我が家にいた
「どこ行ってたのよ」
玄関扉を開けてすぐのことだ。
予想していたといえばしていたが、そんな言葉をもらった。
上がり框にチンピラのような大股開きで腰かけ、自らの太ももに頬杖をついてジトっとした目をしている陽香に、である。眉をひそめ、ケッと吐き捨てるかのような表情。機嫌めっちゃわるい。
「どこ行ってたのよ。言っとくけど答えるまで同じ質問を繰り返すから。壊れたレコードみたいにリピートし続けるから。ほうっとくとノイローゼになるわよ、あなたもわたしもノイローゼ」
「それは遠慮したいな……お互いに損しかない」
事情を伝えようと口を開きかけると、そっと、夕陽に手で制された。「私から言うわ」とのこと。なら、彼女に任せよう。
「未知戸さん。あなたは私たちがどこへ行っていたのかを知りたいのでしょう?」
「え、ええ。そうよ……なに、その余裕シャクシャクの態度は……」
「教えたげる。私たちが行ってたのは──私の、お家」
勝ち誇ったように、夕陽は言った。彼女に任せたのはひょっとすると間違いだったのかもしれない。
「んなっ……!?」
「ふふ」
「さ、さっきまであんなにしおらしく泣いてたのに……!? あれは演技だったとでもいうの!? オーリの同情を引き出すための演技だと!」
だとしたら相当な役者だ。
「それに関しては……」
にやり、と夕陽は口端を吊り上げ、「マジ泣きよ」と言った。少し安心した。
「マジ泣きなんだ……いえ、まあそんなカンジだったけど……」
「うん。さっき泣きだしたことについてはびっくりさせて本当に申し訳ないと思ってる」
「そ、そこまで気にすることじゃないわよ。あんな写真見て、あんな目に遭って、怖かっただろうし……正直、同情するけど……」
「ココア、おいしかったわ」
「なら、よかった……けど…………って違う。違うのよっ。なにしんみりとした空気になろうとしてんのよ! 私がそーきゅーに聞き出したいのはユーヒ、あなたの家に行ったのはなぜなのかってこと! ほわい! ほわいごーゆあほーむうぃずまいらばー!」
ラバー。ゴム? ……恋人か。
「なぜって。着替え取りだけど」
簡潔に夕陽が答える。「ああ、そう。泊まるものね」と陽香もすんなりと納得した様子である。
「あ、ということは──ピンクのパンツも取ってきたの? あのアポロチョコみたいな色合いのおパンツ」
「……」
「沈黙は肯定と受け取るけど?」
「……」
両者無言。異なるのは表情だけだ。陽香はにやつき、夕陽は……たぶん怒ってる。眉ひそめてるし。趨勢は逆転したようである。
「とりあえずはさ、いつまでも玄関で話してないで中に上がろう」
硬直する両者へ、促す。
「そうね、そうするわ。ここで未知戸さんと話し続けていても不毛だし。桜利くんも着替えないといけないし」
「フモーって言い方には噛み付きたいところだけど、オーリに風邪引かれても困る……看病できるという観点で言えば大歓迎ではあるけど、まー風邪ひかないでほしーしぃ、着替える前にシャワーでも浴びたらどーよ」
ほらほら、と今度は陽香に背中を押され、洗面所の方へと追いやられた。
「シャワーたって、まず着替えを」
「用意したげるから。シャワー浴びなさいって。すべてはあなたが温まった後のことよ」
そのままピシャッと、洗面所の扉を閉められた。
着替え用意してくれると言っても、俺の部屋のなかにある……まあ、いいか。陽香だし。
服を脱いで全裸になり、浴室の扉を開ける。
すぐに蛇口を捻って湯を出し、寒々しい浴室内の空気を散漫させる。
芯まで冷え込んだ全身を、そのまま温めた。
「タオル置いとくわねー、あと着替えも」
扉の奥から、陽香が言う。
振り返ると、すりガラスの向こうに輪郭のぼやけた陽香がいた。蛇口を軽く閉め、湯の勢いを弱める。
「おー、ありがと」
「お駄賃はいただいたから」
「おう……お駄賃ね」
……お駄賃?
「お駄賃ってなんだ?」
「んー? オーリの私物」
すりガラスの向こうの輪郭が揺れる。
「いや、いやちょっと待て」
「じょーだんよ、じょーだん。いくら私といえども、人様のものを勝手に盗ったりしないわ。そんな非常識なことしないもの。あ、あとオーリの上着とか着てた服とかびしょ濡れだったから、全部まとめて洗濯しとくからー」
「ああわるい、ありがと」
「どういたしまして。ふふー、私、新妻みたいなことしてるー。んふふーっ」
そう言うと、上機嫌に鼻歌を歌いながらすりガラスの向こうの輪郭は去って行った。洗面所から出て行ったようだ。
「冗談か……」
ひとり呟くと、また湯を開け放った。
……ああ、温まる。
◇
身体の水気を払い浴室の扉を開ける。
目の前には網目のカゴが置いてあり、中には綺麗に折り畳められた着替えとタオルが入れてあった。
「……」
タオルを取り、身体を拭き上げ、服を着る。
そして洗面所を出て、リビングへ──「温まった?」ソファーに座る陽香が訊ねる。「はい」と、俺の返事を聞く前に、テーブルの上に置いてあるカップをこちらへ寄越した。
「ココア」
「わるい、ありがと」
ココアに口を付けた。ほんのりとした甘さだ。
夕陽もまたソファーに座っているが、陽香とは少し離れた場所である。視線はテレビに向けられている。内容は……ただの、バラエティだ。明るい表情の誰かが、楽しそうに誰かと何かを話している。賑やかなものだった。画面の向こうは、さぞや楽しい世界なのだろうなと思わせるような映像だ。
「また、雨が降り出したわ」
ぽつりと、顔はテレビを向き、視線だけをこっちに合わせ、夕陽が言った。
窓の外は、確かに雨が降っている。
「いつまで降り続けるのかしらね、このゆーうつな雨……」
陽香の言葉は、すぐにテレビの笑い声と雨音にかき消された。




