散華
【第9話】
散華は言葉を失うほど素晴らしかった。
上空には、鮮やかな襦裙をまとった可憐な天女たちが舞い踊り、色とりどりの花びらが撒かれ、無数に降ってくる。
花びらは表皮に太陽の光をたくわえ、宝石のように輝きながら、ゆるりゆるりと身を翻し、空気を七色に染めている。
地表は、すでに降り積もった花びらでが虹色の絨毯ができていた。
さわやかで甘い風が吹く度に、花びらは再び呼吸を取り戻したかのように舞い上がり、視界を鮮やかに彩る。
天高くには麗しい天女たち、宙空は花嵐、大地はたおやかな花の道。
どこを見ても美しい景色が広がる桃源郷だ。
視界を揺らめかす花吹雪の中、奥にきらりと輝く強い光源を見つける。
それは、善見城だった。
須弥山の山頂にそびえたつ帝釈天の居城である。
目に眩しいほどの黄金色の厳めしい門が構え、その向こうに巨大な城が建っている。
霞のごとく舞い落ちる花びらが城までの道を彩り、奥の奥まで続いていた。
(なんて……素敵な世界)
無理やり同期天女の琴に引っ張ってこられて不服だったが、いざ散華を体験してみると素晴らしかった。
(これぞ百聞は一見に如かずってやつかも)
咲千は甘いため息をついた。
評判を百回も聞いていないのでちょっと違うが、いやいや来たにしては、楽しんでしまった。
「ほうら、来てよかったでしょう?」
腋を肘でつつかれる。
見れば、琴がドヤ顔をしていた。
認めるのは少々癪ではあるが、さっきから感嘆のため息ばかりついている身としては、さすがに嘘がつけない。
「そうですね。誘ってくださりありがとうございます」
「あっ、見て! 出てくるわよ」
「なにがですか?」
「帝釈天よ。あいつを歓迎するための散華でしょうが」
忉利天の主神を『あいつ』呼ばわりする琴におののきつつも、示された方角へ目を移す。
しゃり、しゃり、という小気味の良い音を立てて、城の中からその男神は現れた。
豪奢な黄金の甲冑をつけ、足もとに敷き詰められた花の絨毯を踏みしめ、ゆっくりと姿を露わにする。
太陽の輝きがいっそう眩しさを増した気がした。
清浄な気がきーんと広がり、耳の奥で幾千もの鈴の音が響く。
(すごいわ、圧倒的な神さまオーラ……)
自然と咲千の頬は桃色に染まった。
なんだかわからないが、感動が背筋を走り抜けた。
頭のてっぺんまで熱い血が上り、脈拍がばくばくする。
昔の人が仏像を見て「ありがたや~」と手を合わせる気持ちがちょっとわかった。
(どんな素敵な神サマなんだろう)
せっかくここまで来たのだから尊顔を拝みたい。
目を凝らして光の中央に存在する神に注目した。
涼しげな切れ長のまなざし、日輪を宿したような金の環が輝く黒曜石の瞳、すっと通った鼻筋に端整な輪郭、色めいた口もと――。
「ファッ」
喉の奥から変な声が出た。
(あ、あ、あ、あの人……、昨日の管理長さんじゃん!)
さっきまでの涙がこぼれんばかりだった感動は、一瞬で冷めた。
(まさかの上司の上司が……鬼畜な神サマだったなんて)
青ざめていると、琴がきゅっと袖を摑んでくる。
「せっかくだわ、ご挨拶に行きましょう」
「え、待っ……」
腕を引かれて、ふわりと身体が浮き上がる。
受け身をとる間もなく、妙なバランスの飛び方で引っ張られ、気づけば帝釈天の目の前まで連れてこられていた。
(どうかわたしのことを覚えていませんように)
天の神様に祈る気持ちで手を合わせる。
目の前にいる彼こそが、まさに天の神サマなのだけれど。
白目を剥きそうな咲千を隣に従え、琴が上品な仕草でお辞儀をする。
「お初お目にかかります、わたくしは琴と申します。近頃こちらへやってきたばかりですので、是非ともお見知りおきを」
積極的に自己紹介を始めてしまった。
不幸中の幸い、琴は咲千を紹介はしなかった。
なんとかやり過ごそうと、深々と頭を下げて顔を見せないよう努める。
できる限り声を裏返らせて、別人を装った。
「初めまして、よろしくお願いします……」
あまりに甲高い妙な声を出したから、琴がぎょっとして振り向く。
でも、どうか突っ込まないでほしい。
金属が擦れる音がして、帝釈天が一歩前へ進み出た。
腰を屈めて、ふむ、と息をつく。
「なんだシャチか」
(バレていらっしゃる!)
背筋が凍る心地がした。
「あら。お知り合い?」
琴が不思議そうに問いかけてくるが、なんとか切り抜けたい一心で、裏声を出し続ける。
「人違いですぅ……」
「なんだその頼りない声は。喉でもつぶれたか」
しかし、神サマには嘘が通じないのだった。
「ちょうどいい、このあとお前を呼びつけようと思っていたのだ」
「な、なぜ……」
思わず地声を出して顔を上げた。
そして、大後悔する。
威風堂々としたまなざしに囚われ、目が逸らせなくなってしまったのだった。
「なぜって、傍に置いたら面白そうだと思ったからだ。琴とかいったな、そのほうもシャチと一緒に俺の城へ来るか」
話を振られた琴は、両手を胸の前で組んで目を輝かせる。
「よろしいのですか! 是非に」
「ちょっと、琴さん、やめましょう」
「しー、この機会を逃すなんておばかさんなの? わたくしは行くわよ。あなたも来なさい」
「わたしは遠慮したいですー……、では、お先に……」
琴が帝釈天について行きたいのなら止めない。
だが、咲千はとにかくこの場から逃げようと脚に力を込めた。
「ふんっ」
勢いをつけて飛び上がろうとしたところで、羽衣を摑まれる。
(しまった、また!)
昨日と同じ凡ミスを悔やんでも遅い。
綱引きのごとく手繰り寄せられ、すぽんと帝釈天の腕に囚われる。
(きゃああっ)
硬い金属の鎧に顔を押しつけられて、抵抗しようにも身動きが取れない。
力の差は圧倒的だった。