広目天
【第21話】
「天女のお姉さん、まったねー」
「いいから黙ってさっさと行け」
帝釈天に追い出されて、広目天は部屋を出ていった。
咲千が見ていないあいだに、机の上に山盛りだった書簡はすべて消えている。
小柄な身体でどうやって全部持っていけたのかわからないが、そこはきっと神サマの特殊な力なのだろうと無理やり納得する。
やたらと親しげだった少年神サマの姿が見えなくなってから、帝釈天は壁のように咲千の前に立ちふさがるのをやめてくれた。
部屋には元通り二人きり……と思いきや、まだそこには持国天が残っていた。
さすがに自慢話は語りつくしたようで、口は止まっている。
帝釈天は大いに肩を落とした。
「用が済んだなら席を外せ。俺はこのあと休む」
冷ややかに命じられれば、持国天は眉を吊り上げて咲千をにらみ見た。
「そうだ。席を外せ」
(え? わたしに言ったの?)
戸惑いのあまり、帝釈天と持国天を交互に見る。
帝釈天は梅干しでも食べたような酸っぱい顔をしていた。
(なんか、この話を聞かない神サマにほとほと困惑しているかんじ……)
なにを言っても暖簾に腕押しというか、まるで話が通じない人というのはどこにでもいるものだ。
当の本人はまったく悪びれず、背中に担いでいた琵琶をおもむろに取り出す。
そして、よく磨き上げられた床の上に胡坐をかいて座った。
立ち去る気はまるでない。
(どういう状況?)
咲千も帝釈天もぽかんとしてしまう。
「主の休憩時間、すなわち我が琵琶の出番と承りました。精魂込めて演奏しますゆえ、どうぞおくつろぎくだされ。主の無聊を慰めることこそ、我が役目」
どうやら、また琵琶の腕前を披露したいらしい。
「持国、今は遠慮する。慰め役にはこいつがいるし」
帝釈天は人質でも差し出すように咲千を前へ押し出した。
(ひえーっ、やめてください!)
当然、持国天の恨みがましいまなざしを全身で受け止める羽目になる。
「おぬし、天女の分際で主をお慰めしようとは、五十六億七千万年早いわ!」
「長っ」
いや、そんなことよりも。
(対抗する気はまったくないので、あとは二人でお願いします……)
この機に咲千は帰りたい。
「では、わたしはこれで」
辞去の意を伝えると、今回ばかりは帝釈天も引き止めなかった。
持国天の目力に負けたらしい。
邪魔者が失せるとあって、持国天は嬉しそうだ。
ドヤ顔をこちらへ向けてくる。
(なんか、腹立つ……)
もやもやした想いを抱えながら、深々と頭を下げた。
後ろ髪を引かれる気がするのは、きっと持国天のドヤ顔せいだ。
帝釈天の御前を去るのが寂しいからでは決してない……はず。
夜は夜で、また酒宴が催された。
彩りとして呼ばれた天女たちは、会場をふらふらとしながら、各々楽しんでいる。
咲千はといえば、やはり開始早々帝釈天に見つかってしまい、膝上にがっちりとホールドされていた。
(この状況、どうにかならないの?)
天女たちは基本、周囲に無関心だ。
そして、脇を固める二柱の神も取り立ててなにも言ってこない。
今夜、酒席に侍っているのは、増長天と広目天だった。
自分語りが大好きな持国天は留守らしい。
(あれ、そういえば四天王ってことは、もう一人いるはずだよね?)
柚有から聞いた名前は忘れてしまったが、まだ会っていない神が一柱いることにぼんやりと思いを馳せる。
「多聞はこういう場には来ないよ」
ふいに、広目天から話しかけられた。
(多聞? 誰? もしかして四天王の最後の一人?)
「そう。あいつは諜報役も務めているから、時々こっそり見には来てるかもしんないけど、大っぴらには宴に参加しない」
(そうなんだ。……ってかわたし、口に出してた?)
咲千が思い切り首をひねると、広目天は幼さの残る顔をくしゃりとして笑い出す。
「声には出してないよ。でもオレ、心読めるから」
「はあー!?」
「あ、今、『サイアク』って思ったでしょ。神に向かって失礼だなあ」
(思いました、ごめんなさい)
慌てて心の中で謝ると、広目天は笑顔のまま大いにうなずく。
「いいよ、慣れてる」
(マジで聞こえてるし! ややややばいって。下手なこと考えられない。やばいやばいやばいやばいやばいのエンドレス)
「ぶはっ、お姉さん、ホント面白い思考してるね」
広目天はずいぶんと人懐っこい神サマのようだ。
しかし、帝釈天はたいそう面白くなさげに低い声を出す。
「広目、第三の目を閉ざせ」
「えー、やだ」
「命令だ」
「……むぅ、わかったよ」
額に開いていた赤い目がばちんと閉ざされる。
帝釈天はやれやれとばかりに両手を広げた。
「これで心は読まれなくなったぞ」
「は、え? 目を閉じたのにですか?」
「それがどうした」
「なんでもありません……」
耳を塞いだわけではないのに、不思議なものだ。
だが、そこは神サマ的に突っ込んではいけないところなのだろう。
ちなみに、無口な増長天は黙って手酌で神酒を飲み続けている。
「ところでさー、次はいつ頃また戦うの?」
明日の天気を尋ねるような気軽さで、広目天が言った。
咲千は帝釈天の腕の中でびくっと身をすくませる。
(戦い……)
そういえば、出会ったそのとき、帝釈天は大きな怪我をしていた。
明らかに何者かと戦った後だった。
自らも戦の神だと名乗り、その身に受けた穢れが消えないのだと苦悩していた。
胸が不穏にさざめいて、思わず口を挟んでしまった。
「なぜ戦わなくてはいけないのですか?」




