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「えええ!?」


 声を上げたのは、アタシの方が先だった。

 ハーデースが青年に下した命は、意外にも神職入りだった。

 アタシの予想では、こんなどこにでもいるような芋臭い自殺者、特に引っ掛かりもなくスムーズに極楽へ流されるとばかり思っていたのに。完全に予想を外した。


「変な誤解をされちゃ困るが」

 

 ハーデースは改まった口調で語った。


「さっきも言ったように、自死の事実は見逃せん。同じ状況でも寿命まで生きた者なんて星の数より多いからな。まぁしかし、この男は自己嫌悪の持ち方が卓越しておるわ」


 書類にペン先を走らせながら、奇天烈な感想を述べる主神に疑念の視線を向ける。


「……はい? どういう事?」


 主神はひとしきり書類を書き終えると、羽根ペンを台座に差し込んで背凭れにふん反り返った。


「あ~。よいしょ。ライ、この青年の目を見てみなさい。これが何の悪事も犯してこなかった者の目じゃよ。おー、きれいきれい。なんちゅー綺麗な無垢なもんじゃろかこれ」


「いやいやいや、待って待って。ちょ、タンマ。それでわかるわけないでしょ。どの辺が、どういう理屈ですか」


「あーあー。まだまだ経験が足りないからな、お前は。要するに、彼は、頑張り過ぎただけなのじゃな。彼は、きっと人の痛みを分かってやるだけの優しさを持っている。それも人一倍情の深い優しさ。大いなる大自然にも宿っている慈悲と治癒の要素、包容と受容の力。癒しの波動。まだちょっと人間にするには早かったかもな。彼こそ、冥府に召されし者の采配を司る一つの神に相応しい。ちょうどペナルティが出て空きがあるから、極楽審査の方に回してやりなさい。そこでしばらく……そうじゃな、三百年くらい死者を扱わせて人間観察させてから、もう一度、現代に人として生まれさせてみてから本当の審判を下してもいい気がする。ファイナルアンサー」


 信じられなかった。

 いや、語弊がある。信じたくなかった。納得したくなかった。


「でも、でも……こいつは自殺したんだよ? それなのに? なんでそんな優遇するわけ?」


 主神ハーデースは、ふうっと溜息をついた。


「よせ、ライ。悲観してやるな。今回の人生は、彼は修業の時だったというだけじゃ。中にはそういう者も居る。人間の数なんて、冥界ですらまともに管理出来ていないというのに。そりゃ、幸せ者もいれば、不幸者もいるじゃろうて。そこはもうこちらにも落ち度があるという事で、多めに見るんじゃ。それが、本当の裁きなんじゃよ、ライよ」


 そう言って、一時停止していた『寂しき恋歌』を再生した。主演男優がヒロインを振るシーンで、目に一杯涙を溜めたヘインだかペインだかに自分の感情をぶつけている様子が画面に映っている。

『察してくれ。もう俺には無理なんだ。手に負えない、俺にはお前は吊り合わないんだよ』主人公はそんな、まかり通らない文句を手話で垂れる。そして『どうして?一緒に時計台を見に行こうって、フラワーロードで夜景を見ようって言ったじゃないの! 嘘つき!』と愚図る、演技の上手いヒロイン。


 まぁ、こんなクサイ芝居を観ているのも、人生の記録に記載されるんだよな。

 ここでアタシなりに、死神目線で感想を述べてみようと思う。


 ――この二人は別れる、別れない以前に、自分達が生きている事に対する感謝を忘れている。

 だから、こうしてギザギザしなくちゃいけない。冥界に来た者にこれを見せるとするなら、一体どれだけの数の冥民に反感を買うだろうか。

 命があるんだから、新しい相手を探し続けろよ!と彼らは口を揃えるさ――


 老人が、「まだ若いんだから……」と言うのとまま同じに。


 冥民は「まだ生きているんだから……」と切実な目をして言うの。


 ここが、これこそが、生きている人間に見せてやりたい部分ナンバーワンなのさ。


 冥界の最高権力者、主神ハーデースはちらっと振り返り、「お前にも、分かるか」と言うように、小さく頷いてみせた。太陽よりも暖かいまなざしで。


「へ~。なるほど」そういう見方ね。


「死神さん」


 青年が肩をつついた。


「ん、どうしたの」


「人生って、死んでからもやり直し、利くんですね」


 さっきとは違い、表情が明るかった。


「……さぁね。とりあえずせっかく死んだんだから、後悔しないように頑張れ。許されて……よかったな」


「はい……!」


 死んでから、やり直し。


 そんな事、考えた事無いや。


 朗らかな表情をしたまま、男は天使に連れて行かれた。ここからは上の神々の管轄だ。

 少し寂しいような、煮え切らないような、不思議な感覚で審議台まで歩いて戻った。

 静かになった審議台には、韓ドラのエンディングテーマが寂しげに流れている。


「なぁクソじじい」「なんじゃチビ」


「あんたは、どうしてこんな重要な立場の神になったの?」


「…………………………………そりゃお前、ワシが選ばれし者だからに決まっとるがな」


 暫く動きが止まった後に、早口でそう言った。

 そして新しいDVDを挿入しながら、鼻歌みたく嘯いた。


「じゃあさ、あんたを選んだのも、先代の神なワケっしょ?」


「ん、まぁ、そうだわな、システム的に」


「結局のところ、神って一体なんなの?」


 またしばらく、間があった。


「……さぁなぁ、ワシに聞かんでくれぇそんな哲学的な事……それよりも、お前も観た方がイイ、これ」


「お次は何を観るんですかい」


 アタシは腕を組んで審議台に凭れかかった。


「『美女(ベッピン)ですね!!』ってゆー新作でな、今日DVDが届いたんじゃ。もう嬉しくって。世界中の畑に、必要以上に作物を実らせてしもてな、こいつはいかんなぁ」


 こちらに一瞥も呉れず、豊かな顎髭を撫で撫で、口だけ軽快に踊っている。


「へー。豊穣神がこんな変わり者で、生きている連中もラッキーなもんだと思うなー」


 ハッハッハ、と笑った。

「何とでも言え。ただ、一部の国に言いたいんじゃが、そろそろ冥府は天上にあるという事に改めてほしいもんじゃなぁ。地下って……あの世が地下ってお前、ふざけとる」


 頬を赤らめ、姿勢を寛げながら言っていた。

 こんなのが、冥界の最高権力者だよ。


 下界とそう変わらねぇのかもな。この、ノンともいえないアットホームな感じも。


「国によって宗教も国民性も違うんだから、仕方ないっしょ。違いは叩き潰さずに、認めなきゃ」


 まぁいいか。どうでも。


「どの口が言うかね、一京年早いわ……ところでお前、さっきの青年と話してて何か感じる事なかったのか」


 声の色が違った。


「え? 何かって? なに?」


「あの男、あんまり、人付き合いが得意そうには見えなかったじゃろ? どうじゃ?」


「あぁ、それ。それな。それ思ったんだ。コミュ障っぽい感じがした」


「これは言ってなかったんじゃが、あの青年は人間をやるのが今回が初めてなんじゃ。空気や間を読むっていうのが出来てなかったじゃろ。人間初心者じゃて」


「いや、それな。うん、まさしくそれ。人間慣れしてない。こっちが反応に困ったのなんのって」


「初めて人間をやる奴は、そういう事は苦手で苦労しがちなんじゃな。これが。何度か人間を繰り返していくことによって、そういう言語化できない部分は素養が付いていくんじゃが。ここはもう、仕方ない部分じゃから見逃してやってくれんかの。おまえも前世はそうじゃったよ」


「そうなのか。人間らしさが浸み込んでいくみたいな解釈かな? おでんの大根みたいにさ。しみしみ~って」


「う~ん、まあそういう考え方でもええと思うけどさ。単純な話なんじゃよ。慣れじゃよ、慣れ。前世の記憶は消されとるけど、人間としての生き方みたいなんは、経験を積めば積むほど浸み込んでいくもんじゃから、ただ数こなすだけで世渡り上手という天賦の才能があるような状態にあるんじゃ。例えば一度自転車に乗れるようになった人間は、久しぶりに乗ったとしても乗り方は身体が覚えとるじゃろ?」


「ああ、わかるその感じ」


「つまりはそういう感じじゃな」


「そうなんだ。ねえ、アタシは人間やるの何回目だったの?」


「教えられん。それは本人には言わん規則じゃ」


「じゃあ、前世は男だった? 女だった? どんな人生だったの? 仕事は何してた? モテた?」


「ぜんぶ教えちゃいかん。答えられん」


「もう。なんでさ。いいじゃんか」


「知らん。ワシが決めたワケちゃうもん」


「もう、変な所で頭硬いんだから……」


「ハッハッハ。トップに立つという事はなかなか自分の思い通りにはできん事も多いんじゃよ」


「あっそ。アタシなら願い下げ」


「そもそもワシがお前の昇進は許さんがな、とか言って~」


「あんたみたいな、しみしみの神様、こっちこそ願い下げ~」


 

 記帳して、さっさとアガる。

 その日も無事に仕事を終え、翌日。

 事件は起こった。





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