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「……はぁ」
「お前に謝りたい……だけど、そんな男前な事が出来るほど俺は強くなんてない。だから俺はお前の両親である、お前の血の通っているあの人達に謝り続けようと思った。お前に謝りたくても、そんな勇気、俺には無い。未来、悪かった、ごめん。許してくれ。今さらだけど、謝る。本気だ、これが俺の本心だよ」
それだけ言って、奴は足元に崩おれた。
――それをどうすればいいのか。
どうしろというのか。
ただ、じっと見下ろす事しか出来ていないまま、時間だけが燦々と流れていく。
同時に、アタシの中では、ある記憶が克明に蘇り始めていた。走馬灯のように、それが鮮やかに上映されていく。
***
ネイルを剥がしてしまわないように気をつけながらおしぼりで指の間を拭きつつ「未来、最近どうなの?」とアタシに話題を振ってきた。
話し始めたら止まらない須川風子とこうしてファミレスで話すのは、ちょっと久しぶりだった。
「どうって、う~ん。いつも通り、みたいな」
「何か進展は無いの?」と、少し声が尖る。
この子は調子がいい時は本当に驚かされるくらいバンバン飛ばすくせに、落ちる時は信じられないくらい落ちる。そういうタイプで。周囲に居る人はみんな辟易してしまうくらいだった。
「特に無いよ~。じゃあ逆に聞くけど、そっちはどんどん進んでいってるわけ?」
風子は斜め上を見上げた。
「いや全~然」
「なんじゃそりゃ!」
二人して大笑いした。
「それより雨、上がらないね」と窓の外を見て零す。
アタシもアイスコーヒーの氷をストローで突きながら同じことを言い、「だけど、新しい傘をお父さんに買ってもらったから今日はそこまで憂鬱でもない」と少し誇らしげに返したのが、今となってはとても懐かしい。
そして、底無しに切ない。
「赤い傘って、小学生みたい」
風子は真顔で言った。
「実際、精神年齢一桁だし」と言い返して、また二人で大笑いする。「それな!」
あの頃の自分は、今からでは考えられないほどスカッとした〝女の子〟だった。
天真爛漫で、明るくて、陽気で、やかましくて。
そう、今と正反対。
仲の良い友達が居て、恋人が居て、家族が居て、ほかならぬ自分自身が居て。
真っ白なカッターシャツに真っ赤なリボン。チェック柄のスカート。眩しいくらいの、十代の普通の少女。
こんなに楽しい人生があるなんて、自分は恵まれた存在だ。
心底そう思っていた。
――そう思っていたかった。
だからアタシが悪いんじゃなくて……
アタシじゃなくて……
運命が………………………………………………………………いやいや。
何をそんな。
何がダメだったのかなぁ。
あ~、分からないよ。
結局は、アタシの弱さがダメだったんだろうな。
そう考えたらまた、泣けてきた。
つらいよ。いたいよ。なんであの時みたいに気付けなかったんだろうね。
後悔って、一番苦しいよね。
生きてる間だけじゃなくて、死んでからも唯一残る苦しみなんだから。
『生きていた頃のお土産、それは、生きていた頃の後悔です』――研修期間の時、指導係だったとある神の言葉が、今も忘れられないんだ。
彼はこの道は、年数換算するとだいたい一八〇○年というベテランの神で、新たに冥界の役職に就く者たちの前で初めてしたスピーチ、初めてまともに話をしたのが彼だった。
さてここまで聞くと、多くの死者たちはホッと胸を撫で下ろすというが、次の一節を耳にして十人いる中の九人は愕然とし、一人はしばし考え込むのだという。
『後悔は、本当に素晴らしいものです。自分が生きた証なのですから――しかし、〈やらなかった後悔〉では意味が無いんですねぇ。〈やっちまったなという後悔〉〈やり過ぎちゃったかなという後悔〉これが本当に意味のある後悔なんですよ。なぜなら飛び出してしまった部分、ハミ出してしまった部分、これがそのままその人の個性であり、魅力という事になりますからね。人並みのものは、それはあくまで人としての枠内の話の事なので付加価値は低いんです。生きているうちは平均でいればよかったかもしれませんが、冥界に居る今となっては、いかに個性を活かし、それで人や社会や自然に貢献したか、ここに焦点を当てて考えるべきなんですね』
群衆にざわめきが広がる。
その時、アタシは始めて自分の十六年という短い生涯、それも自ら断ち切ってしまったその貧弱な一生を振り返ってみた。以外にも、アタシは考え込む方だった。
果たして、〈やっちまった〉〈やり過ぎた〉事なんか一つも無かったような。
それどころか悉く並み以下のしょぼい空回り人生で、自分が思っていたよりもカスカスだった事を知らされて涙も出なかったよね、うん。
人の顔色ばかり窺って、噂の標的にならないようにばかり気にして、みんなと同じである事ばかりを良しとして、自分の本当の好みなんて二の次で、常に流行ばかりを追って、モノサシは全て今を輝く憧れの人がYESというかどうか。隣の友達が青信号を出すかどうか。
なんて愚かなのでしょう。マイセルフ。こりゃ地獄行きよ。草。
「ねえ待って、どういう事なの!?」
「うるせぇよ。どういう事もこういう事も、もうお前には関係ねえんだよ!」
「待ってよ健介!! ちゃんと全部説明してってば……!!」
あの日、風子の手を引いて遠ざかる背中を見上げ、その場に崩れ落ちた。
彼女のその眼はーー無垢で。
その後二時間半、ずっとそこにしゃがみ込んでいた。
警察まで来た。なんかやばい奴と思われて通報されたらしくて。気付いたらネイル全部かみ砕いてたから無理も無いか。草。
「そんな仕打ち……受け止められないよ……ひどい」
恋人と親友を、同時に失う。
アタシの身に突然、それが降りかかった。
形だけ見れば、失ったものはたったの二つ。
本当にそうなのかな?
アタシが失ったものは、星の数。
ねぇ、どうしてくれるの。
「どうしてくれるの」
私を返して。
私の希望、思い出、青春、時間、自信、心の拠り所、心そのもの。
私の、すべて。
日常から色が消え、徐々に白一色になってきた頃、家族関係も崩壊。
父親の会社経営がおかしくなって、多額の負債が家計を圧迫し始めた。後に、それは脱税した事に対する莫大な追徴課税である事が判明している。あの男も死後、ハーデースから叱られる事になるのだ。
そしてもちろん、その下敷として創業時の借金も浮上。こっそりと見た書類によると、元金だけで三三○○万円。利息すら払えない者から容赦なく差押えをする債権者。
かつての家、車、家電、飼い犬……多くの物を失い、ドン底生活が口を開けて待っていた。生きながらにして、地獄の業火に焼かれる屍となる日々。奇声を上げながら、鬼たちに怯え、追い回され、玄関のドアを棍棒で叩かれる、地の底から響くその閻魔の使いたちの陰に睡眠もままならない毎日。
もちろん家庭環境はどん底を超えて悪化の一途を辿るわけで。
父親は自暴自棄になり暴力を振るうようになる。母親は一過性の人格崩壊を起こし、自分は実はイタリアの王家の娘なのだが、召使らに厳しくあたってきた罰として殺され、転生して今はその罰を受けているとか言い出すようになった。異様に家の中が散らかり、洗濯物や使用済みの食器が積み重なっているのは、その時の召使たちの祟りなのだそうだ。だから、何もしない母に代わって家事をしたりもした。爪をボロボロにしながらね。風子には、飼っている猫が子猫をたくさん産んだから家も散らかるし臭うし、ヤンチャな子ばかりだからネイルとかできないって言っておいたけどバレてないよね。リストカットや深夜徘徊でその日どころかその瞬間をなんとか生きていたアタシは、やがてフッと力が抜ける瞬間を見つけた。
それは、まるで重力が全て無くなったような、始めて味わう感覚だった。
首を吊ってみた。
俗にいう、自殺未遂。
何度かやってみるんだけど、いつもギリギリのところで身体が勝手にブレーキをかけてしまって死ねなかった。それでも脳が酸欠になって、色々なものが遠くなっていって、魂だけがすぅーっと天に昇るようなあの感覚が、その一時の赦しを求めて、繰り返すようになっていった。
あの頃のアタシがタートルネックばかり着ていた理由を知りたかった友達は多かっただろうな。ごめんね、マイブームっていうのは嘘だったの。
いや嘘じゃないか。タートルネックを着るのがマイブームってわけじゃなく、タートルネックを着るようになる行為がマイブームだったから。
…………草。
ま、そんなこんなで、この世で最も無礼とされる行為、命への冒涜ともされる行為で、アタシは冥界へやってきた。
そして何の因果か、死神として冥界でいま、働いている。
誰に、何を問えばいいのか。
もう、自分で勝手に答えを創ってしまえばいいか。ここまできたら。