第2話 早速ですが、さようなら。
ヘブライ先生達が帰った後、ずっとネクシルに手を握って貰っている。
ベッド脇に椅子を置き、心配そうな顔で私を見るネクシル。
もう離したくない。
この手を、幸せを。
「ネクシル」
「どうしたんだマリア」
「ううん、なんでも」
まだ幼さが残る少年のネクシル。
美しいブロンドの髪、長い睫毛、少し切れ長の瞳。
私の心は少女に戻っていた。
ネクシルに恋していた10歳の少女に。
アヌシーには遠慮して貰った。
こんな甘い時間、誰にも邪魔されたくない。
「サニット公爵夫妻は明日戻るそうだ」
「え?」
思い出した様にネクシルは言った。
そういえばお父様とお母様の姿を見てない。
確かこの数日前から二人は領地の視察に行っていた。
未来では私が21歳の時、2人共亡くなっていた。
最初の戦争で領民を人質に取られて...
「マリアが大怪我したんだ、直ぐに帰るのは当然だろ?」
「....そうね」
「大丈夫、元気なマリアを見れば二人とも安心するよ」
不安な顔に見えたのかな?
違うよ、お父様とお母様を同時に失った時の事を思い出してしまったの。
「どうしたの?」
「いいえ、ごめんなさい」
涙が頬を伝う。
ネクシルが優しく背中を擦ってくれた。
まだ10歳、小さな彼の手、優しさが私の心を満たした。
「マリアが目覚めたそうだな!!」
「ちょっと困ります!」
突然乱暴に扉が開いた。
アヌシーが止めているが意に介する様子もない。
30過ぎの大男。
鍛えて無い身体は脂肪でブヨブヨ。
茶色い髪は寝かせ脂でギトギト。
口元はイヤらしい笑みを常に浮かべているが、目は決して笑っていない。
先程のネクシルと全く違う。
威圧するような怒鳴り声は怪我人を気遣う態度では無い。
「これはこれは、ネクシル様。
気付きませんで」
睨みつけるネクシルに対しても怯まない。
この男は王族に敬意を払う気が無いのか?
「王家の馬車が停まっていただろ」
「いや、私目が悪いもので」
ネクシルの皮肉にも動じない。
こいつはランダム伯爵。
お父様の兄、本来ならサニット家を継ぐ筈だったが素行不良をお祖父様から咎められ後継者から外された男。
私の大嫌いな奴の1人。
「マリア、元気そうだな。安心したぞ」
皮肉な目を向けるランダム。
私が死んだらサニット家を乗っ取るつもりだった事が丸分かりだ。
実際に前回、ネクシルとの婚約が破棄になるとコイツは私の見合い相手を連れてきた。
それがアブドル、前回の夫。
当時婚約を破棄され、加えて両親まで亡くし捨て鉢になっていた私は奴に言われるままに結婚して公爵家は乗っ取られた。
今度はそんな事をさせるもんか。
先ずコイツを排除してやる。
「ええ、私生命力が強いみたいです。
お父様似かしら」
「....何?」
私が言い返すとは思わなかったみたいだ。
間抜けな顔で私を見ている。
「お父様が居ない時に限って来られますね、そんなに苦手ですか?」
「マリア」
「お嬢様...」
ネクシルとアヌシーは唖然としている。
見た目は10歳だけど中身は48歳の熟女。
こいつより年上なのだ。
「何をこの小娘が」
真っ赤な顔で私を睨むが怖い訳無い。
こっちは前世で数々の修羅場と地獄を見てきたのだ。
「あら、私が生きていたのが悔しいの?
上手く突き飛ばしたと思ったのに」
「なんだと!」
ランダム伯爵は怒りに任せて叫んだ。
図星だろ、ちゃんと私は見たのだ、血走った目で背中を突き飛ばすお前をな。
「ランダム伯爵、それは本当か!!」
ネクシルがランダムに迫る。
はっきり見た訳では無い。
それに前回はランダムが怖くて言えなかった、そして有耶無耶にされてしまったのだ。
「知らん、コイツの嘘だ!」
「あら私あの時、伯父様の右腕を引っ掻きましたわよ」
「本当か?」
ネクシルはランダムに迫り、奴はニヤリと笑った。
「馬鹿め、引っ掻れて等おらんわ!」
ほら馬鹿だ。
「そうでしたね、でもどうして分かったんですか?」
「そんなヘマは...マリア貴様、嵌めたな!!」
余りの馬鹿さ加減にネクシルも唖然としている。
「....貴様」
開け放たれた扉の向こうから漂う殺気。
予定より帰って来るのは知ってました。
だから馬鹿を煽ったんだよ。
「お父様、お帰りなさい」
「ただいまマリア、元気そうで良かった」
言葉は穏やかだが顔は馬鹿を睨んだまま視線を逸らさない。
サニット公爵の当主、ランティス・サニット、私の父上。
戦場の鬼と言われいるだけの事はある。
酒と女に生きてきた馬鹿は完全に呑まれてた。
「ネクシル様、奴を処分しても宜しいかな?」
「か、構わん。王家として許す」
「ありがたき」
「や、止めろ」
逃げようとするランダムの首根っこをお父様は掴む。
背格好は同じ位の2人だけど鍛え抜かれたお父様と全く違うランダム、逃げられる筈が無い。
隣にはお母様が剣を握って笑ってる。
戦場の鬼薔薇と威名を取ったお母様、無言が余計に怖い。
「これは死んだな」
お父様とお母様に引き摺られ、屋敷内に設置された稽古場へ消え行く馬鹿の背中につぶやいた。
「マリア、一体どうしたの?」
何故かネクシルが怯えてた。