■6.アイゼン邸にて
『――副局長ぉ、副局長ぉ』
ドアをノックする音に、インスラが目を覚ました。
アパート作り付けの時盤は、23刻(15時30分)辺りを指している。
ベッドから起きたインスラは、外套を肩にかけて顔を洗い、鏡の前でざっくり髪を後ろに撫でつけ、ドアを開けながら袖を通し終える。
――ここまで、ワンアクションに近い。
「ふっ、きょっ、ちょぉぉわあああ!」
「聞こえてますよ」
「起きたっすね」
ドアの前にいたのは、局員のウドル・ロイだった。
長耳鼠の獣人族の若い女で、毛並みは白、少々幼さがある。獣人族は「トーテム」と通称される固有の動物と結びつき、遺伝子的には人間にもかかわらず、能力や外見にその性質が表れる。
「局長はどちらからお呼びですか?」
「ご自宅っす。『ゆっくりで良いから来て欲しい』と……りゃ? あたし、局長からって言いましたっけ?」
ロイは、小首を傾げつつ、長めの耳とヒゲをぴくりと動かす。
「ゆっくりで良い、でしたね」
「はい」
「下のカフェで、朝に木苺を煮ていたから、焼きパン(ビスケット)でも食べてから行きましょう」
「木苺!」
ロイの目が輝いた。
「ロイ君も、水分と栄養補給は出来る時にしておきなさい」
「はいっ! もうカラカラのペコペコで!」
朝食を済ませたインスラは、ロイを連れ、アイゼンの自宅へ向かう。
アパート区画との境目近くのブロックにある、一軒家では最低ランクの、申し訳程度の庭が付く小さな2階建て邸宅だった。
「――インスラ様、お待ちしておりました」
執事がインスラへ一礼する。
「あたしは……」
「急ぎの事があれば任せますよ、ロイ君」
「はいっ」
「ロイ様は、こちらでお待ち下さい。客間へ案内させます」
「あ、客間の場所なら知――」
無言でインスラがじっとロイの目を見る。
「知らないっす、案内されるまで勝手に動かねえです」
「こちらへ、インスラ様」
廊下を曲がり、奥の部屋の前まで案内される。
「――早かったな、副局長。ネズミが急がせたようで済まないな」
アイゼンは、ごく小さいテーブルの斜向かいに座る。身を乗り出せば額がぶつかるほどの小ささで、貴人の使うようなものではない。
アイゼンの自宅は、客間までは貴族然としているが、私室は庶民趣味で固められている。
「魔王アルセアの事ですね、局長」
「まあ急くな」
アイゼンは席を立ち、棚から陶器の小さい器と酒瓶を取る。
「昨日の今日で仕事が出来ても、明後日までは続かん」
手ずから酒を注ぐ。
アルコールの強い香りと、樽を焦がした匂いがする。
二人は酒器を手に取り、同時に飲み干す。
「魔王アルセアは8年前に、王都で『クエスト』をして以来、姿を消した。おれの就任前だが、記録はあるか?」
「はい」
もう一杯注がれ、インスラは飲み干す。
「なら、『次』はいつだ」
アイゼンは、地図を開く。
地図には、王都を中心とした、周辺の都市国家が描かれている。東に2つ、山を隔てて北に1つ、西は大きく離れて3つの中核となる都市があり、その周辺に中規模の都市が点在する。
全てイズォ連合王国に属しているが、それぞれが自治機能を持ち、領主を戴く完結した都市国家である。
これは、魔法と神の加護の存在により、生産効率が高く自給自足が容易な事、野生の魔物と人間のパワーバランスが近く、移動や輸送のリスクが大きい事が理由となっている。
「王都から逃亡したアルセアは、7年前に北の港町オークシャーで、網元を襲撃しております。その後、南西へ抜け、網元や商家を6件」
「ウスク市まで行かず、警察の規模も小さい田舎の国ばかりか」
「典型的なファスト・クエスト。目撃者は皆殺しです。強姦致傷後に殺された者もいたようです。3件目から先は、引き入れた仲間まで殺し、文字通りの『使い捨て』にしています」
「愚かな事だ」
「前のクエストが、本年の春と夏。奪った金額から考えれば、来年まで過ごせる筈ですが、或いは固定の仲間が付いたのかも知れません」
「なら、クエストは間近か」
「秋の内に済ませる腹でしょう。冬の逃避行は死ぬのとあまり変わりません」
「どこを狙う」
「まだ調べておりません。指示しておりませんが、斥候は動いている筈です」
「ご苦労。今日は休み、明日は昼から出て来い」
「了解しました」
インスラは一礼して、部屋から出て行った。
アイゼンは紙を取り出すと、鉛筆で何やら書き付ける。
「――ヨハン」
「こちらに」
「ネズミにこれを調べさせてくれ」
アイゼンは執事に、書付を渡した。
「それからノース子爵に……いや、これは遠話術にしておくか」
「用意してまいります」
衣擦れの音も立てず、執事は立ち去った。