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冥界への道すがら、ケンといっちゃん魂は妙な空気の中で、それでもちゃんと語り合っていた。なんだろう、生前の蟠り的ななにかは解けたかどうかわからないが、いちおう、傍から見ている限りはごく普通に会話しているように見える。
アタシは、それをさっきから背中でずっと聞いているってワケ。
「~お前が逝った日な、父さん、自分が癌宣告を受けた時よりもショックで、気を失ったんだ。母さんの前でな。情けないだろ、大黒柱って言えるのかねこんなんで」
「そんな事になってたの。ヤバいね、うん」
「あぁそうだよ。びっくりだろ。父さんが倒れさえしなければ、みんなにこんな思いをさせずに楽しくいられたのにな。本当に……今更ながら、申し訳ないと思う。病気になるなんてなあ、無いとは言えなかったけど、まさかこうなるとは正直、思ってもみなかったからさ。すまんな、いろいろと」
振り返ると、いっちゃん魂は泣いているようだった。
三十秒くらい、沈黙があった。
「……謝るなよ親父。仕方ないって。俺が死んだのだって誰も予想出来なかったんだし、どうしようもないさ」
ケンはまた何事もないフリを装ってはいうが、それはそれは、拙い演技だった。
「まさかお前が飛び降りなんて。警察から聞かされた時な、なかなか信じられなかったんだ。正直今も、本当はあんまり信じてなくて」
いっちゃん魂は苦しそうに声を振り絞る。無念さが一杯の……
……ん?
飛び降り?
こいつが?
いったい何の話?
手元の帳簿をめくってケンのページを開く。
そういえば、この時は別の死神が担当していて、アタシは死亡理由を見るのがなんだかんだ初めてなわけ。
盲点だった。
・湯田健介―― 十六歳。高校生。三人兄妹の長男で、学業成績は中の下。サッカー部フォワード。性格はニヒルで朴訥な反面、自身が大切に想う人間には非常に義理堅い。対人関係は不得手。十六の夏に父親が末期癌で倒れ、生活の安定を失う。家計の為に部活動を辞め新聞配達のアルバイトを始めるも、心臓発作を起こした運転手のバスにはねられ重傷を負う。働けなくなり、間もなく自宅付近の公営住宅五階通路から駐車場へ飛び降り自殺を図り、全身打撲。最期の言葉は「いってきます」。
「 な 」
……嘘だろ。
事故死って言ってたじゃねぇか……。
……なんで、嘘ついた。
「待ってよ! なんで!?」
二人は驚いてその場に固まった。
「これ、死因、嘘ついてたの? どうして? 病気でこっちに来たって言ったじゃん、なんでこんな嘘つこうと思ったの、ケン!」
「…………」
「何のために? 目的は何?」
「カッコ悪いだろうが」という、怒ったような返事が飛んできた。
アタシの頭の中は?マークでいっぱいになる。
「カッコ悪い……? アタシだって同じく自殺を選んだ身だよ! それを言う事の何がいけないの? アタシたち付き合ってたくらいの仲だし、なんなら別に別れたっていうわけでもないじゃん」
交際している、とも言えないような、不思議な状態だけれどね。
「自殺で死ぬ事がカッコ悪いとか言うんじゃなくて。わざわざこの運転手のせいで死んだみたいに受け取られるのが嫌だったんだよ、俺は。だってあの運転手は〝病死〟なんだから。仕方ないだろ、運転手の事も別に恨んでないし。俺はあのバスにはねられなきゃたぶん、今も生きててこそこそバイトしてたと思う。だけど、たたでさえ経済的に苦しいうちの状況で俺まで重荷になってどうするって話。お前にはたぶんわからないだろうし、それに仮にお前が俺の立場だったとしても同じ事をしてたと俺は思うけどな」
途中、いっちゃん魂がケンを落ち着かせようとしたが、おさまりが効かない様子でこれだけアタシに突き付けた。
「何を言ってるの? おかしいでしょ! 事実は事実として、隠さずに伝えてくれた方がぜんっぜん良かった! こんな事まで嘘つくなんてひどい!」
「あっそう、ひどくて悪かったな。俺なりに考えての事だったんだ。もういいだろ、これで全部わかったんだから」というケンは、ひどくバツが悪そうな、まだ今もバレたくなかった、という空気を醸し出しているように感じた。
「……生きてた頃の方が良かった」「はい?」
自分でも思いがけないセリフが、腹の底から飛び出した。
「生きてた頃のケンの方が、まだ可愛げがあったのに……死んでからは全然、人として腐りきった奴みたい。見損なった」
「って、おい!」
アタシはそのまま二人をそこに置いて、職務を放棄し、飛び去った。
あれ程、生きている頃に嫌な思いをして、生前の彼を嫌いになったのに。
今度は死んでからの彼を嫌いになって。じゃあもう、完全に無理だね。終わった。
もう、駄目だ。
アイツとは距離を置こう。
元から合わなかったんだ。
全ての調子が狂っていく。
アタシはその日の仕事を終えて巣に帰った後、ずっと蹲って考えていた。
どうしてこんな事になったのかを。
どうしてこんな方向に舵を切ってしまったのかを。
自分のせいなのかな。
いつからだろう。
なんでだろう。
生きていた頃は、まだ楽だった。本当にしんどくなったら死ねばいいんだもん。
逃げ道がまだ一つ用意されてるんだから。
だけどいざ死んでしまったら、もう逃げ道は残されていない。
ひたすら向き合うしかない。死は救済。最後の砦にして最強の救済。
もうそのカードは使えない。
……やっぱどうしようもなく馬鹿だよね、私。
結局、どこで何をやっても自分じゃ駄目じゃん……。
最初から死なずに生きていれば良かった。
あんな変な紙切れみたいな男に心奪われて自分を傷付けたりなんかしなければ、その先の自己嫌悪から自殺にまで至らなかったのだろう、きっとそうだろう。
悪いのは……弱い、弱かった自分。
今も弱い。
おかしいよね。
生きたい。
――生きたい。
――もう一度。
***
「おはーでーす」
「おう、おはようさん。その挨拶もう違和感なくなってきたわ」
「よかったじゃん。ナカーマ」
「それは死んでも嫌じゃ。……おい」
「え?」
主神ハーデースは新聞を読んでいた目をチラと上げて、「そろそろ、慣れてきた頃かの」とおだやかに問い掛けてきた。
「ん、まあ、まぁまぁ……かな」なんだかちょっぴり照れくさい。
「そうか。慣れるというのは、結構なもんじゃからのう」と独り言のように言うと、また新聞に視線を戻した。それだけか、と少し拍子抜けした。正直、昨日あの時に職務を放棄して自分だけ離れてしまった事を咎められると思っていたから、ソワソワしている。だけど、言われてないのにわざわざ自分から変に掘り起こすのも変かなとも思う。
とりあえず渡冥者帳簿と誘霊笛を取って、身支度をする。
「じゃあ、行ってきます」
「ちょっと待ち」
げ、嫌な予感。
「はい……?」
「えっと、お前の部下のケンじゃがな、なんだか気分が優れんとか言って今日は休むそうじゃ。久し振りの一人作業じゃが、気張って回してくれよ。頼んだ」
衝撃的すぎる。
超びびった。
あいつが休むなんて。「あのケンがサボり!?」というアタシ渾身のリアクションに対して、主神は人差し指をチッチッチと振りながら「サボりというのは若者言葉……というか、聊か口が悪いな。とりあえずこれを読んでみんさい。今朝届いたんじゃ。どうしても外へ出る気になれんらしい。まあ自分のお父さんが亡くなった、しかも渡冥手続きを自分がやったとなれば落ち込むのも無理は無かろうな。精神そのものである気持ちを汲むっていうのも、神の仕事の神髄じゃ。いいか、見逃してやりなさい、ワシも事情を汲んでそうする」なんて暢気なことを宣っている。
「う~ん。そんなもんなのかな」
「そんなもんじゃぞ。お前は階級的にそういった審議には関与しておらんが、死神もちゃんと、人を人として見るのが大事な職務なんじゃ。悪いイメージばかり先行しておるが、なんというか、外側より中身が肝心なんじゃ。すまんのう、わしも言葉が上手なタイプではないが、いちおう、最高神としてそれなりにやらせてもらって、思う所ある」
「なあ、そういやあんたって誰から任命されて最高神になったの」
素朴な疑問だった。そして、根本的な疑問でもあった。神は誰に選ばれて、誰に監督されて、誰の元で何を褒美にその職務を全うする?
主神はじとっとした目で「知らん」とだけ応えた。
「なんで自分のことなのに知らな」「知らんでいい、と言った。人の話を最後まで聞け」とアタシの面を鼻で笑い飛ばした。
「……わかった。そういえば、これだけはちゃんと教えて。ケンの親父さんは審議で、どんな裁量を受けたの」
この問いは彼も言いたかったところがあるのか、主神は太い腕を組んであごひげを撫でた。
「あー。あの男はな、もうスッと極楽へ通したったんじゃ。ワシがこういうのもなんじゃが、気の毒な人生じゃったからの。まあ結局、最後に頼みの綱となるのは〝人情〟なんじゃよライ。ここ、ハート。これが最後の砦ってやつで」「まぁた有難い講釈ですかい。痛み入ります」
溜息が出た。別に、嫌な感じの溜息ではない。
「黙って最後まで聞けってのまな板娘。出来れば生きとる連中に生きとるうちに気付いてほしいんじゃがな、これがどうにも思うようにいかん。ワシらとしても一生懸命気付いてもらおうと思って、精一杯の仕掛けを施しとるが、九割の者は気付こうとする姿勢すら見せないんじゃよ。困ったもんじゃのう。救いの手を差し伸べてやろうとしても、救われたい者から手を伸ばしてこない事には救出という行為が成り立たないんじゃ。歯医者で治療してもらうためには自分が口を開かにゃならん。愛されたいならまず自分から愛を注がねばならん。一見すると相手の手が伸びて来るのを待っているように見えても、実は直接働きかけてるのは自分自身なんじゃ。皆そこに気付かん。可笑しいじゃろ?」
「……じゃあ、アタシが生きてる時にも、アンタは救いの手を差し伸べてくれてたわけ?」
「もちろん。じゃがお前もアホじゃった。悉くスルーしよってからに。ここまで感受性が鈍いとはもはや救いようがないと呆れたもんじゃわい。挙句には首括りの真似事なんかされて、事後処理は大変じゃあまったく」
わかる。それははっきり言ってかなりの時間と労力を要するし、予定していた仕事が大幅に後ろ倒しになるので全ての冥政府職員が嫌がること。それもそうだよね。実際、処理に抜かりがあったり時間がかかり過ぎたりして地縛霊になってしまっている霊魂も各地にあって、こうなるともうほぼ回収が困難らしく、生きている霊能力者や神職に祓い飛ばしてもらったり焚き上げてもらうハメになる。
自滅は損失しかない。
「気付かないような事をする方が悪いでしょ、どう考えても。あんたも不器用な男? なんでもっと気付き易くしないのかな。女じゃないんだから、もっとガツンとしたサインじゃないと、見逃されても自己責任でしょ。ドン臭いのは、どう考えてものあんたのやり方じゃない?」
主神はまたチッチッチと指を振る。むかつく。
「あのな、そんな分かり易くしてしまったら、生きてる者らは自分で考えるという事をしなくなるじゃろう。お前が現にそうじゃろ。これが一番まずい事なんじゃよ。ここもちゃあんと計算されとるんじゃ。思い付きと感情でモノを言うな。思春期だからって愛想だけよくしとりゃいいなんて思われたらたまらん。繰り返すが、全ての物事には理由があって、森羅万象の全てには何らかの意思が働いとるんじゃ」
「……そういうもんかな」
主神は腕を組みかえた。
「考えてもみんさい。例えば計算ドリルなんて小学生の時にやらされたじゃろ? あれは巻末に必ず回答が記されていた。やるやらないは置いといてその気になれば、どんだけでも楽できた筈じゃろうし、全問正解が頭を使わずに達成できたな。答えを写せば事実上は全問正解になるからな。ところがな、いざテストになったところで、そういうことをした者は回答出来なくなるんじゃ。テストで落ちこぼれるのはまだ何とかしようがあるが、こと人生に於いてはそのまま全てがテストみたいなもんじゃろ。ましてや人生に正解は無いし、あったとして、物理法則が張り巡らされている以上、何もかも思い通りの百点満点はありえないんじゃ、悪いけど。仮に宇宙が許したとして神であるワシが許さん」
「なんかえらっそーでお前になんの権限がって一瞬だけ思ったけどそういやあんた神様だったわ」
「バチ当てたろかツルペタ絶壁……ああごめんもう既にバチ当たって」「くたばれ髭もじゃもジャガイモ」
「まあ、アレじゃ。お前は高校生で、奇しくもそれを実感する事はまだだったからアレじゃが、大人になるとな、分かる。日々がそのまま抜き打ちテストなんじゃ。やり直しや準備不足なんて一切の言い訳も泣き言も通用せん。そういう、本来の意味での生きるという事をちゃんと遂げられずに冥界へ来た者には、ワシは辛くあたるよ。なぜって? ワシら神々とて中身はヒトじゃ、せっかく死んだ者には自分の手で幸せを掴んで、笑ってここへ来てほしいものなのじゃよ」
「……へえ」
話長いよね、やっぱり。校長先生みたい。
「じゃからな、ワシらとて神様、神様と言われてプレッシャーもあるが、心を地獄担当の鬼さんらのようにして接しなきゃいかんのじゃ。地獄担当の鬼さんらの方が、下手したらよっぽど、慈悲深いところがあるかもしらんな。上辺だけで物事を判断しようとするのもよろしゅうないんじゃ、ヒトを裁くっていう事の苦しさ、少しでも伝わったかな」
「……あぁ、分かった。それじゃ、時間も時間だから、行ってくるよ」
アタシは、鎌を腰にセットした。ふと見ると、主神のテレビの横に皿があり、美味そうな赤い木の実が盛られている。
「そうだ、いつもあんたが食べてるこの実、ちょっと食べてみてもいい?」
主神は血相を変えて「いかん!」と叫んだので完全に度肝を抜かれて出した手をサッとひっこめた。
「そ、そんなに大事なのね、これ……」
「いやあの、違う。そういうわけじゃなくて、冥界の者は一定の基準を満たしてない者は食ってはならん。絶対じゃぞ、絶対。いいか、忘れるなよ?」
「はいはい。わかりました。じゃ、今日もひと狩り行ってくるっすわ」