■8.夕食
アイゼン邸を出たインスラは、市民区画まで下る。
秋の陽は西の山に落ちかけ、街路樹の根元や庭の植え込み、建築予定の更地など、各所から虫の声が聞こえていた。
中央大通では、物売りの露店は畳まれ、飲食の屋台や店舗の灯りが通りを照らす。
王都警察の騎竜隊員がパトロールで通り過ぎるが、どことなく浮き足立って見える。
インスラは路地の、小さな間口の料理店に入った。
「いらっしゃい」
ドアベルの音と共に、ぎょろりとした目の深海族の店員が出迎える。
「あ、インスラの旦那」
「こんばんは、空いてますか」
「ラッキーですね。1席ありますよ」
店員は、するするとテーブル席の間を抜け、1番奥の椅子を載せたままにしてあったテーブルをセッティングする。
インスラが腰掛けると、すぐ煮込み料理と白い濁り酒の満たされたカップが置かれる。
インスラは煮込み料理を口に運ぶ。山鯨の腸がよく煮込まれ、若干の根菜と豆醤の旨味が絡む。
濁り酒の甘味のある味わいと、よく馴染む。
「旦那」
向かいに、やや腰の曲がった、白髪頭のヒューマンの男が座る。
「やあ、ヴァッサ爺さん」
「へいへい、無能のヴァッサでござい」
ヴァッサは、眉間に皺を寄せ、むくれた顔をしている。
「『これは』というネタを伝えられたと思って良い気分で寝てりゃあ、白夜が討伐されて、すっかり話はおしまいって。おいらぁ、自分の耄碌加減にホトホト呆れちまって、ふて寝してたんですよ」
「爺さんの情報がなければ、警察から強制捜査権限を貰えませんでしたよ」
ヴァッサもフーパー同様、斥候の1人である。インスラが知る限り、火魔局の使う斥候の中で1番の古株だった。
「世辞はよしとくれよ」
「世辞を言って元気付けるのは、局長の役目です。私は思ってる事しか言いません」
インスラは店員に手を振り合図する。
ヴァッサの前に、酒と黒い魚卵の塩漬けが出される。
「おお」
「……なんか、思ったより高そうなのが出て来ましたね」
「うむむ……うめぇ」
男の表情は和らぎ、嬉しげに飲み食いし始める。
「しかし、旦那も大変ですね」
「ふむ」
「今度は魔王アルセアでしょう?」
「……耳が早いですね」
インスラは、やや身体を乗り出す。
「ふふ、『ハーフリングの道はハーフリング』ですよ、旦那。引退したとはいえ、元魔王軍の人脈で、色々情報は集まるもんです」
「その情報通なところで、アルセアの情報はありますか?」
「ありゃあせんね」
ヴァッサは即答する。
「あいつはファスト・クエスト専門の田舎魔王ですから。おいらの身内で、ヤツのクエストに関わった奴ぁいません。顔を見たって話もなけりゃ、種族も分からない」
「今のところは、でしょう。何か分かったら頼みますよ、爺さん」
「お任せ下さい。今度はヘマはしませんや」
「別にヘマした訳でもないでしょう。誤りと当たり前の事を混ぜると、仕事の精度が下がりますよ」
「ちげぇねえ、へへ。今動いてるのは、フーパーの嬢ちゃんですかい?」
「私の使う斥候の中では、そうですね。局長のとこのニュステさんも、動いているのは間違いないでしょう」
「ようがす、隙間をほじくるのは、このヴァッサ大得意。花街が閉じる頃に」
ヴァッサはぐっと酒を飲み干し、立ち上がる。
「旦那は公衆浴場にでも行って、ゆっくり疲れを取ってらして下せぇ。日が変わる頃には、ひとつ報告入れて差し上げやしょう」
「そうさせて貰いますよ」