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三人目が死んだ

「……みっともないところを、お見せしました」


 ぺこりと、夕陽が頭を下げる。

 しばらく泣いて、泣き続け、落ち着いたようだった。顔を洗い、さっぱりとした表情で俺たちの向かいに座ると、一口ココアを飲んで、夕陽はそう言った。赤く腫れた目には、号泣の痕跡が残っている。彼女は確かに泣いていた。ショックの連続に遂には耐えきれなくなり、少女のように泣いていた。……()()()、という言葉は、ひょっとすると間違っているのかもしれない。だがそうであると断言もできない。俺はまだ、確証を得られずにいる。答えを急くのは……たぶん、危険だ。なんとなくだがそう思う。


「落ち着いた?」


 嘲りなど欠片もない、柔らかく、優しさに満ちた声で陽香が夕陽に尋ねる。突拍子のない言動も多々あるが、我が幼馴染殿は根っこのところはきっと優しいのだろう。


「ええ」

「無理もないわ。無理もない。怖いことがたくさんあったんだもの」

「……ごめんなさい、一人で取り乱したりして。どれだけ泣いていたのかしらね、私……」


 バツが悪そうに言う夕陽に、陽香はにんやりと笑みを浮かべた。イタズラを思いついた悪童のような顔である。


「どれぐらいだったかなー。オーリ、数えてたりする?」

「しない」


 時計は見ておらず、ただ音の出ないテレビを見つめ止むことのない雨音を聞きつつちびちびとココアを飲んでいたため、どれぐらいの時間が経ったのかは分からない。数分かもしれないし、十数分かもしれない。だが、どうでもいいことだ。それに人の泣く時間を数えるなんて野暮だろう。


「ユーヒ、あなたは時間にして14分ほど泣いてたわ」


 野暮。


「数えてたのか?」

「ううん、てきとー。そんぐらいかなーってラインを攻めてみただけ」

「そうか……」

 

 うん。陽香はこういう人間だった。夕陽が少し困った表情を浮かべている。

「だからね」と陽香は言うや否や、左手の人差し指と中指を立て、右手の親指以外をすべて立てて、


「あなたはおよそ24分の間、オーリの腕を独占していたことになる」


「増えてるわ……」という夕陽の呟きは正しい。


「よって、34分……いえ、44分ぐらいだったかも。そんくらいの時間、私だってオーリの腕にしがみついてたいのだけれど……いい?」

「ダメ」

「けちっ。いいでしょ腕の一本や二本ぐらいもぎ取っていっても」


 不満そうに唇を尖らせ恐ろしいことをぼやく陽香に、俺も夕陽も、表情に笑みが浮かぶ。この場の空気が和らいだ、ように思えた。陽香はこう、こうだった。確かに、こうだった。昔から、明るく、太陽のような、幼馴ヂみ。ずっと、だ。今に、至るまで────「オ「ーち」リ「ゃ」ん」


 目の前のソファーに座る黒い影。俺は彼女を知っている。一乃下、夕陽。ノイズは、彼女の姿を変貌させる。人の姿から、黒い影へと。今までもそうだった。

 

 では、俺のすぐ隣に座る少女はどうだろうか。彼女の名前は未知戸、陽香。家がお隣で、もう長い付き合いになる幼馴染だ、と俺の記憶は訴えかけている。彼女は黒くなったりはしない。現に今も、彼女は黒くない。これまで通りの彼女だ。

 

「オー「ちゃ」リ」 

 

 黒い影と彼女は、俺に呼びかける。俺の名を呼ぶ。

 黒い影は俺の真正面に平べったく視界に貼りついている。

 彼女は俺を見、口を開けている。言葉を発したからだ。

 よく発せたものだと思う。首に一筋の赤い線が走り、そこから並々ならない量の粘着性の赤い液体を流しているのに。いいや、首だけじゃない。首だけではなかった。二人目に死んだあの子は首を斬られた。見れば、見れば彼女は、陽香は、胸元までもが……三人目に死んだあの子は変死体となり見つかった。変死体とは? どのような死に方、どのような状態……いいや、分かっている。俺は()()変だったのかを知っている。写真で見たのだから。彼女の白のシャツは、白ではなくなっている。胸元を境に、血で染め上げられてしまっている。まるで胸元から血が噴出しているかのようだ。血染みができている。ヂヂ みが。血染みが……


「オーリ!」

「桜利くん!」


 肩を掴まれた。はっ、となった。

 切羽詰まったような力強さで、指が俺の肩に食い込む。彼女たちの指が、俺の肩を掴んでいる。


「どう、した? そんなに、目を見開いてさ」


 陽香と夕陽が、目を見開き、真剣な様子で俺を見ている。今叫んだのも、彼女たちなのだろう。


「どうしたじゃない。どうしたじゃないの……!」


 見開かれた夕陽の目が、潤み始める。いつもは切れ長の彼女の目は、やはり大きいのだと再び実感する。彼女はもう黒くない。


「いったい……! きみがどうしたのっ!」

「は……? 俺……?」


 俺がどうしたのか、と彼女は問う。

 俺はどうしていた? と俺は問う。


「落ち着いて、ユーヒ」


 再び取り乱そうとする夕陽へ、陽香がそっと手のひらを向けた。


「オーリ、今、すごい眼をしていたわ。もう、とんでもなくすごい形相だった」

「そこまでだったのか」

「そこまでだったのよ。今、あなたは起きていながら悪夢でも見ていたみたいに、私を見ていた」


 とても、陽香はとても悲しそうだ。いつもは真っ向から見つめてくるのに、視線を伏せ、顔には影が差し込んでいる。らしくもない、はず。彼女はもう血塗れではない。


「オーリもユーヒも、疲れてるんだわ。もちろん私もね。少し、この事件について話すのは間を置くべきなのかもね」


 俺たちは疲れ切っている。

 少し、休む必要がある。


「……だな。きっと、その方がいい。少し休んでからにしよう」

「……ええ。私も、賛成。このままだとずっと、一人でパニックになり続けてしまいそうだから、少し気を落ち着かせて、いったん冷静に、なります」


 夕陽はそう言うと、すう、と息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「決まりね」


 と陽香が笑う。その笑みには疲労の色が滲んでいた。

 今日はとりあえず、この場で解散という流れになりつつあった。それはそれでいいのだろうが、俺にはひとつの懸念があった。不安なことが、ひとつ。


「あ、あのさ、夕陽」

「ところでね、桜利くん」


 言いかけると、夕陽も何かを言いかけていた。


「あ、ごめ、ごめんなさい」

「お、俺もごめん。被ってしまった」

「桜利くんの方から」

「夕陽の方から」


 お互いに謝り、お互いにお先にどうぞとまた被り、「ユーヒの方から言えばいいじゃない」とつまらなそうな陽香の言葉を受け、夕陽が「じゃ、じゃあ……」と口を開き、「……」硬直する。なにかとても、そう、とても言い出しづらいことを言おうとしているかのようだった。


「その、ね……もしできれば、でいいのだけれど」


 もじもじと、いつもの彼女らしくもなく、クールのクの字もないような紅潮しきった表情で、


「ほ、ほんとにダメならダメって言ってもらってでいいんだけど……きょ、今日っ、桜利くんの家に、泊めてもらっても……いい?」


 そんなことを、言われた。

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