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「おいそこのタナトス、立て。背筋を伸ばせ」
「はいっ!?」知らない神に怒鳴られた。
気付くと、周囲は神々で一杯だった。
前の方には、かのオーディンやポセイドン、更に天照大御神などの大御所の姿もあり、さすが高貴な神は粛然として強烈なオーラを放っている。
一方でアタシらみたいな下級の神になればなるほど、姿勢もだらしがなく落ち着きもオーラのかけらもなくなっていく。客観視は出来ても、それを我がふり直しに活かさなければ意味が無いよね、オーライオーライ。
「静粛に、皆静粛に」
宣礼官長を務めるハーデースが前に出て、声を張った。
あの人は大声を上げても、なんだか下品さや威圧感が無い。そういうとこ、好きだわ。
「皆の衆、古今東西、八百万の神々の参集に心から感謝する。多忙の中を縫ってもらって申し訳ない。さて、新たに神々の世界へ入る者を発表する。まずは右の以下三名、ウプウアウト級死神として選任――」
勅命を受けた死者の霊魂は、この瞬間よりめでたく神々の仲間入りを果たすのだ。
ある意味で、荘厳で壮大な瞬間、とも言える訳だ。
「右の物以下一名、タナトス級死神として選任――」
アタシの新たな部下が紹介される。
見えた、若い男だ。やった!
「~~」
……あれ?
いやいや。
空耳かな。同姓同名かな。
「以上の者、これより冥政府に仕えし一個の神としての自覚を持ち、その職務に努め励む事をここに期待する。先神諸君は力添えのほど、頼むぞ」
『はっ!』
新任の神々は揃って敬礼をした。右手の平を左胸の心臓の辺りに当てがい、左手は真っ直ぐ体の横に添わせる。これが冥界での敬礼ポーズだ。
「これにて、宣礼式を閉会する。皆、各々の持ち場へ戻り給え」
溜まった泥を一気に抜き出すようにして、宣礼式は幕を閉じた。
緊張が解けて気が楽になったが、身体は妙に疲労感を感じた。
神々は、それぞれの仕事へ向かう。今日も、神は神として孤高の存在を続けるのだ。
「タナトス級死神のライさん?」
天使の一人がアタシを呼び止めた。
「はい」
傍らには、先ほど勅命を受けた奴が突っ立っている。
「其方の部下になる新神のケンです。彼と行動を共にし、一個の神として立派に育てよ。それが、其方の新たな役割だ。よいですか」
「……はい」
「では、後はよろしくお願いしますね」
天使はお辞儀をすると、そのまま行ってしまった。
アタシの心境なんて微塵も察することなく。てか、察せられたらむしろまずいんだが。
「……おいアンタ、挨拶とか無いのか」
アタシの前で眠り込んだキリンのように深く俯いていたそれは、すっと顔を上げた。
――やっぱり、こいつは間違いない――
「あっ……!」
「シッ! 何も言うなよ。ここではお互い知らない者同士って事にしろ」
「……わかった」
「ここでアタシの部下として、仕事に精を出しな。ここで居場所を失うのは居眠りするより容易い事だ。生きていた頃の十倍は気を引き締めなよ」
どんな事があろうと、死神の仕事に一切の支障も生じさせてはいけない。
黙って頷くだけの彼を連れて、まず最初の案件に出向く事にした。
ただ、使命感だけにとらわれていれば、それで楽だった。
「~違う違う、吹き方が雑だとこうやって膨らんじまうから」「~おい、やたらと歩き回るな!音で人間に怪しまれるだろうが!」「~ばか、ソイツまだ死なねぇよ!」「~はぁ、逃がした!?浮遊霊なんか作っちまったら大目玉だぞ! 急いで捜せ!」
……まあ結局、普段のノルマを達成するのに三倍の時間と二乗の労力が掛かってしまった。
新神教育は初めてやったけど、これはあまりにもしんど過ぎる。身に余る難題だよ。
なにこれ。草しか生えん。刑務作業かよこれ。なんお罰ゲームじゃおりゃ。
「ねえ」
「……ん」
「あんた、なんで死んだの?」
「……事故って死んだ。それ以上詳しくは聞くな」
「……あっそ」
こっそり渡冥者帳簿見てやろうかな。
今日の分の仕事が終わり、くたくたになって、審議台の前に連れて行く。
業務報告も兼ねてハーデースからの労いの言葉かっこわらいを貰う事になっているからだ。
「ハッハッハ。初仕事、こんな女の下でご苦労じゃったなぁケン。小うるさい女じゃ、さぞ疲れたろう。ハッハッハ!」
案の定、主神は暢気にご機嫌だった。
「おい。あんたが韓ドラ鑑賞リレーでふやけてる間に、こっちはどれだけ必死で駆けずり回ったか、痛覚を以って知らしめてやろうか」
主神ハーデースは、軽々しい笑い声を上げるだけだった。
半月型の目は、「分かってる、分かってる」としきりに言っているように見えた。
「不躾じゃろ、すまんな。いつもこいつはこんな調子なんじゃ。で、初仕事はどうじゃった、新神さんよ。感想を聞かせてくれんかのう」
顔を少しだけ上げて、こく、と頷いた。
「はい。まだ全体の動きが掴めませんが、少しでも早く一人前になれるよう努めていきたいと思います」
声は小さいが、張りはある。
傍目にも普通の若者といった感じに映るだろう。
「うむ、良い心意気じゃな。この先輩ならすぐに超えられるさ。気楽にいけばよい」
主神ハーデースはTVに向かって嬉しそうに呟いた。
それから、こちらを見ないままアタシの名を呼んだ。
「なに?」
「それにしても、みんなみんな勘違いし過ぎじゃな。どいつもこいつも神に手前のお願いばかり寄越してくるが、逆じゃよ。はっきり言って。ワシら神々のほうが、上手く生きろ、ちゃんと生きてくれ、と願ってそれぞれに課題を与えて命の火を灯したんじゃ。みんなみんな、かたちの違う一本の蝋燭な訳じゃ。どうせ生きるなら明るく生きろ、ってよく言ったもんじゃよ。誰かに明るく照らしてもらうんじゃなくて、自分から明るく燃える事じゃ。少なくともその考え方が生き方を左右する」
そんな事言われても「そうかもね」としか言えず、その場を後にした。
アタシが歩き出しても、少しの間、主神は何か言いたげにこちらを見ているようだった。
振り向きたかったけど、振り向きたくなかった。
***
気付くと、ミオの部屋にいた。
(あれ? アタシ何していたんだっけ?)
脱力を極めている。お釈迦さまも仏さまもへったくれもない。
ギシギシと油の切れた自転車みたいに動きが鈍い上半身を気合で引っ張り起こして、辺りの様子をを窺ってみても、ミオの姿はどこにも無い。室内には彼女の気配すらなかった。
「いてててて……うわぁ、最悪。アタシ何してたんだろ……おかしいな。なんでここにいるんだろ。もしかして、またやっちゃったかな」
仕事を終えたところまでは覚えている。
そこからの記憶が、どうも繋がらない。おかしい。胡坐をかいて渦を巻く記憶と闘っていたところへ、ちょうどミオが現れた。どうやら彼女は入浴していたようだった。
「あ、ライ。おは。目が覚めたんだね」
「う、うん。アタシ、いったい……」
硬く絞った布を手渡しながら、ミオはどこか申し訳なさそうな表情で隣へ座った。
「あの、部下が出来たっていうところまでは、聞いたよ」
「ごほっげほっ!」
くたばる前に何やら喋ったのか、この減らず口。
冷たい布で顔を拭いたら、頭がバラバラに割れて砕けるような頭痛が咲き乱れて乱舞ルギーニカウン多苦。
「働き過ぎるとすぐに寝ちゃうんだから、心配させないでよ」
「……悪かった。またやっちゃった」
頭が冴えてくるに従って、嫌な気持ちもムクムクと蘇ってきた。
「……ライ? ねえちょっとライ大丈夫? まだ醒めてないんじゃないの?」
後頭部あたりが、クルクル回るような気持ち悪い感じがする。
そもそも、死んでんのにこういう症状が出ること自体がおかしな話なんだけどね。
「ごめん……アタシやっぱ……帰る……わ」
「え、調子は戻ったの? 大丈夫?」
「うん、おっけーおっけー」
全く大丈夫じゃなかった。
……どこだよここ。まじで。