戦連勝を目にしてにザキに呼応する藩軍が相次いだ。

 かねてよりザキは中央に叛意を持つ辺境の藩に親書を送り、根回しを進めていた。

 コーチン藩のように反乱が起こり、中央政府側から転向する藩もあった。

 こうして、ザキの軍勢は短期間で総数10万を超す大軍に膨れ上がった。

 首都へ通じる街道に差し掛かる頃、ガンダルヴァ南方に位置するマイスール藩の部隊がザキの軍に合流した。

「我が太守の命により加勢する……が、一応は俺の独断ということになっておる。まあ政治とはそんなモンだ。ガハハハ!」

 マイスール藩軍の司令官、髭面のラヘシュ将軍は豪快に笑った。

 戦争の趨勢が決するまで、表向きはこのラヘシュ将軍の独断専行という形を取る。

 ザキが勝てばそれで良し。万一負けても、ラヘシュ将軍一人を切り捨てれば良い。

「しかし、ザキよ。お前は20年前から変わらんな? 全く老けとらん」

「お前はすっかりオッサンじゃのう、ラヘシュ」

 マイスール藩軍のラヘシュ将軍は、中央府にいた頃のザキと同期だった。

 確かに髭面で貫録のあるラヘシュ将軍と違って、ザキは若者のような身なりだった。

「わしはずっと隠者の生活をしておったからな。俗世と関わらず、酒も飲まんからロクに老けとらんのじゃろう」

「仙人気取りか? 羨ましい奴!」

「わしは貧乏人の上、独身じゃぞ? 隣の芝が青く見えとるだけじゃ」

 ザキは冗談交じりに、同期との再会と社交辞令の会話を済ませた。

「ザキ先生、ご報告が……」

 先行させていた斥候が帰ってきた。

 報告によれば、この先の街道と平原一帯に魔力地雷が敷設されているという。

「フム、愚鈍な中央の連中にしては思い切ったことをするのう」

 ザキは表情を変えずに地図と向き合った。

「ま、中央にもマシな人材はおるということじゃ」

 斥候が確認した敷設地点だけでも三百個を超えており、このまま軍団を通過させるのは不可能だった。

「こんなモノをいちいち除去していては一ヶ月はかかるのう。迂回するにしても山岳部をぐるりと回らなければならん。今のわが軍の大部隊を移動させるには時間がかかり過ぎる」

「軍が大きくなれば、それに比例して糧食や水が必要になります。時間をかければ士気と規律にも影響が……」

 サハジ副官は輜重隊の荷馬車に目をやった。

 物資の輸送は牛馬に頼ることから、これらの餌も必要となる。険しい山岳部の移動は悪手が過ぎる。それが敵の狙いというわけだ。

「ま、これも予想の内じゃて」

 ザキは事前に対策を用意していた。

 何体かの荷馬車には、未加工の魔消石が積まれていた。

「わしはコレを投石器でブン投げて、魔力地雷を誘爆させるつもりじゃ。放出された魔力は空っぽの魔消石に吸い込まれ、地雷原には穴が空く──が」

 ザキはサハジ副官に振り返った。

「おぬしなら、どうする?」

「えっ?」

 不意に難題をふっかけられて、サハジ副官は「うーん」と腕を組んで考えた。

「……マイスール藩軍」

 サハジ副官がぼそり、と呟いた。

「マイスール藩軍はヒカソウ部隊を持っています。ヒカソウに紐で魔消石を括り付ければ、投石機より遠くに飛ばせます」

「ウム。良き兵法じゃ」

 ヒカソウとは、北方の大国からもたらされた火薬式の飛翔武器のことだ。音と見た目が派手だが、弓矢や投石器より射程が長い。

「それと、このような者がおります」

 サハジ副官が手を上げると、一人の女が兵に連れられてやってきた。

 長い黒髪、黒い衣をまとった、異国の女だった。

 気だるげ、というより眠たそうな顔をしているが、単にそういう顔の作りなのだろう。

「わたくし~、ヘイ・シーグイと申します~」

 ヘイ・シーグイと名乗った女は膝をつき、うやうやしくザキに頭を下げた。

 語尾が伸びる妙な訛りは、外国人ゆえだろうか。

 この見慣れぬ女について、サハジ副官が説明を始めた。

「この者、我が軍に仕官を求めて参りました。北方より絹の砂漠を越えてきたと申す者。怪しげゆえ、とりあえずは留め置きましたが……」

「使えそうか?」

 ザキがヘイ・シーグイとサハジ副官を交互に見やる。

 敵方の間者の可能性もあるが、敢えてサハジ副官が処刑も拘束もせずに保留としたのには、相応の理由があるはずだ。

 サハジ副官は自信ありげに、ニタリと笑った。

「この者、魔物使いでございます」

「ほう? して、いかなる魔物じゃ? ヘイとやら?」

 ザキに話を振られて、ヘイ・シーグイが顔を上げた。

「はい~、わたくしの魔物とは~、羅刹亀ルオ・シャーグィという、おっきなおきっな亀でして~」

「カメェ~~?」

「はい~。動きはゆっくりですけど~~、とってもとっても頑丈なんです~~」

 亀、と言われてもザキは平和的な動物しか思い浮かばない。

 砂場をのそのそと動き回るリクガメや、水場で甲羅干しをする小さな亀の群れを連想した。

 ヘイ・シーグィのゆったりとした喋り方も、なんとなく亀のイメージが重なって見える。

「で、どんな亀なのじゃ。見せてみよ」

「はい、では~~。おーーーい、ルオしゃ~~ん!」

 まるでペットでも呼ぶように、戦場の緊張が一気に脱力する声だった。

 だが、一向に件の亀は現れない。

 どこか遠くから地鳴りが聞こえるだけだ。

「なんじゃ、来ないではないか」

「はい~~、なにせ亀さんですから~~」

 ヘイ・シーグィが言い訳をする間も、地鳴りが断続的に聞こえてくる。

 もしや──と思い、ザキは荷馬車の向こう側を見やった。

 地平線の向こうから、小山がゆっくりと近づいてくる。

 目を凝らすと、それが巨大な亀の魔物だと分かった。

「ほう、アレかぁ~~!」

「はぃ~~、アレですぅ~~」

 ザキは納得と共に、ヘイ・シーグイへの警戒を解いた。

 あんなノロマな魔物では戦闘には使えない。会戦への投入はおろか、ザキの暗殺など到底不可能だ。

 ヘイ・シーグイは、申し訳なさそうに頭を下げた。

「こんな感じなので~~、北方では仕事がなかったんです~~。なんでもいたしますから~~、どうかザキ先生の軍で~~、私とあの子を雇ってくださいませ~~」

 言っている内容といい、懇願する様子といい、あのノロマな魔物を見れば嘘とは思えない。

 それすらも演技という可能性もあるが──

「して、サハジよ。お前はアレとコレに使い道があると?」

 ザキの物言いには含みがあった。

 サハジは師の言わんとする全てを理解して、頷いた。

「はい。戦とは、正面切って戦う兵士だけでは成立しませぬ。この者は土木作業……すなわち工兵として雇用できると思っております」

「よかろう。全て、お前に任す」

 サハジ副官の答は満足のいくものだった。

 ザキはサハジ副官の判断力と将器を鍛錬するために、敢えて作戦を一任したのだった。

 ヘイ・シーグイなる者についても、実際の行動で身の証を立てよ、と採用を決定した。

 すぐさま、サハジ副官の指導でマイスール藩軍のヒカソウ部隊が射撃準備にかかった。

「攻城用ヒカソウの尾の部分に縄で魔消石を括り付けるのです! そう、何個も! 葡萄のように! しからば石は尾のように地雷に次々と接触する。名付けてコレ、導爆索と云う!」

 サハジ副官は張り切っていた。

 暫くして、導爆索の試作品が完成した。

 巨大な発射機に、安定翼のついた長さ5米もの攻城用のヒカソウが備え付けられ、長い導火線が後方まで伸びていた。

 マイスール藩軍のラヘシュ将軍みずから、新兵器試射の指揮を執った。

「発火、はじめーーーっ!」

 ラヘシュ将軍の声と共に、兵が松明で導火線に点火。

 火が推進用の火薬に達するや、ヒカソウが尾から火花を吹いた。

 激しい火花を散らし、鳥の鳴き声に似た大きな音を鳴らしながら、ヒカソウは空中へと飛翔。

 尾部についた導爆索が地表に断続的に接触し、その度に地中に敷設された魔力地雷が発火した。

 魔力地雷に封じ込められた雷がピカッと一瞬だけ閃光を放ち、魔消石に全てのエネルギーを吸収されて消えていく。そんな点滅が何十回と続いて、ヒカソウは地面に墜落した。

「お? 成功……したのか?」

 ラヘシュ将軍は、要領を得ずに首を傾げた。

 こんな支援兵器は史上初めてなのだ。手応えを感じないのも無理はない。

「ご心配なく。大成功ですよ、ラヘシュ将軍」

 サハジ副官は満足げな顔で遠眼鏡を覗いた。

 遠眼鏡の先には、魔力を吸収して赤熱化した魔消石が転がっていた。

 それから導爆索は現地で直ちに量産配備された。

 ヘイ・シーグイの羅刹亀ルオ・シャーグィなる大亀の魔物には、長い鉄棒の先に棍棒をローラーのように取りつけた器具が装備された。

 見慣れぬ器具に、ヘイ・シーグィは首を傾げた。

「なんですか、これ~~?」

「地雷除去用の即席装備だ。あの亀の長所を活かす。歩かせてみせよ」

 サハジ副官の命令で、羅刹亀ルオ・シャーグィは地雷原の中を歩き始めた。

 導爆索で除去し切れなかった魔力地雷がローラーに接触し、雷鳴と共に爆散する。

 しかし雷と爆風はローラーによって地中に押し込められ、地味な破裂音を上げただけに留まった。

 多少の破片と雷火が飛び散ったが、羅刹亀ルオ・シャーグィの厚い皮膚と甲羅に阻まれた。

「わぁ~~、すごい……。あの子が、ちゃあんと、お役に立ってる……!」

 ヘイ・シーグィは感激の涙を流していた。

 自分と相棒が、こうして正当に評価されるのは初めての経験だったのだろう。

 こうして進路上の地雷原は一日で除去され──

 翌朝に、ガンダルヴァ中央府への進軍が再開された。


 魔力地雷が最後の抵抗だったのか、もはや妨害らしい妨害はなかった。

 文字通り無人の野を走破したザキの軍勢は、二日後に中央府の首都を包囲した。

 かつての大藩都だった中央府は、長大で分厚い城壁に囲まれた、難攻不落の大都市だった。

 当初、中央政府軍は籠城の構えを見せたが──

「議事堂にヒカソウを二、三発撃ち込んでやれ」

 とザキの命令に従い、実際にヒカソウを発射。

 程なく、内部の工作員から着弾確認の狼煙が上がった。

 その三時間後──辺りが暗くなった頃に、議会は停戦交渉の使者を送ってきた。

「ザキ殿に中央議会からの書簡をお届けに参りました!」

 ザキは本陣で使者を出迎え、相手方の停戦条件の文書を開いた。

「フーーン……」

 ザキはひどく呆れた顔で文書を端から端まで読んで、横のサハジ副官に渡した。

 サハジ副官が文書に目を通すと──

「ええと……各藩への税の三年間の減免。ザキ殿を中央政府軍長官として迎え、軍の五年間の首都駐留を認める。引き換えに中央議会議員の責任は不問とし、財産と議員資格の保証を……」

 確かに呆れ果てた内容であり、サハジ副官は途中で読むのを辞めた。

 ザキは怒りもせず、ただ残念そうな顔をして

「返答は明日までお待ち頂きたい。どうぞ、お帰りはあちら」

「はっ! 良き返答をお待ちしております!」

 使者を早々に帰した。

「アレが使者とはのう……」

 ザキは大いに呆れていた。

「わしの顔色一つ気にせず、食い下がることもせなんだ。ただ上から言われた通りに手紙を届けただけ。郵便の飛脚か何かか、アレは?」

 使者というにはあまりにもお粗末な仕事ぶりは、中央政府と軍の質の低下を如実に表している。

「あの分だと書簡の内容も知らないのでしょう。交渉すらしないというのは……ちょっと驚きですねえ」

 サハジ副官は商人の出だ。商談、交渉に関しては下手な軍人、政治家よりも場数を踏んでいる。

「自分たちの要求をそのまま相手が飲んでくれると思っている。我々を対等に見ていない証拠ですよ。自分たちは貴人だから、平民出身のザキ先生は頭を下げて当然。我々の末席に加えてやるのだから、ありがたく思えと……」

「まったくもって論外じゃな」

 ザキは右手を振って、松明の方向に向けた。

 サハジ副官はすぐに意図を察して、中央議会からの文書を松明に投じ、焼き捨てた。

 とっくに答など決まっている。

「ま、明日まで待てと言ったのは……わしなりの時間稼ぎじゃな」

 中央府を無血開城して陥落させるための。

「実はわしも相手方に手紙を送っておる。中央政府軍のクリシュナ将軍にじゃ」

 クリシュナ将軍といえば、敵軍の実質的な最高司令官だ。

 彼は有名人なので、サハジ副官も良く知っている。

「クリシュナ将軍といえば、300年前から代々遣える名門軍人の家系ではないですか。説得できるのですか?」

「肩書きだけ見れば確かに忠義と家柄でガチガチの武人じゃろうな? 確かに、あの将軍は今どき珍しい武辺者じゃ。昔、あの方が議会守備隊の総隊長だった頃、下っ端で働いていたからよう分かる。ま、話したことはないが……」

「では、どうやって説き伏せるのです?」

「あの方は……家柄という呪いにかかっておる。だから、こんな腐れた中央政府の将軍などやっておるのじゃ。背負うものが大きければ、足元を小突くだけで倒れる」

 一晩明けて、翌日の早暁──ザキは回答を出すべく軍勢を率いて本陣を出た。

 城門前には、中央政府軍が陣取っていた。

「ふーん……?」

 ザキは遠眼鏡で、一里ほど離れた中央政府軍を眺めた。

 戦闘の布陣ではない。

 その証拠に、クリシュナ将軍が先頭にいる。

 いかにも剛健な精鋭の騎兵部隊の中央にいる、豪奢な金色の鎧を着た立派な髭の軍人がクリシュナ将軍だ。

「あの方も老けたのう……」

 ザキは遠眼鏡でクリシュナ将軍の顔を見て嘆息した。

 前に顔を拝んだのは二十年も前のことだ。今のクリシュナ将軍は五十歳半ばを越している。

 髭にも白髪が混じり、顔には年輪のような皺が深々と刻まれていた。

「老いとは……人を弱気にするものじゃ」

「はい?」

 横のサハジ副官が首を傾げた。

 サハジ副官はまだ二十代の青年だ。ザキの言葉の意味が分からないのも仕方がない。

「お主もいずれ分かる」

「はあ……?」

 当惑するサハジ副官のことは置いて、ザキは右手を上げて合図を出した。

「白旗!」

 戦いの意思はないことを示すために、白旗が掲げられた。

 それに応じて、クリシュナ将軍の部隊からも白旗が上がった。

 ザキとクリシュナ将軍の双方が、少数の護衛と共に歩み寄る。

 ある程度の距離で、ザキは馬を降りた。

 手には回答文書を収めた書簡が握られていた。

 クリシュナ将軍もまた、馬を降りた。

 護衛の兵たちが付き従おうとするも、将軍に手で制止された。

 不要である、と。

 両軍の大将が直に会するという歴史的な光景に、双方の兵たちは静まり返った。

 朝の空気が、緊張に張り詰める。

 もしザキのクリシュナ将軍への懐柔工作が失敗していれば、乱戦の火蓋が切って落とされる。

 ここに至らば勝ちは揺るがないだろうが、相手は精鋭。無駄な血が流れるのは避けられない。

「ザキ先生……どうか!」

 サハジ副官は、成功を神と師に祈った。

 そして──ザキはクリシュナ将軍と再会した。

「お久しぶりです、クリシュナ将軍。といっても、一兵卒のことなど憶えていませんかな?」

 ザキは戦場の緊張を解すように微笑みを浮かべた。

 それに合わせて、クリシュナ将軍の表情も綻んだ。

「議会守備隊に半年で辞めた士官がいたと聞いたことはある。それが君だったとはな」

「議員どもの尻拭いの暴動鎮圧はウンザリでしたので」

「人として……正しい選択だな。羨ましい限りだ」

「しかし兵としては落伍者です。それが巡り巡って、こんな形で帰ってまいりました」

 ザキは書簡を開けると、かつての上官と同じ高さの目線で回答文書を差し出した。

 クリシュナ将軍は、無言で文書に目を通した。

 暫しの沈黙。

 両軍が固唾を飲んで見守る中──将軍の右手が上がった。

「開門せよ!」

 兵たちには僅かな動揺もなかった。

 全てがクリシュナ将軍の子飼いの部隊である。命令を忠実に実行し、首都の城門がするすると上がっていく。

 クリシュナ将軍は馬に乗り、高々と剣を掲げた。

「これより、我が軍はザキ殿に合流し! 腐敗した議会を制圧する! 義は我らにあり!」

 クリシュナ将軍が叫ぶと、部隊もそれに呼応して雄叫びを上げた。

「オオオーーーーッ!」

 将軍が寝返ることは、兵たちも内心察していたのだろう。

 そのままザキの軍勢と共に城壁内部へと雪崩れ込んでいく。

 兵たちの流れの中で、乗馬したザキの横にサハジ副官が馬をつけてきた。

「先生! いったい、どうやってクリシュナ将軍を説得したのですか?」

「なあに、簡単なことじゃ。戦争の後も身分と財産と家族の命を保障してやったのじゃ」

「えっ、それじゃ議会の連中と同じでは……」

「我が弟子よ、憶えておくと良い。俗世に浸かるほど人は呪縛に執らわれる。名を欲し、富を欲し、子孫を欲する者ほど現世利益には抗えぬ。そんな人間に自由など存在せぬ。煩悩の炎の中で踊る、哀れな人形に過ぎぬのじゃと」

 ザキは──クリシュナ将軍の心の弱さを切り崩したのだ。

 いかな武辺者とはいえ、先祖代々積み重ねた全てを失う恐怖には勝てなかったのだ。

「それにな……人は歳を取ると弱くなるのじゃよ」

「体が……ですか?」

「体が弱り、心も弱る。自分の人生が有限であることを知り、今まで自分が何をやれたか、何を残せるか……そう思うと不安になるのじゃよ。どんな英雄でも暴君でも……その業からは逃げられん!」

 ザキは吐き捨てるように言って、馬を走らせた。

 サハジ副官は慌ててザキを追い、馬を横につけた。

「ザキ先生も弱気になるんですか?」

「わしは違う!」

「どうして?」

「守るものが……ないからじゃ!」

 ザキは眉間に皺を寄せていた。

 怒りのようであり、悲しみのようであり、ただ戦いの前に昂っているようにも見えた。

 師の言葉にどんな意味と感情が込められていたのか、この時のサハジ副官には分からなかった。



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