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『小林秀雄批判論・・・様々なる意匠の本質』

『小林秀雄批判論・・・様々なる意匠の本質』



はじめに言っておきたいことがある、自分は、小林秀雄という人物が嫌いな訳ではない。記録に残っている、録音源や、写真などを見ても、寧ろ、批評家として、偉大だな、と思うのである。ただ、自身も、一時程、小林秀雄を神格化しなくなった。というより、最近、ある事実に気付いたのである。



小林秀雄は、様々なる意匠として、物を見る目を、発明したのだと思っている。素晴らしいことだと思う。しかし、或る盲点がありはしまいか。というのも、物を見る批評家、というのも、様々なる意匠に、カテゴライズされはしまいか。自分が現在、小林秀雄の現象を考えると、小林秀雄と言う批評家も、様々なる意匠の一つである。



また、様々なる意匠の本質として、物を見て、批評するのも良いが、世界中の人がそれをやったら、独創性が、世界から消失してしまうだろう。人間は、独創性があってこそ、互いを個人として認め合い、共存するのである。批評家とは、危険な存在である。物事を突破して、未来を切り開けるのは、物を見る目、ではなく、独創性の結果だけだからである。こんな風に、今、自分は、小林秀雄を、批判する。

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