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「ライ。今日は五件の仕事が入っているから、しっかりやるのじゃぞ。しかも一件一件が距離があるから、時間はいつも以上に気にせんといかん。移動時間がだいぶ業務の時間を圧迫することになる。久々に組み合わせ悪いシフトになったな、すまん」
「へ~いへい~。心配しなさんな」
「頼むぞ。くれぐれも、丁寧にな」
腕立て伏せを百回やり通して見せる! と高らかに宣言して八回で力尽きた冥界の主神にして最高神ハーデースに命を受け、いざ下界へと降臨。
渡冥者帳簿の今日の対象者は……まずは、こんな男が振り出しだった。
・古屋 裕介 二十八歳。フリーター。名門私大を卒業後に写真家を夢見て上京するも都会での生活は上手くいかずドロップアウト、アルコールと煙草が手放せなくなる。母の病気を機に里帰り。そこでアルバイトと母の介護に明け暮れる中、次々と出世していく友人や成功していく同級生らの姿、そしてそこへ最愛の妹の事故死に絶望しOh my 人生! と絶望し自室で首吊り自殺。最期の言葉は「ちくしょうが」とシャウト。
…………。
ほう。
自殺者……か。
てかまずよ、この文面を作成した奴の面を拝んでみたいわ。
もう少しこう、人を敬うって事を教育した方がいいと思うけどな。いろいろとこう、ダメでしょ。
「ん~。ノーコメ」
とりあえず、仕事としては楽そうな案件だからめでたしだな。草。
帳簿の上覧を見ると、場所は警察署の遺体安置所とある。もうすっかりお馴染みの施設だ。
笛を吹いて、霊魂を引き出して、お決まりのセリフを言って連行。ルーチンワーク。
享年二十八で「お長い様」というのもおかしな話だけれど、例え未成年で亡くなった者にもこう言う事が死神の礼儀だから仕方ない。
中途半端というのは、本当、どんな事でもタチが悪いっすね。
「ちょっと。遅れないでちゃんとついてきてくれる。こっちはいろいろと忙しいんだから。特に今日は訪問件数ヤバい厄日なんだから!」
概して死者の霊魂は動きが遅くてイライラする。
まぁ、空中浮遊に慣れてないから仕方ないのだけれども、時間の苛立ちはストレス指数が異様に高い。なんで死んでからも時間に追われるのかなアタシ。
「すいません、あの~。お願いなんですが、一度病院へ寄って頂けませんか。入院している母の事が気掛かりなんですけど」
「はあああ? あんた何言ってんの、無理無理、そんな余裕ないってば」
「なんとかなりませんかね」
「いやぁかなり無理め。時間ないし」
「すいません、たった一人の身内なもんで。このまま自分だけ人生からコソコソ退場だなんて、なんか後ろ髪を引かれるというか、気が乗らないというか」
青年の魂はひどく引け腰でそう要求してきた。
アタシはすぐに脳内検索をかける。
お彼岸の悲願という奴か。ひがんでヒーガン、生きてる奴ら僻んで過ぎてく時間。地べたの我慢も知らんでじだんだ。みたいにラップにしたらどうかしら。
でもお生憎様、こちらにそんなユーモアは毛ほども無いけどね。
「いや、言ってること意味わかんないから! あんたがそのお母さんを放って勝手に死んだんでしょ! 自己責任でしょうが、こっちの知ったことか。いいから早く来なさい。仕事がつかえるでしょ」
「……ですよね。やっぱり自己責任なんでしょうね、こういうの」
「当たり前でしょ。なに履き違えてんだか。そんなんだから自殺するのよ、あんたみたいな履き違え厨は」
いや人の事言えたこっちゃないけどさ。
冥府へ上る道すがら、ふと下界を見下ろしてみる。
自分の足元から額の辺りまで、すっかり慣れた街並みが広がっている。それは細かく動き、息づき、今日も生ける者たちと歴史と永遠に流れ続ける時を刻んでいた。
営みと、呼吸と、栄華と衰退、歓び、哀しみ、憎しみ、憐み、そして、愛。
今になってみて、この世界もそこまで悪くないのかな、なんて思う瞬間がある。
それもたまに、ね。
けど実際はどう?
今こうして連行しているこの男は、そんな下界に嫌気が差して、自分で冥界へ行こうと思ったという。それで実際に行動に移した。
そして、いざ天に召されようとして、やはり下界に――『現世』に忘れてきた事があるのだという。女々しいにも程がありんす。
「でも僕の人生は、僕を極限まで苦しめました。だから僕も僕なりに負けないように、必死になって極限まで生きてみました。だけど、その結果がこれですからね。やるせないですねホント、人生ってやつはなんだかな、辛口すぎる気がするんだよな……」
「……他責でいるうちは楽だよ。アタシだってそうだった。だけどその分、現実にぶつかった時の痛みを先送りにして負債を膨らませてるだけって事に気付けなかったんだね。頭のいい連中ならこんなこと、じんわりと感じてそれとなく生き方を変えるさ。それも、もっと若い時に。あんたがそれに気付けなかったって言うだけ。原因の原因は自分なんだよ」
矛盾まみれ、とは言わない。
なぜなら、人間はあえて矛盾と言う余白を作ることによってしか上手に生きる事が出来ない不器用な動物だから。
息継ぎできる余地が無いと、壊れてしまう脆弱な魂が皆、等しく人間に生まれさせられるのだから。
当然の話だといえば当然の話だ。
……この世界は、果たして美しいのか?
それとも、醜いのかな?
たぶん、主神ですらその問いには答えられないと思う。
きっと、推測だけど、神よりも偉大な何かの存在って、やはりあると思うんだな。
「ぐぅの音も出ないです」
「出なくてよろしい」
仮に醜い、どうしようもなく醜いのだとして、それでもこの世界に後ろ髪を引かれる人間の心理って何なのかな。
仮に美しい、この上なく美しいのだとしたら、この世界を手放す者の意志っていったい何なのかな。
それでそれがアタシに分かる時は、くるのかな。
「いっててて……」
首の後ろが痛む。
時々、不定期にあるんだ、こういう事が。
おかしいな、死んでるから痛覚も疲労も無いはずなんだけどな。妙に身体がダルいというか、凝ってる感覚がする時もある。
気持ち悪いな、なんか――。
「ど、どうしました?」
「いや、気にしなくていいよ。なんでもないから」
少しの間、沈黙していたが「僕って、結局のところ、自分に甘えていました」と、青年は不意にそんな事を口走った。
新橋の高架下通路で引っ掛けられるナンパの如く唐突だった。
「――あ? 今何か言った?」
俯きがちだった視線を上げて振り返ると、さっきまで透明に近かった男の魂が少しだけ色めき立って見えた。心なしかピンク色っぽくなった気がする。
「僕が……僕が自分に甘えさえしなければ、もっとしっかり出来ていたかもしれない。今になってやけに強くそう思えてきました。いちいち本気になって歯を食いしばらなくても、そのうち結果は出せるだろうって安直に考えていました。自分の性格の一番悪いところだってわかっていたはずなのに……理解できてたはずなのに……所詮、詰めが甘かったのでしょうね僕。なんて言っても、僕はもう死んでしまった身なのですから、言っても始まらないんですが」
そうして、自嘲するようにふっと鼻から息を抜いた、感じがした。
「な、え?……あっそう……そうか」
こんな寂しい笑い、久々に目の当たりにした気がした。自分みたい。
そうか。ひょっとして、昨日のアタシはこんな顔をしていたのか。
ミオの反応、今の自分の反応、見事に重なるところがある。
こんな雑巾みたいな状態になっていたのか、自分が……。「あ、すいません、自分の事ばかりで。お仕事の邪魔でしたね」なんて世話する相手に気遣われちゃってさ。
普段は舐められないよう突き放すが、今の自分には、どうにも尖った態度をとれなかった。
言葉に力が入らなかった。
インフルエンザにかかった時みたいに、ヘナヘナと感情の筋肉が他愛無く弛緩して鈍痛がビリビリと走る。
「……それでもあんたは、自分の選択に納得した上での行動だったんでしょ」
努めて冷徹な対応を心掛ける。
変に情けをかける死神も居るが、頼られでもしたら面倒臭いから、そこは冷静にいくよ。
アタシら悩み相談のボランティアとは違うからさ。仕事だからさこれ。職業死神だから。
「…………」
いらえは無い。
「あんた自分で、この道を選んで後悔しないって思ったから、腹を括って、首を括ったんでしょう。じゃなきゃ、気軽にできる事じゃないけどね、首吊り自殺なんてさ。あえて言わせてもらうけど」
「そうでなきゃ、平仄が合いませんよね」
「当たり前でしょうが。とことん当たり前っしょそれ」
「……でもやっぱり、もう少し生きていたかった。今、死んでから思うと」
「…………あっそう」
「……死ぬことって、人生で一番簡単だったから」
妙にくっきりとした声色で、そう言った。
どきっとした。
思わず振り返る。
寂しそうな雰囲気で遠ざかっていく高層ビル群を追いながら、こちらの視線には気付いていないようだ。
――何と言うべきか、ひたすら哀れな姿だな。
「し、知るかよ。あんたの感想なんて。同情してやることもできないんだわ、悪いけどさ」
「同情なんてそもそも求めてません、生きてる頃から……もし生きていたら、今ごろ何をしていたんだろうって今、思いました。落ち着いてから思い出したら、買ったままの宝くじも、録画したドラマも、伊豆や黒部に行きたいって言ったのも、友達に借りた漫画も、そのままだ。何もかも、そのまま置いてきてしまったんですよ、自分。全てが中途半端で、生焼けで、きちんとキリがついていないんです。一人の人間の人生の終わりとして、なんというか、これで本当にいいのかなって今、しんみりと感じてます」
「知らんがな。ほんとに締まり無ぇ性分だな、あんた」
どうにもこの男を直視する事が出来ず、ちょうど良く目に入った電車に向かって吐き捨てる。
電車は嫌いだ。乗ってて楽しいと思った事がない。
「ですよね。今になってこんな事を言うんじゃあ、やっぱり僕はダメ人間だったんですねぇ。生まれない方がよかったのかな」
……過去形か。
そう。戻れないんだよ。生きていても、死んでからも、過去には誰も戻れない。
時の流れには宇宙さえ逆らえない。
「おまえ、自分の意思で生まれたわけじゃねえんだぞ。アタシの上司……まあ上司になるかな……、それなりに位の高い神が、必死に精査して理由付けをして期待をして選んだ魂だけが人間をやらせてもらえるんだから、今の発言は撤回しろ」
「すいません、ちょっと言い過ぎました。失礼しました」
「うん。よし。そうだな。少し黙っていようか」
アタシは羽ばたきを速めた。
「す、すいません。でも正直、驚いているんです」
まだ喋るのコイツ?!
絶対人間関係上手くいかず独りぼっちになるタイプだっただろうな。
クラスに一人はいるわ、こういうの。
「みんなそうだよ。死んだら驚く。逆に死んで何も感じない人間なんて、居ない」
嫌な会話だけど。
シカトするのも、それはそれで疲れるから仕方なく応答する。
生きている時も、雑談って一番苦手だったな。何か、ダラダラ喋っているうちに自分の痛い部分を無意識にぽろっと言ってしまいそうな気がして、いちいち妙に緊張するんだよね。それがアタシには苦痛だった。日常で一番多く発生するイベントなのにさ、雑談。
十代のメスゴリラのきしょい恋愛雑談よりも仏壇の方がまだ可愛げがあるわ。
「死神って本当に居る……いや、いらっしゃったんですね。そこにまず驚いたのと、その、僕が思っていた死神って、黒いフードを被って大きな鎌を持った骸骨とか、そういう風なイメージを持っていましたけど……ぜんぜん違う。可愛らしい普通の女子高生って感じ」
「いやそこかよ。しかもステレオタイプな感想だなオイ」
「すいません、小並感で恐縮ですが本音です」
「あっそ。ちなみに黒装束で骸骨ってのは、あれは昔の衣装だな。いつまでもあんな恰好はダサくて出来たもんじゃないし。あ、でも時々先輩達が死神イメージ強化週間だとか言って、あの恰好をしてわざと人間に姿を見せる事はあるな。五、六年に一回だけとかそんな頻度で、写真にうっすら写ってみたりとかするの。これで効果あると思ってるなんて、ほとほと上が馬鹿で嫌になるよね」
ウケ~……ないな。はい。
それより見た目に関する話題は心底やめてほしいんすよねえ。
一体今までに何度、この手の話を振られた事か。
聞いて極楽、見て地獄の反対で良かったねぇなんて、ふっくらふくよかな親戚のおばちゃんみたいな事を言う器量は持ち合わせておりませぬ。
あるいは、別料金を頂戴しなきゃお世辞なんていってられない。ソーセージでも食っとけ朴念仁。
「それはまたびっくり。でも、まさかこんなにカワイイ渋谷の女子高生みたいな今どきの女の子が、こんな……どぎつい服装で来るなんて。セクシーというか破廉恥というか。目のやり場に困ります。そうだ、この羽根は本物ですか? すごくイイ匂いがしますね」
青年はこの瞬間、初めて明るく、和やかな雰囲気を醸し出していた。
心からの好奇心が、彼を〝ヒト〟たらしめたのだろう。当然、刺激臭が鼻を衝く。
人間らしい部分が出てくると、普通の霊魂でも耐えがたいくらいの濃厚な人間臭さを発する。たいていどこの国の死神も顔が怖くて容赦ないのは、生きている人間、死んだばかりの人間の魂が臭くてたまらないからしかめ面をしているからなんだ。早く終わらせたいんだよね、実際。
でもまだマシだよ。
こんな状況で、まして自分が死んだと知らされた直後に明るい雰囲気を作れる奴なんて、こいつは色々な意味で幸せだ。狙ってない幸せって、最強。
「こうして羽ばたいている時点で本物だと思ってもらって構わないよ。手品でもなけりゃ見世物でもないけどね」
「そ、そうですよね……はは。でも、鎌は小さいんですね。それで腰に差して持ち運ぶんですか。合理的ですね、軍隊とか警察の装備品みたいです」
「まぁそんなとこかな。今は何でもコンパクトの時代でしょ。車、携帯、ビデオカメラに女の子……冥府もポケットサイズブーム到来よ。なによりかさばるのってストレスだし」
さっと鎌を抜き、こっそり練習していた通りにクルクル回して鞘に差しこむという隠し芸を披露すると、たぶんこっちを見ていなかったらしい、何の反応もなかった。
そうやって、間が悪いから死ぬんだよこのブス眼鏡!
そしてこのように、へんてこな嘘がスラスラと出て来るのは、生前からのアタシの得意技さ。
嘘でもいいからいくつか言葉を返しておかないと、話が終わらないし場が硬いからね。
処世術っていう黒魔術さ覚えときなキッズ。
大人はみんな嘘の方が真実よりも多いんだぜ。大人になっちゃダメだぜみんな。
「そうなんですか。ふふ、意外と何気なく普通に存在しているんですね、あの世とか、死神とかって。なんだか、すごく面白い事を聞いた気分です。今でもこれが現実なのかなって、夢みたいな気持ちですね」
「そうだよ。ディズニーランドだってスカイツリーだって、別世界にあるように思ってるかもしれないけど、ちゃんと日本にあるんだよ。パパの運転する車で行けるんだよ、夢の世界に」
いつまでも夢を見てんじゃねぇよモブ。
永眠したんだから、しっかり……あれ、なんか日本語おかしいよな。
夢見てんじゃねえって言いつつ、こいつはもう目覚めぬ眠りに就いたんだから、夢を見てもいいってか、夢の中なのか?そもそも、冥界に来てからの時間の方が長いんだから、生きている間の方を夢と捉える事だって出来るよな……。
うわー、訳わかんなくなってきたー。
哲学ってやつだよねこれ。むずかしー。
「そんなもんですかね」
「そんなもんでしょ」
「そう……ですね」
「そう、なのよ」
「………………」
「思い出してごらんよ。子供の時とかに、みんながワイワイ騒ぐものに限って、実際に目の当たりにするとがっくりきたりしなかった? 流行りのものに手を出してみたはいいけど、イイ感じの感想が出てこなくて、思わず口から出そうになる悪口を必死に抑え込むのに苦労したりさ……聞いて極楽見て地獄、これ、まさにそのままかもしれないよね」
台詞の中盤辺りから、青年はこちらの顔面をまじまじと凝視するようにして、言った。
「あなたは死神にしては勿体ないくらいの美人なのに、どうしてこんな冴えない役やってるんですか? なんでこんな状態なんですか?」
「おぇっぐもっ……べみっ」
いちいち腹立つ質問を、よく堂々と出来るよなコイツは!
べみっ!! だわ、べみっ!!
草。
べみっ!!!!
「お前な! それ、レッドカードだぞ!」
「え? な、え?」
「モテない男が決まってする質問、とだけ言っとく。後は自力で消化して血となれ骨となれだ。ほんと、ありえないから。男性失格。キモイ。きもすぎ。たぶん死んだほうがいい」
「……そ、そうですか。あの、褒めたつもりだったんですけど、その、気分を害されたのならすみません……」
「因みにお前、死神の事をどう思ってたわけ? 言ってみそ?」
「死神ですか」
この質問はかなり予想外だったと見受ける。声が裏返っていた。そういう変に抜けてるところも含めて、なんかイケてないねえこの男。
チーズ牛丼食ってそう。
「そりゃあ死神ですから……怖い、逆らっちゃいけない存在の代名詞のような、そういうイメージですね。以前、映画で死後の世界についての作品を観て興味が出て、色々と西洋の神話を調べさせてもらったことがあるんですけど、結構定義とかも曖昧で、個々人の解釈にゆだねてるように感じる部分もありましたね」
「うん、退屈だけどまあ、模範解答だね。確かに死神のやってる事は恐ろしいよ。だけどな、死神っていうのは『最高神に仕える農夫』っていう別の前向きな説もあるんだよ。ちゃんと自分の仕事をしているだけだって意味がここに込められているんだ。それにな、死神が死者の魂を狩るのは、肉体から空気に融和した魂が時間の経過と共に世の中の悪い気を吸い込んで悪霊化してしまわないよう救い出すっていう大義名分があるんだよ。人助けよ、人助け。それに環境維持してる訳だから、冥界の公務員よアタシら。考えようによっては花形なんだから! 鉄だってそのまま放置しておくと、酸化して錆びてくるのと同じで、人の魂だって鮮度がある物質の一つとして現世では存在するから、しかるべき処理をしてやらないと腐敗するのよ」
うあ、なんか久しぶりに一気に喋った。恥ずかし。草。
「へええ……」
「まあ、難しい話になっちゃったけど、要するに、なかなか良い仕事をしてるっしょ? っていう訳で、本当に怖いのは既に取り返しのつかない所まで腐ってしまった悪霊達の方なわけ……アタシら死神じゃなくてね。奴ら、感情が一つしかないからね。喜・怒・哀・楽と移り変わる為の選択肢が無くなってて、しかもそれを深堀りしていく事すら出来ない。怒に固定された悪霊は、その中の憎しみとか嘆きとかをずっと無限ループしてる。生きている人間がこういう状態に陥ったあと、奴ら一体どんな行動に出るか知ってる? ねえ、ちょっと人の話聞いてんの?」
「あ、はい聞いてます。えっと、鬱病になる、とかですか」
「不……正解じゃないけど正解でもないな。鬱病ってのは、その成れの果ての状態になる一歩手前だ。まだチャンスがある。病気だから治せばいいからな。だけど、その最終形態が何かご存知かって訊いているの」
「えっと……自殺」
「そう、正解。あんたの事だよア・スーサイド。自殺は病気じゃないし、死んだ後にはもう病気っていう現象は起きなくなるから文字通り取り返しのつかないジ・エンドなの。生ける屍になった人間には、主神が生きている価値は無いと烙印を押して、冥界に呼び戻す。別に鬱にならなくとも、人生で頑張る事を放棄した奴なんかも強制送還の対象だな」
「強制送還なんてあるんですか」
「うん。あるよ」
「ど、どんな……?」
「ロクでもない奴にはそれ相応の結果が訪れるでしょ。運気って言うのも実は操作されてるからね。ここは口外しちゃいけないって言われてるからこの先は伏せるけどさ」
「ええ……じ、じゃあ、生きている人は全員、ある意味で神々に常にコントロースされているって事ですか?」
「まあその認識で近からず遠からずって感じかな。ただ、ネックがあってさ、困難に耐えられるか、往生際の良し悪しなんかは完全に個々の素質だから、さすがの主神もコントロール出来る範囲を超えてる。だから、主神はいきなりエグい手を使わずに、何度も何度もメッセージを発信する。今のままではお前は幸せにはなれない、生きている価値なんか無いのだぞ、針路を変えよ、考えを改めよ、態度を改めよ……って」
「……そ、それで?」
「それにちゃんと気づいて、勇気をもって従った者だけが、ゆくゆくは幸せを掴む。的な?」
「的な……」
「ところがね~、本来は長所である筈の諦めの悪さ……良く言うなれば粘り強さだな。それを上手く使う事が出来ずに意固地になった結果が、あんたのよく知る結末を招くワケなのよ。なんかさ、アタシも偉そうな事言える立場じゃないけど、何も成し遂げてないうちから能書き垂れて人生なんてこんなもの、ってお高く留まってると、必然的にそう感じる自分が構築されちゃって、自分で自分が雁字搦めにされちゃうんだと思うな。これって、弱い人にありがちなんだよ」
「…………」
「まあ、アレだよ。結局人生なんて、どれだけ早く多くの事に気が付く事が出来たか、それが全てかなと、アタシは思うよ。若さや頭の良し悪しはこの際度外視して、全ての常識だとか理論や統計をぶっ飛ばして考えてみても、そうとしか思えないんだから……口には出さないけど、主神様だってきっと、毎日毎日憂鬱で仕方がないさ。自分は果たして神などと呼ばれる価値があるのだろうか、やっている事は部下のサタンの方がまだ筋は通っているのでは、実は本当の悪魔は自分自身なのではなかろうか……なぁんて、ウジウジとさ」
「でもその理論だと、気付きの力にも個人の能力性あって、鈍感な人は損をするんじゃないでしょうか?」
「その心配はいらないよ。鈍感な人には、それ相応に痛みを伴うヒントが用意されるから、気付かないなんて言い逃れは出来ないようになってるさ」
「そうなんですか。驚きました。色々と教えてくれてありがとうございます」
「いいよ。こっちこそ、聞いてくれてありがとう」
その後は、暫くお互いに無言のままだった。