新人いびり
【第10話】
「自ら俺の胸に飛び込んでくるとは情熱的だな、シャチ」
「全然違いますっ」
(誰か助けて~。セクハラ上司がいます、先輩方!)
散華中の天女たちへ、懇願のまなざしを送ろうと背後を振り仰ぐ。
しかし、そこにはすでに誰もいなかった。
「え、なんで? さっきまでいた天女さんたちは!?」
新米が上司から絡まれているというのに、なんとも白状な。
頭上からは呆れたような声がする。
「散華が終わったから帰ったのだろう。ほかにすることがないし」
(ほかにすることがない……ほかにすることがない……ほかにすることがない……!)
咲千の望んだスローライフはすぐそこにあるのに!
なぜ自分は一番捕まってはならない人物に目をつけられてしまったのか。
情けなくなって、どうでもいい愚痴を口走る。
「花びら撒くだけ撒いて帰っちゃうなんて、みんなひどいですね。あと片付けする人が泣くやつですよ、これ」
会社にもよくいる。
新しい企画に手を出すだけ出して、あとの処理とか全部ほかに丸投げするやつ。
たいてい咲千は面倒くさい雑務を押しつけられる立場だったので、その辛さが身に染みてわかる。
すると、上司の拘束が緩まった。
見れば、驚きに丸くなった瞳とかち合う。
「あと片付け?」
「はい。だって、これだけの花の量、いくら外とはいえ放置できませんよね? いずれ枯れてゴミの山ですよ。善見城の門内とか城内にもどんどん流れ込みますし」
前世の事務所の前にも銀杏並木があった。
あくまで公道の街路樹であり、咲千の会社に掃除する義務はなかった。
それでも、『玄関口が汚れている会社には客が来ない』とかなんとか鬼上司から諭されて、秋口は早朝から咲千一人で落ち葉掃きをさせられた。
(落ち葉掃きって、ほうきで掃いているときよりも、葉っぱをゴミ袋に詰めるところが大変なんだから)
咲千の会社のあった自治体では、ゴミ袋に土が入っていたら回収されないという怖ろしく厳しいルールがあった。
そのため、落ち葉をちりとりで集めたりしたら、土が混じって回収不能になるのだ。
(手でこうやって上澄みを掬って袋に入れるあの作業。腰は痛いわ、手は荒れるわ、虫はつくわ、臭くて鼻は曲がりそうだわ、最悪だった……!)
銀杏は眺める分には綺麗だが、ぎんなんの臭さはすさまじい。
道行く人や自転車に引きつぶされた実の放つ悪臭は、この世の地獄だった。
それでも、社畜の咲千は文句を言わずにやるしかなったのだった。
(ああ……思いだしただけで鼻の奥が臭いような気分がしてきた)
しょっぱいまなざしを花びらの絨毯へ注ぐ。
さすがに花なので、ぎんなんほど臭くはないだろうが。
「お前、面白いことを言うな。これを片付けるって?」
「そうです」
どうせ帝釈天は偉い神サマだから、片付けなんて雑務は下っ端のものにやらせてきたのだろう。
ピンとこないに違いない。
「いいだろう、許可する」
「はい。……え、はい?」
(ちょっと待って。わたしは今、なにを許可された?)
思わず流れでうなずいてしまってから、はたと思い返す。
とんでもなく怖ろしい予感がするのだが。
帝釈天の意地悪なまなざしが咲千を貫いた。
「ここの『片付け』をお前に命じる、シャチ」
(はぁぁぁ!?)
思わず助けを求めるまなざしを琴へ送る。
しかし、彼女はついっと視線をそらした。
「さて、俺は殊勝院へ戻る。……殊勝院は俺の部屋の名だ。お前は片付けが済んだらそこへ報告に来い」
「待ってください」
「待たない。俺はここの主神。つまり、俺の言うことは絶対だ」
(上司の俺サマ宣言!)
切り立った崖から谷底へ突き落されたような衝撃が走った。
忉利天の神サマは、とんでもない鬼畜なのだった。
「必要なものはあそこを開けて勝手に使っていい。ではな」
門内へ入ってすぐの場所に、用具入れらしき小屋が見えた。
そちらへ視線を取られている隙に帝釈天は身を翻す。
金色の外套が風をはらんで美しく舞い上がった。
「お待ちください、帝釈天さまぁー」
琴が半分身体を宙へ浮かせながら追いかけていく。
大柄な神である帝釈天は歩幅も大きく、背を向けたかと思えばあっという間に遠ざかっていった。
あとに残されたのは、咲千一人と山盛りの花びら。
(嘘でしょ。こんなの丸一日かけても掃除しきれない)
だがこの感覚、妙に身体に馴染む。
(……ああ、社畜時代、毎朝机に山盛りの仕事を前に思うことだったわ)
生まれ変わっても、社畜は社畜なのか。
身体に染みついた謎の使命感に引っ張られ、ふらふらと用具倉庫へ向かった。
(ええと、箒は……あった)
しだれ柳の枝葉を集めて作った、白くておしゃれなものを見つけた。
白樺でできた柄も真っ白ですべすべしている。
(これ、かわいいけど装飾用じゃない?)
もっと業務用のガシガシしたものでないと、時間がかかって仕方がないと思うのだが。
ついでにゴミ袋なんていう代物もない。
代わりに、綺麗に畳まれた麻袋を何枚か拝借した。
「はあ~」
肩をしょんぼりと落として、花びら掃きを始める。
柔らかで繊細な花びらは、掃けば掃くほど空へ舞いあがり、芳香を振りまいた。
(綺麗なんだけど……終わる気が一ミリもしない)
これではまるで新人いびりだ。
社会ではよくあるといえばある。
(どこにいった、わたしのスローライフ……)
初日から鬼畜上司に目をつけられたのがまずかった。
さらに、琴の誘いに乗って散華についてきてしまったのもだめだった。
肝心の琴は帝釈天について行ってしまったのも、改めて考えるとひどくないだろうか。
「はあ~」
本日二度目のため息が出る。
すると、せっかく掃き集めた花びらの山がぶわっと舞い上がり、目の前が百花繚乱の渦に巻き込まれた。
慌てて飛び退くが、花は宙に溶け、散っていった。
もう一度やり直しだ。
(ああ、こういう話知ってる。賽の河原で石を積み上げていると、鬼がやってきて崩しちゃうやつ)
天国なのに地獄の話を思い出してしまった。
「まったく、本来の片付け担当はどこ行ったのよ……」
まさかいつも新人が押しつけられているのではないだろうか。
だとしたらここは、とんでもないパワハラ社会だ。
「天国なのに、本当に解せない」
「解せぬ」
咲千の言葉に、知らない低い声が重なった。
手元がぬっと暗くなり、驚いて振り返る。
そこには白銀の衣を身に纏った見知らぬ男性がいて、こちらを見下ろしていた。




