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彼女の家

「ウチ、来ない?」


 諏訪さんの申し出に、一瞬フリーズした。ついでにすぐ近くにいたモヒカンもフリーズした。

 ここは教室。夕陽ヶ丘高校一年C組の教室内である。放課後。疎らにいるクラスメイトたち。軽やかにやってきて、トンと俺が座る机の天板に両手をついて、にんまりと笑みを浮かべ頬に夕暮れに染めた諏訪さんの開口一番がそれである。


「……は?」

「ウチ、我が家、マイホーム。おっけー? さゔぁ?」

「の、ノー……」


 反射的に断ってしまった。


「ノー。ノーはノー。アンタに拒否権はないから」


 拒否権なんてなかった。ならなぜ聞いた。


「じゃ、行きましょ。さっさと行きましょーっ」


 ぐい、と俺の腕を引っ張り、そのまま諏訪さんは歩き出す。「あ」止まった。


「ちなみに聞くけど、どうしても外せない用事があるなら今言って。そしたら解放したげる」

「家に帰って漫画読んで寝たい」

「却下。そういういつでもできるような用事はダーメっ」


 ならなぜ聞いた。あとダーメの言い方が可愛いなあってなった。悔しい。


「私の家に来るのは、いつでもできることじゃないんだよー? いいのー? この機会を逃していいのー?」


 うり、とイタズラな笑みで俺を突っつく。


「わ、分かったよ……」

「うむうむ。それでよしっ☆」


 ということで、諏訪さんの家に行くこととなった。理由も分からずに、である。


「お、オウちゃんやべえ……」


 フリーズしていたモヒカンが解凍され、そんなことを言う。


「モヒくんは、今回はごめんねー。今日はちょっと、クノキくんと二人きりになりたい気分だから。ばいばーい」


 「じゃ、じゃあな」と俺もまた、モヒカンに手を振る。

 呆然としたまま、それでもモヒカンは手を振り返した。なにがなんだか分からない、という表情だ。俺も多分、同じ表情を浮かべている。なにがなんだか分からない。


    ◇


「うわ。あっか。なんだかあっかいねー、今日の夕陽さんは」


 昇降口から出てすぐ、諏訪さんが手庇をしつつそんなことを言った。


「おお……確かに」


 朱というよりも、赤だった。

 渦巻くような雲が、真っ赤な空に散らばっている。


「今にも血が滴り落ちてきそーなかんじだわ……」


 怖いことを言う。

 真っ赤な空から降り注ぐ血の雨。いかにもホラーじみた、悪夢めいた光景だ。非現実的なことは頭から信じたりはしないけれど、頭ごなしに否定したりもしない中立のスタンスだが……できれば起きない方がいいなあ。


「うう。言ってて自分で怖くなってきた……早く行こ。早く家の中に入って、あの夕陽の目から逃れるのよ。今日は、血に染まった恨みの目をしているようだし」


 ちょいちょいと俺に手招きし、諏訪さんは急ぎ足で歩き始めた。小走りで彼女に追いつき、俺もそのまま並んで歩き始める。

 

 とりとめのない会話をしつつ、やがて目的地へと到着した。


 『メゾン夕陽ヶ丘』と建物の入り口に看板が取り付けられていた。

 木造のアパートである。塗装は少し前に塗り直しているのか、クリーム色の外観は比較的新しい。外側に設けられた鉄製の階段まで手が回らなかったのだろう、塗装がほとんど剥げ落ちて錆に塗れ、元が何色だったのかが分からなくなっていた。だいぶ古い建物のようだ。


 諏訪さんの部屋は、一階の、105号室だった。隣は103号室。4は存在しない。


「104号室はないんだなぁって思った?」

「まあ、似たようなことは……」

「4号室と9号室はないのが割と一般的でしょ? それでこのアパートもおんなじ。あるわけないのよ。あるわけがない。あるわけがないんだわ」


 4。死。

 9。苦。

 それらを連想させるため、縁起が悪い。だからない。あるわけがない。正にそうだ。あるわけがないのだ。104号室なんて、存在しない。少なくともここには、ない。


「それでそれで、今日アンタに私の家に来てもらった理由はねー、ちょっと相談したいことがあって……ま、中に入ってから話しましょっか。玄関前で話すような話題でもないしぃ」


 諏訪さんは胸元のポケットから鍵を取り出し、手慣れた所作で105号室とプレートの貼られた扉の鍵を開けた。


「どうぞー」


 諏訪さんが扉を開ける。

 中は薄暗かった。


「ほらほら、遠慮せずにあがったあがった」 


 唐突に手を掴まれ、部屋の中へと引き込まれる。

 扉の隙間から闇が混じり始めた夕暮れの血色が差し込んできて、室内を染め上げ始める。

 俺が入り切ったのを確認すると、諏訪さんは素早い動作で扉を閉め、ガチャリと鍵まで閉めた。


「……なに?」

「い、いや、鍵も閉めるんだなって」

「女の子の一人暮らしなんだもの。鍵ぐらい閉めとかないと、いつ変質者がやってくるか分かんないし……あ、もしかして怖い想像でもしたの? 私が、アンタをすぐに逃がさないようにするために鍵を閉めたんだ、とかぁ?」

「そんなことは」


 ない、とは言い切れない。

 鍵を閉めた諏訪さんの動きに、微かな警戒心が起こったのも本当だ。その理由は自分でも分からない。きっと俺の気にしすぎなんだ。目の前の彼女は、ごく普通の転入生で、クラスメイトで、友達なのだから。


「別に怖いことなんてしやしないわよ。怖い話は、するかもだけど」

「え、怖い話?」

「そ。アンタに相談ってのがその怖い話に分類されるかもしれない」


 まだ玄関で、狭い空間のなか二人とも靴も脱いでいない状態で。

 薄暗い中、諏訪さんがにぃ、と笑って、笑って、言った。


「この部屋ね、最近、黒い髪の女の幽霊が出るのよ」

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