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 地上は天候が優れないな。

 地獄の一丁目にも似た薄暗い街並みを闇よりも黒い翼で飛びすさぶ間、主神の言葉がエンドレステープのように頭の中を回り続けていた。

 

 ――救いの手を差し伸べてやろうとしても、救われたい者から手を伸ばしてこない事には救出という行為が成り立たないのじゃ――


 ――一見すると相手の手が伸びて来るのを待っているように見えても、実は直接働きかけてるのは自分自身なんじゃ――


 ――本来の意味での生きるという事をちゃんと遂げられずに冥界へ来た者には、わしは辛くあたるよ――



 じゃあ、じゃあなんで、あんたは。


 なぜ。

 なぜ、アタシにはこんなに親切にするのか――


「……まさか、な」


 ありえない。そんなこと。


 雨が降り出した。冷たい水の雫たちが身体から心の奥底まで沁み渡り、気力を、温りを奪い取ってゆく。そういえば自分が死のうとした時も、同じような天気だった。

 あの公園の木陰で、自転車の荷台の上に立ち、縄の結び目を眺めている時だったと思う。雨が降り出した。

 

 夜中の二時頃だったかな。

 真っ白な頭ではもう何も考えられず、ただただ自然現象として降りしきるその一滴、一滴を受け止めながら体の芯まで、魂まで冷え込んでいく。鉛色の雲と、気ままに吹く風と、そして泰然自若として立ちはだかる、絶対的な神にも似たその大木を眺めて。自分ももうすぐ、この大自然の中に飲まれて、溶けて消える。まるで最初からそこに存在しなかったように。首に輪っかになった縄をかける。それは、決して恐ろしいものではなく、自分を天の上に、よくわからないけど素晴らしくて希望溢れる世界に吊り上げてくれる救済の道具に見えた。救いの手そのものだった。

 どれぐらいそうしていただろう。身体が冷え切り、足も、手も、顔の感覚もなくなっていった。石像になったように、頭から顔、首、身体、そして爪先へ流れていく雨のなまめかしい感触のみに意識を集中させた。

 突然、変な風が吹き、大木がサワサワと騒ぐ。

 回転遊具たちがひとりでに回り始め、ブランコが揺れ、シーソーがユラユラとどっちつかず宙ぶらりんに揺れ動く。

 立ち並ぶ街灯と噴水の向こうに、異様な影が現れた。

 明らかに人間ではない、長い頭部に三角の耳が生え、古めかしいローマ人のような衣装を纏った――今思うと、どことなくミオに似ているような気がする――


 そして、聞き覚えのある声が私の名前を呼んで、何か強い衝撃があって意識を失って、気付いたら――


「そんなまさかね~」


 いや、でも、あながち。

 これはあくまで推測だけれど、身体が冷え切っていたアタシは、そのまま足元が他愛無くなって、ずっと上を見ていたせいで眩暈にも襲われ、自転車の荷台なんて不安定な場所に立っていたせいで、知らぬうちに首を吊ってしまったようだ、気付いたら担当の死神に魂を抜かれていた。

 その時の担当がミオだった。初めて会った冥界の住人が、彼女だった。ミオとはその時からの付き合いで、今でも頭が上がらない。

 

 自分の死に様……それは、死んだ者にとってはある意味、自分の生まれよりも重要なものになる。死んでみたらこの気持ち、わかるよ。

  

 生まれる環境や時代、家庭は選べないが、現代日本では死に様はほとんど個々人の自由に選べる。生きている間は生まれに不満を言って居れば良いのであって、いつでも挽回のチャンスがあるからまだいい。ところが一度死んでしまったら、もうやり直しはきかない。ゲームセット、とことん平行線。


「ちっ。わかってるってば」


 やがて、一軒の豪邸が姿を現した。


「ここか……ずいぶん立派なお宅……。これだけ金持ちだと葬式とかも派手だったりするのかな。わざわざ霊柩車を馬車にしてもらったりしてさ」


 近くに来た時、あれ、と思った。

 見覚えがある。


「ここって……もしかして」


 須川と書かれた表札、見覚えのある赤色の自転車のハンドルに付いている星形の反射材キーホルダーは、アタシと一緒に行ったアイドルのライブの記念品。後ろの泥除けには、アタシが通っていた高校のステッカー、前の泥除けには名札のステッカーが貼ってあり、そこには須川風子と書かれていた。


「……え。ええ? ……あら」


 渡冥者帳簿にある住所と照らし合わせてみても、そこに書いてある住所は間違いない。氏名なんか興味なくて住所だけ確認する事が増えてたけど、これを機にちょっと気を付けようと思ったよ、正直。



 ・須川風子―― 十六歳、高校生。一人っ子で、実家は裕福。部活動には所属していない。性格は流行モノが大好きで明るく社交的だが、一方で周囲の目を過度に気にする、根本的に否定的に物事を見るなど暗い部分もある。十三歳で発症した、持病である一型双極性障害を誰にも語らないまま自殺行為へ至る(トラックへ飛び込み)。親友である同級生の死後、躁状態の揺り返しの鬱状態が急激に悪化、更に恋人の交通事故、自殺を機に自身も強い希死念慮に憑りつかれる。最後の言葉は「ご飯いらない」。


「え、双極性障害!? あの子、心の病だったわけ!?――」


 なんでそういう大事な事に限って言わないのかな、あんなにきゃっぴきゃっぴしていて、初体験のエピソードとか平気で話してくるくらいなのにさ~。本当もう、誰を信じていいかわからないわ、この仕事やってから思うけど。


「――まぁでも驚きはないかな……」


 あの子のこれまでを知っているアタシからすると、もう頭のねじが飛んでいるんじゃないか、と思うくらいハイな時があったんだけど、なるほど、これは病気によるものだったのか。納得がいくと同時に、頭ごなしに怒る事もできず、なんとも不完全燃焼な気分になったもんだ。


 部屋に入ると、懐かしい顔が、安らかな表情で自室の布団に寝かされていた。

 たぶんこのあと、家族葬ってのをするんだと思う。時間帯的に自分の葬儀の前に魂が回収される人と、葬儀を見てから回収される人がいるんだけど、まぁなんというか……自分の葬儀ってあんまり見ない方がいいのかもなって思った。この仕事してからは。



  

「ごめんね、あのさ、その、ウチらはずっと親友だったよね。だからこそ、彼氏も親友も両方失ったら耐えられないじゃん、普通? わかる」


「ごめんちょっとついていけない」柱に手を突く。それから考えてもどうしても、理解が追い付かない。


「あのさ風子。ここへ来る途中も何回も確認したけど、健介を騙したっていう事なんでしょ?」と聞かれた彼女はうん、と頷くはずもなく。「騙してない。ただ、分かってもらおうとしただけ。そりゃあ多少の演技や、話や表現を盛るくらい、誰でもするでしょ? なんならアンタも」


「おっけ……いや、えっと。少なくとも健介が死ぬまでは自分は死ぬ気が無かった、そうでしょ? アタシ、色々と情報は手元にあるのよ仕事柄。って言っても、双極性障害とかの知識は医者じゃないから持ち合わせてないけど、風子が自殺に至った背景までの情報は貰ってる。健介に死なれたから、心の支えを失って死んじゃったんでしょ? 要するに」


「そういうことよ」


「風子はずっと、友達として付き合いながら、アタシと健介の仲をうらやんでいたのね?」という問いにももちろん、首は立てには振られない。


「はぁ~」


 想像以上にヘビー。つまり、アタシが自殺に至るほど悩み、苦しみ、葛藤したのは、ほとんどこの風子の行動に踊らされた事になる。


 なんていうかその、死んでから全貌が暴かれても困るんだよな。



 要約するとこうだ。

 

 風子は元々、健介に一方的に恋心を寄せていた。アタシをダシに使って少しずつ健介に近づこうと計画するも、アタシと健介が交際をスタート。

 それをよく思わず、彼女は健介と接触し、アタシが陰で風子を虐めていた、健介の悪口を言っていたという事を彼に吹き込む。さらに自身の鬱状態がひどい事まで利用し(病気の悪用は最低)、自傷行為でもってアタシと健介を別れさせ自分と交際すること、でないと自殺すると彼の前で迫真の演技。それを信じ込んだ健介は彼女の命を救うため、半ば仕方なく、アタシの元を去って風子の元へ行ったというのだ。

 これでめでたしかと思いきや、その健介は交通事故に遭い、のちに自殺。


 

「総崩れだな。ちゅちゅちゅちゅちゅ」と至極愉快そうに三つの頭全部が嘲笑する。笑いながらも、なんか同情的な目をしているのが逆に心をえぐる。笑いごとじゃないっつーのほんと。


 座り込んだまま立ち上がれず「アタシが馬鹿だったんだ。結局はそうなんだ。アタシがもう少し賢ければ、風子の事や健介の事を理解して、両方の特性から行動や言動の背景を想像して事情を推し量ったり希望的推測で前向きに接してあげたりできたのに。馬鹿だからこすいて勝手に被害妄想に走って、周りが見えなくなって、その結果、首つりなんて……本当、恥ずかしい」


 しばらく沈黙が流れた。


「自分のやったことが恥ずかしいって、思うのかい?」

 

 問いかけるポチの声が急に、優しい感じになった。「今はそう思う」と小さく、やっとの思いで応えた。


「そうか」


「たった一回しかない自分の人生が、こんなんなっちゃったなんて」


「……そうかそうかぁ~」と、ため息のような声を漏らしながら、立ち上がって少し歩いた後に振り返った三つの頭は、今までに見た事が無い、なんとも言えない表情だった。


 何かを懺悔するかのような、冥府の住人には似つかわしくない、不思議な目だ。


「おまえに訊く、去年の日本で何人くらいが死んだか、知ってるか?」


 なんで急にこんな話題なの?


 しぶしぶ、いぶかし気に「百万人くらいかな」と応える。


「うん。まぁそう遠くないな。百四十五万だ。例のウイルス騒動で例年より少し多めだが、だいたい百三十から百五十万くらいが年間にこの冥界へ来る日本人の数だ」


「う、うん。そうなのね」


「じゃあそのうち、自殺でここへ送られてくる人間の数は知ってるか。どうだ」


「えっと……分からない」


「答えは二万から三万だ。この数字はお前にとって多いか少ないか?」


「かなり多い……気がするけど」「ちなみに単位は付けない」「へっ?」


 素っ頓狂なアタシのリアクションに苛立ったのか、少し鼻息を吐いてから「魂には単位は付けないんだよ。何人とかキログラムとかリットルとか。それは物質界での話だろ。ここは冥界だ」


「わかった。それでも、多いと感じるよ」


 アタシはなんだかいたたまれない気持ちになって、膝を抱えて丸くなった。


「そうか。誤差の数十万、またあるいは一万、いや、もしかしたらひとつかもしれない。その一つ一つの魂にも人生や、性格や、思い出や、自我があったんだろうな。だけども、大きな括りになったらただの数字の一つだ」


 この不気味な三つの頭を持つ番犬は、自分に一体何を伝えようとしているのか。全く意図が読めない。


「そうだね」としか、自分には返せなかった。


「ああ」


 ポチは、こちらに近づいた。




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