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上司の正体

【第6話】


「よし、このまま俺の館へ連れていくか」


 咲千(さち)が黙っていれば、男性はとんでもないことを言い出した。

 さすがに、慌てて後ずさる。


「すみませんが、先輩が待っておりますので……」


 じりじりと距離を取る。


 この人は危険だ。

 見つめられると、蛇ににらまれた蛙ではないが、言うことを聞かなきゃいけない気分にさせられ、抵抗ができなくなる。


 甘露の雨はとうに止み、空は淡い橙色に色づいていた。

 地上で見たよりも大きな太陽が、その身を山の端へ隠そうとしている。

 日が暮れれば、電灯がないここでは真っ暗になるのではないかと思えた。


「先輩など待たせておけ。行くぞ」

(上司に無理やりどこかへ連れていかれて、よかった試しはないっ!)


 待っているのは長時間の重労働しかありえないのを、社畜は身をもって知っている。


 男性の手が伸びてくる。

 腰をさらわれそうになって、とっさに飛びのいた。

 すると、身体が羽根のごとく軽く感じ、足がふわりと浮き上がる。


「きゃーっ、なにこれ、飛んでる!?」


 無意識のうちに、身体が浮遊しているのにおののいた。


「なにを今さら。天女は飛ぶものだろうが」

(それ知ってる!)


 仏教画とかで見たことがある。

 羽衣をなびかせてふわふわと天をさまよっている天女の姿を。


 だが、自分が飛んだとあらば、一大事だった。

 前世では平均台にも乗れないくらいバランス感覚が悪かったのに、こんな宙ぶらりんな状態でも体幹がぶれずに飛んでいられる。


(天女、すごい! って、それどころじゃなくて、逃げなきゃ)


 今のうちだ。上司の魔の手から逃げるんだ。


「ふんっ」


 天女としては失格かもしれない掛け声と共に、身体に力を入れて大空へ飛び立つ。

 身体はぐうんと浮いて、男性の背丈よりも高くまで飛んだ。


「それでは、お疲れさまでした!」


 お別れの言葉を言い切り、背を向ける。

 丘の上の館で、ほんわか優しい柚有(ゆう)が待っているのだ。

 あそこへ逃げ込めば、とりあえず今日のところは済む。


「シャチ! あとで迎えに行くからな」

(時間外業務はお断りですっ)


 堂々と言い返せない社畜は、心の中で毒づいた。

 振り返らず、一目散に館を目指す。


(ほんとにもう、なんなの、あの上司は)


 立ち去れとすごんできたかと思えば、大怪我をしていて、咲千をシャチと呼び、からかってきた。


 ――『なぜって、お前は美しくかわいい。さぞかし前世でもチヤホヤされたのだろう』


 低音の美声が頭によみがえる。


「きゃああっ」


 なんてことを言いだすのだ。

 しかもそのあと、肩先に顔をうずめて匂いまで嗅がれた!


(からかいの範疇をとうに超えてるわ)


 羞恥で頭のてっぺんまで真っ赤になってしまう。

 鬼畜な上にセクハラ上司なんてとんでもない。


 ――ここは天界。

 すべての人間が憧れる、夢に溢れた世界。

 そこには苦痛も煩悩も一切無く、すべての生き物たちは笑顔で幸福である……のはずなのに。


 咲千の心は、転生初日にして早くも煩悩でいっぱいになってしまったのだった。




 館へ戻ると、玄関近くで柚有を始め、数人の天女たちが咲千を待ってくれていた。


「咲千さま、遅かったので心配しましたわ」

「まさか道に迷いまして?」

「やはり、お迎えに行くべきでしたわね」


 まだ外に陽があるうちに戻ってきたというのに、これはなんだろう。


(初めてのお買い物状態……?)


 社畜時代、終電は当たり前、下手すると社内で泊まりなんていうのが日常だった咲千からすると、同僚たちの優しい態度はまさに天国だった。


(やっぱり天女、サイコー!)


 幸せを嚙みしめ、こっそりと拳を握る。

 ただ……あの鬼畜な上司が気にはなるが。


(一応、報告しておいたほうがいいよね?)


 柚有に向き合い、おずおずと伝える。


「あの、実は……花畑に寝そべっている見知らぬ男性に会ったのですが」


 すると、柚有ははっとする。


「男性? ではひょっとして、増長天(ぞうじょうてん)さまにお会いになったのでしょうか」

「ぞーじょーてん?」


 聞いたことがあるようなないような。

 柚有はこくりとうなずき、丁寧に説明してくれる。


「もう一度ご説明いたしますね。ここは欲界(よくかい)の第二天、忉利天(とうりてん)須弥山(しゅみせん)を中心に東西南北四つに分けた区分の南天に当たります。忉利天の守護は四天王(してんのう)さまという四人の神さまに割り当てられており、南天は増長天さまの管轄ですの。わたくしたちは皆女性ですから、男性ならば増長天さまである可能性が高いです」


「そういえば自分から上司だって言っていました」


 なるほど、本当に偉い人だったのだ。


(神サマだったんだ。花畑の管理長どころじゃなかった……)


 言われてみれば、納得もできる。


(すごく綺麗な目をしていた)


 黒に金環を宿した清浄なまなざしが印象的で、目を奪われた。

 あれが神の目力なのだと言われれば素直にうなずける。


「増長天さまは武勇に優れた神で、見上げるほどの巨軀に青い鎧をお召しになり、腰には大ぶりの刀を提げていらっしゃったでしょう?」

「ん? そうでもなかったような……」


 薄くしどけない衣一枚しか着ておらず、腰に獲物も提げていなかった。


(あ、でも、怪我をしていたからかもしれない)


 甘露の雨を浴びて傷跡は跡形もなく消えたけれど、後遺症とかは大丈夫だろうか。

 あんな目に遭わされたというのに、なぜか心配してしまう。


「咲千さま、どうなさったのです? 増長天さまになにかご無礼を?」

「ご無礼っていうか……」


 むしろ咲千のほうが無礼をされたのだが。

 とはいえ、説明しづらくて口をつぐんだ。

 すると、柚有は誤解したらしい。


「まあ、それで気に病んでいらっしゃいますの? ですが、咲千さまは本日生まれたばかりの天女。多少の失敗くらい仕方がありませんわ。どうか元気をお出しになって」

「えっ、あ……はい」


 的外れの励ましをもらって面食らっていると、ほかの天女たちも口々に慰めてくれる。


「次から気をつければよいのですわ」

「そうですわ、心配いりません。増長天さまのお姿はたしかに威厳に満ちていらっしゃいますが、怖い方ではないのです」

「笑顔がないだけで、別にお怒りではないのですよ」


(べらぼうに優しい世界だな……!)


 前世社畜は、感激のあまりほろりとしそうになったのだった。


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★新連載はじめました★
『見た目は聖女、中身が悪女のオルテンシア』

↓あさたねこの完結小説です↓
『後宮恋恋』

↓短編小説はこちら↓
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