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■9.隙間風

 翌日の朝、いつものようにインスラは目を覚ます。

 ダイニングを横切りながら、ズボンを穿き、チュニックに袖を通し、コートを引っかける。重力魔法を使った軍隊式装着術は、超一流のメイドが手伝った時のように、歩きながらでも速やかに着衣できる。

 ボタンを留め終わる次の動きで、玄関のドアを開けた。

「――いけませんわね、旦那」

 廊下の手すりによりかかっていたゴブリンは、フーパーだった。

「おはよう、待たせましたか、フーパー君?」

「わたくしなど放っておいて、もう少し寝てらして下されば良かったのに。強制捜査の翌日は、休みが決まりではなくて?」

「休むべき時は休みますよ。さ、朝食にしましょう」

 インスラは足を止めずに言い、フーパーと階下のカフェに入る。

「いらっしゃいませ、インスラ様」

 魔族の店主が会釈する。金髪と白い翼が輝いている。

「おはようございます、マスター」

「おはよう、お邪魔しますわ」

 インスラは奥のテーブル席に着き、斜向かいにフーパーが座る。まだ朝早いため、他の客はいなかった。

「……旦那、昨日の魔王アルセアの話ですけれど」

 フーパーの声は、普通の調子で話しているようでいて低く、遠くへ通る事はない。

「ええ」

「アルセアというのは、誤りでした」

「そうですか」

 フーパーはじぃっとインスラを見る。

「……ひょっとして、ヴァッサ翁から、もうお聞きでしたか」

「気にしないで、分かった事実を全部教えて下さい」

「気になどしてませんわ、旦那」

 若干ふくれ面のまま、フーパーは話を続ける。

「目撃されたのは魔王ではなくて、手下でした」

「手下ですか」

 インスラが僅かに眉を寄せる。

 魔王アルセアは、ファスト・クエストばかりの魔王であり、手下を口封じで殺す事も繰り返している。

 手下が定着しているというのは、不自然な事だった。

「隙間風のオエナンテ。壁登りや忍び込みの得意なハーフリングの盗賊です。もう、ご存知かも知れませんけど」

「――お待たせしました」

 盆を持った店主がやって来る。

「ありがとうございます」

「相変わらずおいしそう」

 テーブルにサンドイッチと豆茶が置かれる。

「いただきます」

「いただきますわ」

 インスラは豆茶を一口飲む。

 炒った豆の香りが立ち上り、喉が温まる。

 それから、サンドイッチをかじる。

 パンはコッペパン程度のサイズで、切れ目を入れた部分に、スライスして炙られた腸詰めと、家鴨卵をベースにしたソース、錆玉菜の葉が挟まる。

 腸詰めの強い塩気を、歯触りの良い錆玉菜が和らげ、ソースがパサつくパンをしっとりまとめる。

「――オエナンテ。王都の凶悪犯リストにはない名ですね」

 インスラの頭には、ここ10年の王都の凶悪犯リストが、通り名も含め収まっている。「いる・いない」程度は即時に判断出来る。

「旦那のお察しの通り、オエナンテは王都ではなく、西で犯罪を繰り返していた小悪党ですわ。半年前、ヌギャ市の裏派遣屋で、魔王アルセアの名を使って人集めしていたそうです」

「荒事以外で動ける人員なら、アルセアが切り捨てず使う理由は理解出来ますね」

「わたくし共のデッカーが、オエナンテの尾行に成功しました。今は、スティーブとイーサンが交代で隠れ家を見張り中ですわ」

 インスラは、背筋に冷たさを覚えていた。

 ファスト・クエストの多くは、準備らしい準備もせず、人手が集まればそれが開始の合図である。昨日行われていても、おかしくはなかった。

(局員の主力が疲労した上で、対応が後手に回っていたら、どんな被害が出たか知れなかった。今日を無事に迎えたのは、ただの運か)

 『昨日のうちに知らせて欲しかった』その言葉を、インスラは敢えて呑み込む。

 インスラの使う斥候の中で、フーパーは丁寧さを重視する。経験と勘で、大づかみに情報を持って来るヴァッサとは真逆のタイプと言える。

(斥候達には、得意な仕事をして貰えれば良い。言ってさせる事は、長くは続かない。取りまとめがこちらの仕事だ)

「流石ですね。でも、無理しちゃいけませんよ。昨今の魔王は、目撃者とあれば女も子供も聖職者も殺します」

「何より、警戒させては旦那に迷惑ですからね。ご安心を、心得てますわ」

「……頼もしいですね」

 報酬を渡そうと、インスラがポケットに手を入れる。

「旦那、もう1つ、オエナンテの尾行中の事なのですが」

「ん」

 インスラの手が止まる。

「ガル家の使用人と会っておりましたよ」

「ほう」

「クルガハトの酒場で、仲良く昼飯を食べていたんですが、その後、喧嘩になりました」

「喧嘩……だったんですか?」

「よくお気づきで。オエナンテが一方的に殴ってる感じだったそうですわ」

(仲間割れ、ではないな。一方的なら折檻か脅迫だが)

「殴られていた者の名は」

「ケレタ・ノ・ガル、17歳ですわ」

「西2丁目のガル商店の奴隷か。犯罪歴はないが、前歴を隠して売られる事もあるからな」

「他の使用人が言うには、7年前『10歳の貴族の子』って触れ込みで売りつけられそうですわ。読み書き出来て体格も良かったんですが、実は煙突掃除屋の払い下げで」

「改善令が下る前か。皮膚なら気付きますから、肺に不調があったんですね」

「ご明察です、旦那。そのせいで力仕事はからきし。店主の一人娘は同情的ですが、店主が『失敗した買い物だ』と言ったため、他の使用人からの風当たりは、推して知るべしですわ」

「煙突掃除から抜け出せても、難しいものですね」

「ケレタの方は、デッカーが見張っております」

「フーパー君、オエナンテをハーフリングと判断した理由は、なんですか?」

「それは旦那、あんな背丈なら……あ」

「ハーフリングが王都に増えたのは、移民要件が緩和された、ここ5年ほどの事です」

「オエナンテは、小柄なだけのヒューマンと?」

「かつての煙突掃除人は、小柄な子供を使いました。2人は『同僚』だった、と考えるべきでしょう。ケレタを使っていた親方は?」

「タカミという男でが、事故死しています」

「6年前でしたね」

 フーパーは事故死と言ったが、それは結果の話である。当初、事件性を検討されたため、インスラの記憶対象となっていた。

「あ、はい。子供達の名前も人数も、タカミ独りで把握していたため、彼らの行方ははっきりしません」

「……ありがとうございます」

 インスラは深々と頭を下げる。

「大袈裟ですよ、『旦那の』斥候として当たり前の仕事ですわ」

「ゆっくり休んで下さい」

「あら。牙でも黄ばんでいて?」

「いいえ、いつも通り美しいですよ。けれど、集めた情報の質と量を考えれば、休まる間もなく走り回ってくれたのは分かります」

 インスラはポケットから金貨を出し、テーブルの下でフーパーに手渡す。

「これは多すぎますわ、旦那」

「かなりの人数を動かしたでしょう。皆に、良いものでも食べさせてあげなさい」

 インスラは席を立つ。

「あ、わたくしも」

 追って立とうとする、フーパーの側をするりと抜け、頭をぽんと叩く。

 それだけで、フーパーは椅子に座り込む。

「フラフラじゃないですか。一休みしたら、帰って寝なさい」

 インスラは、店主に視線を向ける。

「レディーにおもてなしをお願いします、マスター」

「かしこまりました」


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