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ゆるふわ

【第1話】


 天利咲千(あまりさち)は、典型的な社畜だ。


 小さな広告代理店に勤めていたため、入社から三年経っても後輩が入ってこなかった。

 だから、永遠の下っ端だった。


「新人は朝一番に事務所の鍵を開けて掃除をしておけ」

との上司からの言いつけを毎日欠かさず守り、


「苦労は買ってでもするもんだ」

と言われれば、睡眠時間を削って無理難題を処理し続けた。


 しまいには、

「新人に有休なんてあるわけねえだろ」

と切り捨てられて、朝から晩まで休みなく働いた。


 身体はぼろ雑巾のようにくたびれ、やがて限界がやってきた。


 ある朝、激しい腹痛で目が覚めて、それでも今日の午前中にこなさなければいけない業務のことを考えて無理やり起き上がった瞬間――、ぶつりと意識が途絶えた。


 そのあとは、あんこの中を泳いでいるような不思議な感覚がして……。


 次にぽっかり目を開けたとき、目の前には花が咲いていた。


(どこだろう……知らない場所)


 緩やかな丘陵、見渡す限りの花畑。

 北海道のどこかにこんな美しい景色があったような気もするが、残念ながら行ったことがない。


(わたし……どうしたんだっけ? 朝起きて、お腹が痛くて……? それから、ずいぶんと長い時間が経ったような、そうでもないような?)


 ぽかんとしていれば、向こうから誰かがやってきた。

 鮮やかな山吹色のフレアスカートのような……布地の多い服を着ている小柄な女性だ。

 近づいてくると、アジアンな時代劇で見たことのある仙女めいた格好だとわかる。


「ごきげんよう、咲千(さち)さま」


 彼女は鈴を転がすような美声で話しかけてきた。


(ごきげんようって、どこのお嬢様学校の人だろう)


 どうでもいい疑問が浮かぶが、どうやら相手は咲千のことを知っているらしい。

 この訳のわからない状況を尋ねたくて、前のめりになった。


「すみません、ここはどこですか?」


 彼女ははちきれんばかりの笑顔で答えてくれた。


「ここは欲界(よくかい)の第二天、忉利天(とうりてん)

「はい?」

「いわゆる天界ですわ」

「天界……? 天国的な?」

「そうとも言います」


(天国!)


 辺りは見渡す限りの花畑。

 赤、白、黄色、桃色、青に緑に橙色と、ありとあらゆる彩色豊かな花々が、みな独特の素晴らしい芳香を放っている。

 優しい風が吹けば、花たちはその花弁を誇らしげに揺らし、空へ舞い上げ宙を彩る。

 暖かで静かな日差しの中、目を閉じれば、どこからともなく絶妙な楽の音が聞こえてきて、心身共に癒される……素敵な場所!


「ああわたし、死んだんですね」


 ようやく納得した。自分は過労死したのだ。

 そして前世で必死に仕事して頑張りつくした善行(?)が認められて、天国へやってきたというわけだろう。


「ありがとう神サマ。わたし、これからのんびりスローライフを楽しみます」


 拳を握りしめ、まぶしい青空へ突き上げた。

 しかし、目の前の女性はふんわりと首を傾げた。


「いいえ、死んだのではありません。咲千さまは天女に生まれ変わったのです」

「え?」

「転生されたのですよ。おめでとうございます」

「て、転生!?」


(待って。転生って、乙女ゲームとかRPG世界とかに生まれ変わるやつのことだよね!?)


 一気に血の気が引いて背筋が寒くなった。


「無理っ、無理です! わたしは悪役令嬢になって『ざまぁ』もできないし、勇者になって『俺tueee』って戦えませんから」


 どうしてくれる、わたしのスローライフ!


 すると、女性はころころと笑った。

 無邪気な笑顔に毒気を抜かれる。


「咲千さまはおもしろいお方ですね。天女は戦いなどしませんわ」

「天女……」


 そういえばさっきも聞いた。

 女性は瞳が見えなくなるくらいまなじりを細めておおように言った。


「天女となった咲千さまは、わたくしと一緒にこちら南側の花畑を管理するのです」


(管理?)


 見渡す限りの花畑に咲くのは、見たこともない美しい花々だ。


 庭師的な仕事だろうか。

 さぞや大変に違いない。

 専門的な知識がバリバリいるはずだ。


(わたし、小1のとき理科の朝顔だって枯らしちゃったのに……!)


 しかし、社畜魂が染みついた身体は、ノーを言えない作りになっている。

 与えられた仕事は気をつけして承り、全力投球せねばならないのだ。


「はい、よろこんで! まずはなにから始めましょう?」


 びしっと姿勢を正してメモ帳を探す。

 残念ながら、着ているものが前世と違ってポケットがなく、メモ帳もペンも見つからなかった。

 そんな咲千を見て、女性はうふふと笑う。


「なにもしなくて大丈夫ですわ」

「え?」

「なにもすることはありません。花たちはひとりでに咲き、ひとりでに種を落として、ひとりでに芽を出して、また咲きますから」


 咲千は我が耳を疑った。

 真意を問うまなざしを女性へ向ける。


「なにもしなくていい?」

「そのとおりですわ。わたくしたちは、ここに立ち、お花を見ていればいいんですの」


(そんなバカな……)


 けれども女性は、甲高く楽しげな笑い声を上げた。

 両手を広げ、その場でくるくると回りだす。

 山吹色の裳裾が翻り、花びらと共に天高く舞い上がった。


(まぶしくて、眩暈がする)


 綺麗な衣をまとい花畑で、にこにこ笑いながら舞い踊る……たしかにそれは、絵に描いたような天女だった。


 ここは極楽浄土。

 新たに天女に生まれ変わった咲千の仕事は、綺麗な花を眺めるだけ。


(なんて……素敵すぎるスローライフ!)


 ありがとう。わたし、これ以上なく平和な天女ライフを満喫します。


読んでくださってありがとうございました。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや「いいね」などつけてくださるととても嬉しいです。

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★新連載はじめました★
『見た目は聖女、中身が悪女のオルテンシア』

↓あさたねこの完結小説です↓
『後宮恋恋』

↓短編小説はこちら↓
『聖女のわたくしと婚約破棄して妹と結婚する? かまいませんが、国の命運が尽きませんか?』

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