後日談3 想像上の象・後編
【後日談3】後編
「空から見る忉利天は美しいだろう」
自慢げに帝釈天が言うが、咲千はそれどころではない。
彼と密着しているのが恥ずかしくてたまらず、頬を赤らめて唇を引き結んでいた。
「どうした? まさか怖いのか?」
あまりにも反応せずにいたせいか、帝釈天が振り向く。
上気した顔を見られたくなくて、咲千はとっさに広い背中にぎゅっとしがみつくことで誤魔化そうとした。
「……降りるか」
帝釈天の平坦な声が落ちてくる。
(せっかく乗せてくれたのに、つまらなそうに見えたのかも)
後悔するが、もう遅い。
すでに白象は空中浮遊をやめようと、降下の体勢に入ってしまった。
地面に着く手前で、帝釈天はしがみつく咲千の腕を外し、先にひらりと降りる。そうして両手を広げた。
「ほら、飛び込んでこい」
(ええ~……)
地面に着いてから普通に降りたい。
なのに、白象はご主人の意図を汲んでか、地面に降りないままふわふわと浮いていた。
帝釈天の腕に飛び込むしか降りる方法はなさそうだ。
「どうした? 早くしろ」
「でも……」
「神が受け止めてやると言っているのだ、怖くはないぞ」
「いや、えっと」
「それとも、怖い以外のなにか理由があるのか?」
(……っ! まさか、わたしが変なこと考えてたのお見通しだったりする!?)
そんなわけないと思いたいが、相手は神だ。
現に広目天とか、第三の目で心が読めるというチートな神様もいる。その上司である帝釈天も元社畜の心くらい簡単に読めるかもしれない。
不安がこみ上げてくる。
「なんの焦らしだ? 俺はそこまで気が長くないのだが?」
ぐずぐずしていると、帝釈天の声に苛立ちが混じる。
「そっちがその気なら、こちらにも考えがあるぞ。五、四、三……」
「ひっ」
またカウントダウン。咲千の危険アンテナが貞操の危機を受信した。慌てて白象から身を乗り出す。
「二、一」
「お、降ります! 今すぐっ」
えいやっと飛び降りれば、すぐさま大きな腕に包まれた。
そして、そのままぎゅっと抱きしめられる。
「時間切れだ、馬鹿め」
首筋に熱い吐息がふれ……甘い刺激が落ちてきた。
「あっ……」
柔らかな唇は、首筋だけではなく、顎や頬を伝って耳たぶにもふれてくる。
地面についているのは爪先だけの状態で、うまく抵抗ができない。彼の腕のうちでじりじりと身をよじらせる。
「や、だめっ、待ってください……」
「俺は散々待ったのに、お前が焦らすからだ」
薄地の天女の衣装は大きな手に撫でられるとするすると滑って肌が簡単に露わになってしまう。むき出しになった肩へ水音を立ててキスをされると、もう、だめだった。
「~~~~~~っ」
体からへなへなと力が抜けてしまって、彼の腕にくったりと身を預けてしまう。
「なんだ? 白象に乗っているときより心臓がばくばくしているぞ」
「仕方ないじゃないですか……」
「腰もくだけて立てなそうだな」
「誰のせいですか」
帝釈天は咲千を抱いたままその場に胡坐をかいた。咲千はされるがまま、彼の膝上にまたがって座る。
しかし、これはこれでいけない体勢だった。
ひらひらしたスカートの裾部分がまくれ上がって、膝上まで露わになってしまっている。
象に乗っているときは密着度が気になって仕方なかったが、まだ彼は背中を向いていた。今度は正面で向き合っているのである。
(恥ずかしいところ全部丸見え!)
「わわわわたしっ、降ります」
「もう象から降りただろうが」
「帝釈天さまの膝からですよ!」
「かまわん。ここにいろ」
なだめるような手つきで背中を撫でてくる。けれども、心臓は落ち着くどころかますます跳ねる。
「遠慮はなしだ。俺たちは俗にいう『婚約者』なのだからな」
(婚約者……)
降りたいのは遠慮ではなく恥ずかしさからなのだが、言葉にして『婚約者』だなんて言われるとくすぐったいような嬉しさも感じてしまう。
ついついほだされて、膝上に留まるのだった。
「白象はどうだった?」
「……楽しかった、です」
「また乗りたいか?」
「はい、次はもうちょっとうまく乗れるといいです」
「そうだな。そのうちお前を兜率天に連れて行かなきゃならない。いつか長時間乗れるようになってくれ」
(そっか、上司に結婚報告にいかなきゃいけないんだった)
釈尊へ書簡で咲千との結婚を報告したら、「女を連れて直接挨拶に来い」と突き返された過去があったのだ。
(それで象に乗せてくれたのかな?)
だとしたら、咲千との結婚を前向きに進めてくれている証というわけだ。
(嬉しいな、やっぱり)
いつも強引で俺様で困らされてばかりな帝釈天だが、そんな彼を好きなのを改めて自覚する。
だから、素直にお礼を言っておくことにした。
「ありがとうございます。頑張ります」
「ああ」
視線が甘く重なる。
再び吐息が近づいてきて――唇が優しく塞がれた。
胸がいっそう切なく締め付けられて、高鳴りが止まらない。
(どきどきしすぎて、飛び出てきそう……)
「飛び出はしないと思うよー」
「え!?」
心の声に、明るい返答を返されてびっくりする。
ぱっと身を起こし、帝釈天との距離を取ったところで、視界の端に少年の姿をした神が立っているのに気づいた。
広目天だった。
手を腰に当て、眉を下げ、呆れたような笑みを浮かべている。
「昼間から大胆だねえ、お姉さん」
「な、な、なんで……っ」
「なんでってここ、西天だよ? 俺の管轄地」
そういえば白象が住んでいる西天は、広目天の治める地なのだった。
「広目。邪魔しに来るな」
「だってうるさいのがいけないんですよ。さっきから心の声がいかがわしくて耳障りで」
「ぎゃあー」
たしかに咲千はずっといけないことを考えていた。それが赤裸々に広目天の耳に届いていたというわけだ。
とんでもない。だが、認めるわけにもいかない。
「あれは仕方なかったんです! 落ちるかもしれないって思ったら恐怖でわけがわからなくなって!」
「なんで? お姉さん天女でしょ。空飛べるじゃん」
「……は?」
あっけらかんとした指摘に固まる。
(そういえば、わたし、空飛べた……)
すっかり忘れて帝釈天にしがみついていたのだが、あれはいったいなんだったのか。
(だって、「しっかり摑まれ」とか「振り落とされる」とか言うから)
恨みがましい目を帝釈天へ向ける。
彼は彼で、口角を上げて非常に楽しそうにこちらを見ていた。
(まさか、知っていて騙した?)
「主ー、お姉さんが『騙したのか?』って言ってますよ」
心の声を即座に広目天に通訳されてしまう。
慌てている咲千に対して、帝釈天は意地悪そうな笑みを深めたのだった。
「怯えてぎゅうぎゅう抱きついてくるお前は可愛かったぞ」
(ひどい!)
ドSで鬼畜な上司は恋人になっても変わらない。
でも、やはりそんな彼が嫌いにはなれない。むしろ好きで困る咲千なのだった。




