持国天
【第11話】
突如現れた見知らぬ男性に驚いて、咲千は背後へ跳びすさぶ。
積もり積もった花びらの山を踏みつけて、それがぶわっと舞った。
「わっぷ」
夢のように美しい花嵐の中、息が止まりそうになってもがく。
すると、太く白い手が伸びてきた。
あっと思ったときには肩が摑まれており、引き寄せられる。
さらに間近になった男性との距離に、咲千は凍りついた。
(誰!?)
ひどく色白の人だった。
顔かたちは整っていて、いわゆる眉目秀麗な男性だ。
瞳の色は暁を思い起こさせる赤茶色をしており、刃のごとくつり上がっている。
「おぬし、魔の者か」
(へ?)
一瞬なにを言われたかわからずに眉を寄せた。
男性は重ねて強い口調で詰め寄ってくる。
「主の留守中に蛇が一匹迷い込んだようだが、おぬしか」
「蛇?」
どういう意味だろう。
見た目?
いや、蛇に似ているなんて言われたことはないし、たとえ似ていたとしても面と向かって言うなんてひどすぎる。
現代日本ならルッキズムで大問題だ。
(そもそもこの人は誰なのよ)
強く摑まれている肩が痛い。
振り払いたいが、待てよと理性が働いた。
(見上げるような長身に、美形、にじみ出る威圧感……これって)
帝釈天や増長天と同じ雰囲気だ。
(それにさっき、『主』って言ってた。つまり、帝釈天さまの部下の一人かも)
先輩天女の柚有がいうには、忉利天には四天王という四人の男神がいるとか。
そのうちの一人に違いない。
(鬼畜上司の部下だから、鬼畜二号かもしれない。出会いが肝心だわ)
パワハラ人種に「こいつはぞんざいに扱っていい存在だ」と認定されたら、一生社畜である。
そんなのは帝釈天だけで十分だ。
(ここは毅然とした態度で……)
咲千は肩の痛みを我慢して、涼しい顔を装った。
「こんにちは、咲千と申します。ただいま帝釈天さまの命でこちらの片付けを担当しております」
「ふむ」
堂々とした物言いをすれば、相手は肩を摑んでいた手を離してくれた。
手は自分の顎に当て、しばし無言で咲千を観察してくる。
(ここで侮られたらおしまいだわ)
内心はびくびくとしながら、頬にはほほえみを浮かべて見つめ返す。
男性は咀嚼するように何度かうなずいてから、今度は腰へ手を当てた。
「我こそは東天を司る持国天なり」
仁王立ちに威厳のある声で名乗られて、咲千は思わず首をすくめる。
「初めまして、よろしくお願いします……」
やはり高位の神サマだ。
手を振り払ったりしなくて正解だった。
持国天は鼻息荒く、自己紹介を始める。
「我は、主、帝釈天の四天王として国と人とを守る武勇神であると共に、琵琶の名手とも称されておる」
そういえば頭の向こうに、絃を張った銀色の棒が見える。
琵琶を背負っているらしい。
「そうなのですね」
「普段は東天に住むが、主が戦から戻られた際にはこうして琵琶を持ち参上し、疲れた心を癒す大事な役目を持っている」
「ああ、それでこちらに見えたのですね」
「だが人気者の我がやってくると、こちらの天女たちはきゃあきゃあ騒いでかなわん。だから、毎度散華の時間をわざわざ避けて、こうしてひっそりとやってくるわけだ。供をつれていないのもそういう理由である」
「はあ……、そうなんですね」
「そもそも我の琵琶歴は――……」
(話、なっが!)
持国天は聞いてもいないことをつらつらと語り始めた。
難しげだった顔は、だんだんとドヤ顔に変わっていく。
咲千は周辺に積もる花びらへちらりと視線をやった。
(まだ全然片付けが進んでないのに)
悦に入った様子で持国天は話を続けている。
「だが我は天女たちに聞かせるために琵琶を奏すわけではないのだ。北方から攻めてくる魔人障との戦いで傷ついた主の身体や心を慰めるため、誠心誠意弾くわけで――」
「はい……、魔人ショーですねー……」
だんだんとぞんざいになっていく相槌。
しかし、そこで暁色の瞳がぎゅんっと鋭く吊り上がった。
般若のごとき怖い顔になる。
「おぬし何故それを!」
「はい?」
「どこで魔人障のことを知った?」
「ご、ご自分でおっしゃったのでは!?」
持国天は眉を吊り上げたまま、ずいっと顔を寄せてくる。
「そうであった、魔人障。我は先ほどその気配をかぎつけて、おぬしに行き当たったのだ」
白く大きな手が、今度は咲千の手首を摑んできた。
さらにそのまま、ぐいっとねじり上げる。
「い、痛い!!」
あまりの痛みに箒を取り落とした。
「正体を現せ、この悪蛇めが!」
(ブリ虎? 今度はなんなの?)
鬼畜上司の次は暴力上司だなんて、最悪すぎる。
「痛いですってば、やめてくださいっ」
涙目で懇願したときだった。
「持国! 手を離せ。それは俺の天女だ」
地を這う低音が響き渡り、同時に咲千の手は痛みから解放される。
持国天が手を離したのだった。
崩れ落ちるように花びらの絨毯へ投げ出された咲千を受け留めてくれたのは――まさかの鬼畜上司、帝釈天だった。




