01
ビルから下りて、賑やかな街を少女は歩いて行く。視線に怯えるように、素早く、人と人との隙間を歩いて行く。女の子はそんな少女の上空を、のんびりとついてきていた。
「ふむう……。お姉さん、もうちょっとゆっくり歩こうよ。あ、返事はしなくていいよ。ここで返事をしたら、誰もいないところに向かって話しかける痛い人だからね」
それなら話しかけないでほしいと思ってしまう。
少女は、人混みが苦手だ。あまりこういった場所に、長くいたくない。特に薄暗くなってきた今だと、周囲の視線がとても気になってしまう。誰もが、少女のことを見ているような気がするのだ。
気にしすぎだ、ということは分かっている。けれど、そう思えてしまう。
「ところで、今更だけどさ」
足早に歩く少女へと、女の子の幽霊が言った。
「お姉さんのお名前、なに?」
本当に今更すぎる。そう言えばお互いに自己紹介していなかったが、それでも今のタイミングはないのではなかろうか。思わず大声で叫びたくなったのを、両手で口を塞いで堪えた。危ない。
「家に帰るまで待って」
歩きながら、小さな声でそう言う。さすがに聞こえなかったかな?
「あいさ。了解です軍曹!」
誰が軍曹だ。
電車に乗って、三十分ほど揺られる。意外にも、女の子はとても大人しくついてきてくれていた。あの後から、本当に一言も喋っていない。興味深そうに、あちらこちらへと視線を投げているだけだ。
駅からは徒歩で二十分ほど歩く。電車の待ち時間を含めると、ほぼ一時間の移動時間だ。これは朝に学校に行くのとそう変わらない時間である。
そうして帰り着いたのは、どこにでもある一軒家だ。二階建てで、周囲の家と比べて大きくもなければ小さくもない、ある意味特徴がないことが特徴と言える家。
「かわいいおうちだね」
だから。そんなことを言う幽霊の実家は裕福な家庭であることは間違い無い。
「ただいま」
ドアを開けて、さっさと中に入る。二階の自室へと向かおうとしたところで、
「春菜、おかえり。遅かったわね」
台所から母が出てきた。エプロン姿の母の姿を見て、なんとなく安心してしまう。安心してしまうけど、とりあえずその手に持っているものは置いてきてほしいものだ。
「ねえ、お母さん」
「なに? 今日の晩ご飯はトンカツよ」
「うん。それはいいけど、包丁は置いてこよう? 怖いから」
「え? あ……。そ、そうね。うん。そうしないといけないわね」
ほほほ、とわざとらしく笑いながら母が戻っていく。危なっかしいが、実はいつものやり取りだったりする。子供じゃないんだから包丁の取り扱いには気をつけてほしい。
「面白いお母さんだね。かわいい」
「いいことを教えてあげる。天然は身内にいない方がいい。断言する」
「あ、うん……。察したよ……」
天然といっても、創作物でよくあるような極まったものでもないが。さすがにあんな天然は実の親でも嫌だ。そうであったとしたら、親戚の家に転がり込んでいたと思う。
二階に上がり、自室へ。勉強机や本棚の他、テレビやゲームもたくさんあるので少し狭く感じてしまう部屋だ。けれど散らかっているわけではなく、整頓にはいつも気を遣っている。
物が多いからこそ、整頓は丁寧にしなければならない。ずっと心がけていることだ。
「さてと……。えっと、幽霊さんは椅子とかに座るの?」
「うにゃ。こうしてぷかぷか浮いてます」
「それはそれでちょっと鬱陶しいなあ……」
「ひどい」
それなら自分はベッドに座ろう。荷物を置いてベッドに腰掛けて、改めて幽霊を見る。幽霊は本棚の下段にしまっているゲームに興味津々のようだった。
「幽霊さん。自己紹介はいいの?」
「おっと、そうだった」
幽霊がふわふわと目の前へ。何となく、お互いに姿勢を正した。
「それじゃあ、改めまして……。漆原春菜です。春菜でいいよ」
「春菜ね。うん。これはきっと運命に巡り合わせ! わたしは冬美です!」
「運命……? ああ、春と冬だから?」
「そう!」
「せめてあなたが秋か、私が夏ならもっとそれっぽかったけどね」
「いやいや、十分でしょー」
何が嬉しいのか、冬美と名乗った幽霊はにこにこ機嫌がよさそうだ。なんだかこちらまで気分が良くなる、そんな笑顔。
「ちなみに友達からはふーちゃんって呼ばれてたよ。そう呼んでほしいな」
「ふーちゃんって……。安直というかなんというか。うん、でも、分かった。よろしく、ふーちゃん」
「うん。ちなみに春菜なはーちゃんでいい?」
「いや、それは……。私はそのままでお願いします……」
なんとなくだけど。ふーちゃんはちょっとかわいいと思えるが、はーちゃんだとなんだか間の抜けたイメージを持ってしまう。そう言うと、そうかなー、とふーちゃんは首を傾げながらも、とりあえずは納得してくれた。
「さて、それでは! 作戦会議だ!」
「春菜ー。ごはんよー」
「…………」
「…………」
ふーちゃんが片手を突き上げたまま動きを止める。なんだか哀愁が漂っている。ゆっくりと上げていた手を下ろして、部屋の隅でうずくまった。
「くすん」
「えっと……。あとでちゃんと話そうね……?」
「うん……。待ってる……」
しょぼん、と元気をなくした幽霊に苦笑しつつ、春菜は自室を後にした。
春菜の父の帰りはいつも遅い。毎週土日は休みになるが、その代わり平日の勤務時間は十二時間を軽く超える。いわゆるブラック企業というやつだと思うのだが、父曰く、週休二日あるだけまだましさ、と笑っていた。
そのため、平日である今日も夕食に父の姿はない。母と二人で食べることになる。
今日の夕食はトンカツにサラダ、お味噌汁にほかほかのごはん。どれもできたてのようで、とても美味しそうだ。
「いただきます」
トンカツにソースをかけて、食べる。さくさくとした衣が美味しい。
「春菜。最近、学校はどう?」
母の突然の質問に、春菜は思わず動きを止めてしまった。誤魔化すようにお茶に手を伸ばし、一気に飲み干す。笑顔を貼り付けて、首を傾げた。
・漆原 春菜
いじめられっ子。
・冬美
幽霊。ふーちゃん。
壁|w・)誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。




