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「ライ! ライよ! どこ言ったアバズレ! 出てこい! 手羽先にしたろかこんらぁああああああああ」


 朝から妙に慌ただしい日だ。


「おい、ここに居るじゃんかインチキ神様。おま、髭剃れやいい加減。顎にモルモット飼ってんじゃねえぞ」


 こちらに駆け寄るやいなや、主神は一枚のパルプをずいっと突き出してきた。


「これよく読んでおけ。お前の為でもあるし、お前のステップアップをワシも心の底から」「そういうのキャラに合ってないからイタいよ」


 咳ばらいが挟まる。


「わかっとるわブス。あのな、今日、お前に部下が入る事になった。急に決まったんじゃ。先輩として、しっかり教育しろよ。サボったら居残りバンバンさせるから、覚悟しておくんじゃぞ、ええか?」

「え? ちょ、は? え」


 部下?

 このアタシに?

 アタシ、先輩?


「……それって、うそ!? 本当? それって、アタシが一応、一体の神として認められたっていう事なの? 昇進?」


「そうだから勅命が出たに決まっとるんじゃね? ワシはもう、マジで忙しいからそういうのあんまよく知らんけどさ最近」


 主神は目をそこらへんに逸らして頭をガリガリと掻いた。


「……やったぁ! 信じられない、めっちゃ嬉しいんですけど!」


「ふざけるな! 仕事の回りを良くする為だ、勘違いして手抜きでもしたら、すぐにゴキブリ三回の刑じゃからな! 人間に転生するまでに散々キラわれ者として修業するのはイヤじゃろ? 浮かれるな。インチキ死神」


「はいはい。わかったわかったわかった」


 主神はやけに忙しそうな格好だけして、さっそく分厚い冊子を開き、猛スピードで判子つきを始めた。朝のルーチンワークだ。

 なんかミスったのか、「アレコレキノウノジャネウワメンドクセモウ」とか呪文も唱えてる。


 いやぁ、それにしても嬉しい!


「まったくも~。あ~。近頃の若い新神(しんじん)ときたら、どいつもこいつも肩書きばっかり追い求めよって。神という役目を舐めてもらっちゃ困るわいホンマにもう」


 聞こえないフリしなきゃいけないやつだな、これは。相手するとめんどくさい。


「おいライ麦パン」うわ、来た。


「はい? なんすか?」


「これだけは覚えておけ。一つの努力につき必ず一つの成果があると思ってたらいかんし、それを求めるのもやめろ。子供の頃の、お遣いへ行ったら三百円貰えるとか、宿題したらゲームしていいよとか、そういう飼い慣らされてた状態から進歩してない事になるぞ。能動的に進歩して、精神的に自立せよ、ライ。物事は長い目で見なきゃならん。鉄則じゃ」


「とりあえず三百円くれるところまで聞いた~」


「死んでまえまな板」




     *     *     *     *



「ようライ、聞いたぜ? とうとうお前にも部下が出来るそうじゃないか。これでめでたく下っ端脱出だなぁ」


 朝の体操の最中、ポチが隣にやってきて茶化した。


「おはよう。あぁ、こっちの世界でも噂って早いんだなぁ。どこから仕入れたの、この情報」


「ハーデースの爺さんからじきじき」


「あいつ? まさかまたみんなにチクったのかな?」


「ちゅちゅちゅ、残~念。でもそれと似たようなもんさ。俺が盗み聞きした。聴こえてくるのよう、六つも耳があるとさ、何でも聴こえちゃう。もう誰のどんな話もたちどころに聴こえちゃう。ちゅちゅちゅちゅちゅ」


 深呼吸していい気分で大手を振って歩き出した途端、その威勢を挫かれた。


「……三つの首ぜんぶ吊って死んじまえ」


「冥土じゃ死ねませぇん。僕は死にましぇん。僕は神だから。ちゅちゅちゅちゅちゅ」


「はぁ。面白くない。それにしてもあんた、そんな恰好でよくやっていられるな~。自分で自分の事不気味になったりとかしないの?」


 頭が三つある犬の姿なんて、アタシならパスだわ。別の階級の神を希望する。


「仕方ない事だろうね。生きる為だ、なりふり構ってられるのは恵まれた連中のみだ。ちゅちゅちゅ。この姿も悪くはないぜ。人間だった頃には味わえなかった感覚が味わえてるからな。役得ってやつだと感じてる」 


「生きる為、ね。……あんた、ここでこんな事してて、生前は何をやらかしたわけ?」


「ちゅちゅちゅ、ひみちゅ! ちゅちゅちゅ」


「あんたって確か、甘いものが好きだったよね? それに関係することかな?」


「いやいや、むしろ俺が好物に気を取られて色々とお留守になる弱点が絡んでるって事だけ言っとく」


「……そんな不注意なあんたが冥界の番犬だなんて、ほんと洒落の効いた人事だよね」


「嫌味ったらしい、イジメなんだろ、あのハーデースのさ。俺は生きてた頃もそうだった。玩具にされがち。イジられがち。ちゅちゅちゅ」


 頭の一つが、アタシの身体を嗅ぎまわるようにして鼻先で突っついてきた。


「あ、こら痴漢! なに人の身体の匂い嗅いでんだバカ犬!」


「ちゅちゅ。甘い匂い。いいねえ。若者の匂い。未来がある希望の匂いがする。ここではそれは異世界の香りなんだ。細かいこと言うなよ、どうせお互い、神の崩れだ。楽しみもない奴隷に等しい名ばかり神話よ。ちゅちゅちゅちゅちゅ」


 死んだアタシに未来とかあるわけないでしょうが。狂ってるわこの犬っころ。


「こっのっスケベロス!! ほんとありえないんだけど!!」


「そんなぁ怒るなってのもう、こんな場所でさぁ」


 ふとした瞬間に、冥界は怠惰で、また平和だと思わせられる。

 部活みたいな。

 今もそうだった。

 

 ここは審議台ではなく、宣礼所。神の着任・離任や昇格なんかをするときは、この場所に全ての神が集まってその儀式を執り行う。言ってみれば、雲の上にある多目的ホールみたいな場所だね。


「ったく……そろそろ宣礼始まるかな。あんた、これに参加する意味あるの、ポチ」


「ちゅっちゅっちゅ。この冥界の番犬ことケルベロス様に向かってポチとは、浅はかなのはその胸だけにしておけよ」


 そう言って、眉間にくしゃっと皺を寄せた。怒っているわけじゃない。

 非常に分かり辛いけど、これがこいつの笑顔だ。


「はぁ? おいてめぇ! 貧乳ナメんなよエロベロス! ベロベロしやがってよ! 恥を知れ!」


「ちゅちゅちゅちゅちゅちゅ。たとえ神とてエロには逆らえまい。宇宙はエロで廻っている、ブラックホールは女で太陽は男だ。じゃあなぁ」


 言うが早いか、あっという間に駆け戻って行った。逃げ足の速い奴だ。


「あ~……一人ぼっちになっちゃった」


 こんなだだっ広い所に一人きりで放置されれば、死神とて暇にもなるし、寂しい。


「ん~、やだな。やな感じ、やな感じ」


 手持ちぶさたなまま、階段に腰掛けてどこまでも続く青い空間を眺めた。


 ――人は死んだとしても、生まれ変わらない限りは、生きていた頃の記憶を消す事は出来ない。

 だからどんな風に生きるのか、どんな人生を生きるのかは生きとし生けるものの究極的に優先すべき事項であり指標でもあり、己の人生の裏表紙を笑って閉じられるという事が極楽に行くにあたって最も明快な及第点となっている。

 またその上で大事なのは、自分は自分の人生に一体どんな解釈を添えるか、というところ。

 辛い人生を終えてここへ来て、それでも精一杯に完全燃焼した人生だったと愛おしく思う者がいた。

 ぬくぬくとぬるま湯に浸った一生をほどほどで切り上げ、なよなよした己の不甲斐なさをここでわんわん嘆き、なんとかして生に戻ろうとしがみつき足掻く者がいた。

 自殺なんてしてから、死に急ぐんじゃなかったと泣き出す者がいた。

 それだけ死ぬって事は何でもないし苦しくもないし、死んだからといって楽になる訳でもないという何よりの証拠。

 死んでからの美化は出来ねえんですよ、生き様ってのは。

 生きるか死ぬか、それだけでは括れない〝何か〟が、魂には確実に存在するのさ。


 魂は使い捨てじゃないからねえ。


 自分は一体何者か。


 どこでどのように在り、周囲にどのような影響を与え、どう過ごし死ぬのか。

 人はなぜ知能を、欲望を、理性を、感情を、そして一つまみの狂気を授かったのか。

 そこを分かってない輩がどうにも多過ぎるね。


 ……ふっ。草ってら。


 別にアタシの頭が良いとか、感慨深いということではない。

 死神という職業を通じて、本心にそう語り掛ける何かがあっただけの事さ。


 もちろん、かくいうアタシも――


「そんなぁ、あんまりでしょ! 死んでからもまだ檻の中に入れられるなんて! 冗談だろ!」


 ――あれは着任から三日後の事だった。


 まだ死神業のいろはの「い」を学んでいた研修生の時、『神の裁き』の初の現場実習で見た男の姿が、頭から離れない。


 今でこそハーデースの傍らでバリバリ働くアタシだけど、この時はまだウブで相当なショックだったのが記憶に新しい。


「貴様は、その六十四年間の生涯でいったい何を学んだ。何も学んでいないだろう、その態度だと。ん? 違うのか」


 その時のハーデースは珍しく、露骨に怒りを露わにしていた。

 いや、怒りというよりも、あれは嫌悪感だ。


 瘴気のように立ち昇る底無しの嫌悪感。


「何をって……学ぶも何も、俺の人生なんて最悪だったんだぞ? ここから一体何を学べって言うのさ。あんた神様ならそういうのももっとしっかりしてくれてもよかったんじゃないの」


 この男の下劣な品性は、物腰から、口調から際限なく発散していた。


「………………」


 ハーデースの目元は陰ったままだ。何も答えない。


 今思い出すと、あの時より怒ったハーデースは未だにお目に掛かった事がない。

 神とはいえ、中身は〝人〟。感情が動力源。

 それは、そうだ。


「あんた神様なんだろ? どーして俺の人生をあんな風にしちゃってくれたのよ?おかげで、このザマだよ。トラブル続きで散々クタクタになってさ……神様なんて居ないなんて思った俺が間違いだった。神様は居たねえ。不公平だと知りながら、それを放任する役人みてえな神様がな! ほんと、洒落になってねぇよ」


 男は尚も食い下がり、嫌味ったらしい目でハーデースを見上げた。

 自分の人生が思い通りにいかなかったのが、神のせいだと主張するのだ。

 あの冥界の最高権力者たる主神ハーデースにこれ程まで楯突く者も珍しい。


「あの男が何をやってきたか、あんたは知らされてるかい?」


 当日の研修担当だったオルトロスは、こちらに悪い笑顔を向けた。

 この双頭の番犬は、実はケルベロスの弟にあたる。


「いいえ、存じておりません」


「きゅきゅきゅ。年頃でここに来たあんたに言うのは癪だが、彼は重度の性罪人だ。色魔ってやつさ。何度も警察に捕まって、遂に酒の飲み過ぎで肝臓を悪くして獄中死したにも関わらず、己の不貞を顧みようとしない豪傑さ。死んでも性根は治らんのよ、あそこまで堕落した魂はね。ま、教材としては最高にいい見世物だなこりゃあ」


 左の頭は、まるで人の喧嘩を見物するかのように頬を緩ませている。


「どうしてそんな事になってしまったのでしょうか」


 まだ新神らしく礼儀正しくしていたアタシが質問すると、苦虫を噛み潰した表情の紳士的な右の頭が振り向く。


「私らみたいな階級の神には、到底予想がつかない。ただ、いつでもそうした出来損ないは生まれてしまうようだ。作ろうと思って作られている訳ではないだろうがね。降ってくる雨を全て器に溜める事が出来ないように、彼のような人間が誕生し、周囲を惑わせ、困らせて一生を全うしてしまう事も、ある意味仕方ないのかもしれない。無責任な言い方になってしまうがね」


「人間の、出来損ない……」


 お調子者でせっかちな左の頭が再び口を開く。


「まあそりゃ無理もないさ~。痴漢が三十八回に、強姦が六回。三十キロを超すスピード違反に駐車違反、コンビニエンスストアで弁当を万引き、挙句の果てに日雇いで務めていた建設会社事務所の手提げ金庫から、わずか六千円をくすねてる。おまけに重度のアル中にDV夫ときた。生涯での逮捕回数は五十四回だ」


 聞いているうち、自分の眉根に力が込もって行くのが分かる。

 激しい嫌悪感。


「……それは、アレですね」


 そう。

 アタシがこれまで、たくさん見てきた、

 見るに堪えない、

 聞くに堪えない、

 存在すら穢れた、

「人間の――クズですね」


「その通りさ。きゅっきゅきゅ」


 右の頭は悩ましげに溜息をつき、左は獰猛な牙を露わにして邪悪な笑みを零した。


「困ったものだよ。人間が出来てから、気の遠くなるような時間が経ったというのに、まだ根本の問題が解決できていないなんて。冥界も、根っこの弱さをいつか指摘されてしまうだろう。その時には誰がどうのような対応をすべきなのか……そもそもそれを指摘するのは誰かっていう話だが……ま、生前は二面性が強かった自分にこんな事を言う資格は無いのだがな。いかんせん、先が思いやられる」


 哀愁を含んだ目で男を見い見い、言っていた。


「死後の世界で先が思いやられるという発言は、なんとも皮肉な響きですね」


 返事は無かった。結構うまいこと言ったと思ったとか言うとまた罪が積み上がりそうだから黙っとこうと肝を冷やした。


「ところでさ」


 左の頭が、鼻でアタシの尻を突っついた。

 そういえばこいつも結構スケベだった記憶があるぞ。


「は、はい、何でしょうか」


「あんたがここへ来た理由って、何なんだい?」


「じ、自分がここへ来た理由……ですか?」


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