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壁|w・)よろしくお願いします、なのです。
日本某所、巨大なビルが建ち並ぶ都市の道を、その少女は歩いていた。ブレザータイプの制服を着ている少女で、年は十代中頃ほどか。髪は長く、目は前髪で隠れてしまっている。そのためにとても暗く見える少女だ。
その少女は小さなビルに入った。周囲と比べると古いビルで、五階建てと他よりも低い。それでも少女はこのビルの、というよりこのビルの屋上が好きだった。屋上に繋がる扉は本来は施錠されているはずなのだが、壊れてしまっており誰もが入ることができるようになっている。もっとも、このようなビルの屋上に入る者など限られているのだが。
ビルの屋上には室外機などいくつかの機械があるだけで、他には何もない。それ故に、誰も訪れない。一人になりたい時はいつもここに来ている。ここに来て、ど真ん中に陣取り、そこに座って空を見る。星など見えないが、かつて幼い頃に見たプラネタリウムの記憶を思い出しながら、それを眺め続ける。
だが、それも今日で終わりだ。
少女は学校でいじめを受けていた。ずっと耐え続けていたのだが、今日はずっと好きだった男の子にそれを見られてしまった。情けない姿を見られたことに、絶望した。もう、限界だ。
少女は立ち上がると、ふらふらと歩き始めた。そしてビルの端にたどり着く。小さなフェンスをよじ登り、その向こう側に下りた。すぐ目の前には、何もない。あと一歩、もしくは二歩踏み出せば、自分の体は地上へと落ちることだろう。
楽になろう。そう思って、右足を上げて。
「やめた方がいいよ? とっても痛いよ?」
その声に、動きを止めた。その声が聞こえた方向に気づき、顔が蒼白になった。ゆっくりと顔を上げ、それを見る。
目の前の、何もない空間に、女の子が浮かんでいた。
「ぎゃあああ!」
全くもって女の子らしくない悲鳴を上げながら少女がフェンスを乗り越え出口へと走る。その少女をあざ笑うかのように、先の女の子が回り込んだ。
再び目の前に女の子。当然のように浮いている。ふわふわと。そしてよく見れば半透明だ。
「ふう……」
「あ、ちょっと! こんなところで寝たら風邪ひくよ!」
気を失いそうになり、倒れる少女。だが倒れることはなく、何かに受け止められる。そう、何かに。半透明な女の子は目の前にいる。
おそるおそる後ろを見る。何もない。何もないのに、支えられている感覚だけはある。
なるほど、とそこまで考えて、少女は意識を手放した。
これは夢だ。そういうことにした。
少女はビルの上で目を覚ました。体を起こし、目の前を見る。
にこにこと笑う半透明の女の子が、いた。
「ぎゃあああ!」
「いい加減うるさいよ!」
「あう!」
悲鳴を上げて逃げようとした少女の頭を、女の子がぺしりと叩いてきた。そう、叩かれた。実体があるらしい。頭を押さえて女の子を見ると、やれやれとばかりに首を振っていた。
「まったくもう。私、これでも忙しいんだよ? いちいち気絶しないでよ、話が進まないから」
「ご、ごめんなさい……」
怒られた。怒られてしまった。幽霊に。どうしよう、自分はもしかして取り憑かれて祟られて殺されてしまうのだろうか。
一時は捨てようと思った命だが、どうせなら楽に死にたい。きっと痛くされて殺されるはずだ。
そう思って震えていると、女の子が戸惑ったような声を上げた。
「え? ちょっと、どうして泣いてるの? もしかして私、怖がられてる?」
「だって……。呪い殺すんでしょう……?」
「そんなことしないよ!?」
失礼な、と女の子が憤慨する。その人間くさい仕草に、思わず噴き出してしまった。
「ひどいこと、しない?」
「しないしない。そのつもりなら、お姉さんの自殺を止めたりしないって」
「そっか……。それもそっか……」
言われてみると、なるほどと納得する。確かこの子は、痛いからやめた方がいいとまで言っていた。きっと、優しい幽霊なのだろう。
「ねえ、お姉さん。どうして自殺なんてしようとしたの?」
「ん……。その、情けない話だけどね。いじめられてて……、もう、辛くて……」
「は? なにそれ」
女の子の声が剣呑なものになった。びくりと肩を震わせる少女へと、女の子が言う。
「死ぬ勇気があるなら、何でもできるでしょ。いじめっ子なんて殴っちゃえ!」
「で、できないよ! 三人もいるんだよ!」
「一人ぐらい殴れる! そうすると多分わけがわかんなくてアホ面を晒すから、もう一人追加で殴れる! 頑張って三人とも殴っちゃえ!」
「めちゃくちゃだね!?」
可愛らしい見た目に反して、言っていることがパワフルだ。生前はきっと破天荒な子だったんだろうと思う。
「それに、それをしたら家族に迷惑がかかるもの。お父さんの仕事の、社長さんの娘さん」
「うっわ、最悪なやつだ。親の権力を笠に着るクソだね」
「同意見だけど、言葉が汚いよ……?」
「今更取り繕う相手がいないからね! ほらほら、お姉さんも思うでしょ? ん?」
「思うけど。あのクソどもって思うけど」
「ひゃー! かげきー!」
けたけたと、楽しそうに笑う女の子。なんだか少女の方も楽しくなってきた。
「うんうん。やっぱり笑顔が一番だよ。もうちょっと頑張ってみなよ。先生とかにも相談してみたら?」
「相談、したことあるんだけどね」
「おーけー、理解した。あれだね、多額の寄付金がうんちゃらってやつだね。やっぱりクソだね!」
嫌な奴らだなあ、と女の子が怒る。彼女には関係がないというのに、怒ってくれている。
それが、とても、嬉しいと思ってしまう。
「よし決めた! お姉さんのことを助けてあげよう!」
「へ? どういうこと?」
「取り憑くってことさ!」
「謹んでお断りさせていただきます」
「なんで!?」
断られると思っていなかったのか、女の子が唖然としている。少女としては、当たり前の反応だと思うのだが。世界中のどこに、幽霊から取り憑きますと言われてはい喜んでと言う馬鹿がいるのだろう。いるなら是非とも見てみたいものだ。お近づきにはなりたくないが。
女の子がむう、と頬を膨らませると、少女をびしりと指差して。
「今ならお買い得だよ! ただで守護霊が手に入るよ!」
「悪霊じゃ……?」
「ひどい!?」
違うらしい。まあ、こんなに楽しい悪霊というのも信じられないが。
「私は、生き霊の方だよ」
「へえ、そうなんだ……。いやちょっと待って」
生き霊。うろ覚えの知識だが、今も生きている人が、何らかの理由で魂だけが外に出て動き回る、そんなものだったはずだ。聞いてみると、女の子がむむ、と唸って、
「あたらずも遠からず、かな? 他の生き霊さんがどうか知らないからね。私はね、死にかけなの」
「え」
「もう長い間起きてなくて。今も私の体は病院のベッドの上で寝たきりなの」
どうしよう。想像以上に重たい話だ。どう反応すればいいのか分からない。どう声をかけていいのか分からない。悪霊なんて言われて、どう思っただろうか。
「ごめんなさい……」
少女が謝ると、女の子はきょとんと首を傾げて、次に楽しそうな笑い声を上げた。まさか笑われるとは思わなくて、少女は目を丸くする。
「あっははは! お姉さんはいい人だね! 見ず知らずの人にそんなに気を遣わなくてもいいのに!」
「で、でも……」
「んふふー。わたし、やっぱりお姉さんのこと、気に入っちゃった! てなわけで、取り憑きます!」
「え、いや、えっと……。取り憑くなら、体に戻ったら起きれるんじゃ……?」
「無理」
即答の、断言だ。どうして、と少女が聞く前に、女の子が答えてくれる。
「私の体ね、もう死にかけなの。起きることができないぐらいに弱ってるから、今更戻ったところで意味はないかな」
「そんな……」
「ああ、でもでも! そんなに気にしなくていいよ! 私ももう割り切ってるから!」
でも、と女の子が続ける。
「何もできずに死んじゃうのは嫌なの。こんな私でも、何かを誰かに残したいなって」
だから、と女の子は花が咲いたように笑う。
「お姉さんを助けてあげる。代価は、私を忘れないこと! お姉さんの記憶の片隅にでも覚えておいてくれたら、私は満足!」
そう言って、女の子は腕を広げた、
「だから私に助けられろ!」
「最後がめちゃくちゃだね!?」
しんみりした空気は霧散した。残ったのは、なんだか楽しい雰囲気だ。きっとこれは、あの子の性格故の、長所だろう。元気に学校に通っていれば、クラスのムードメーカーになっていたに違いない。
なんとなく。そう、なんとなくだ。どうせ捨てようとした命なのだから、この女の子に任せてみるのも悪くない。そう、思えてしまった。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
少女が頭を下げると、少女はにっこり笑った。
「あいさ! まかせろだよ!」
壁|w・)また憑依ものなんだ、すまない。
シリアスのようで、基本は軽めです。