ハンカチが置いてあった
「お、おにーちゃん……この、今、テレビに出てる、名前出てる……この人って」
「……そうだな。お前の考える人で間違っていない」
俺が今発したこの言葉は、妹に対してであり自分へ向けてでもある。
お前の考える人間で間違っていない。間違ってはいないのだ。
死んだのは、
殺されたのは、
尾瀬静香だ。
昨日、生者だったクラスメイトの女子生徒だ。
霊園内で死んでいるのをお参りに来た人が発見した、ということをニュースのアナウンサーが言っている。事件現場である朝陽ヶ丘西霊園の入り口のところで、黄色いレインコートを着たリポーターが神妙な表情で画面の向こうの俺たち視聴者に向かって事件の概要を並び立てている。画面の奥の方、管理棟の付近、ちょうど庇が雨を防いでいる場所で警察官に取り囲まれてうろたえている一人の年老いた男性が見えた。管理人、だろうか。昨日は見なかったが、やはり居眠りでもしていたのか。
「……シズカが」
陽香が呟く。
彼女は呆然としていた。友人の死を前に、まだ呑み込めていないようだった。
「なんでまた、霊園で……ねえ、オーリ。私たちがバスで戻ってきた後、のことよね、これって」
「だろうな」
「行かなきゃいけないところがあるって、シズカ、言ってた。それが霊園ってことになるの?」
「そういうことになる」
「なんで?」
「……分からない」
なぜ、尾瀬は霊園にまた戻っていったのか。
その理由が出てこない。思考の引っ掛かりさえない。
「言っとくけど、私は本当に買い物してただけだからね。ご飯のための買い物、お母さんに頼まれてたのよ」
「分かってる。お前を疑ったりはしない」
「さ、さらっと嬉しいことを言ってくれるじゃないの……めっちゃ嬉しいんだけど」
何故だか悔しそうに、それでいて嬉しそうに、陽香は複雑な表情を浮かべ、首を振って再び神妙な表情に戻った。「心の中では狂喜乱舞してるわ。ただ、状況が状況だから」
俺たちはまだ状況を呑み込めていない。だが、理解しつつある。
尾瀬は変死体となった。
どう変なのか、俺たちは分からない。
なぜ変死体となったのか、は分かる。容易に予想がつく。
殺されたからだ。
ピンポーン。
「え、あれ、お客さん来た?」
舞が俺を見上げる。
「俺が出るよ」
誰かがうちを訪ねてきた。インターホンを鳴らし、玄関扉の奥で待っている。
なんてことはない、頻繁ではないがありえなくはないことだ。ご近所さんだったり、郵便だったり、宅配だったりと、訪問の真っ当な理由はいくらでもある。
……。俺は今、真っ当な理由だと考えた。
ということは、真っ当ではない理由も同時に考えていたということだろう。
テレビの画面上で、アナウンサーが真剣極まりない表情で事件の概要を述べている。殺人事件について語っている。
「オーリ? どうしたの? 出ないの?」
「ああ……」
「私が出てこようか? 久之木桜利の妻です、って事実を述べながら」
「俺が出る……ひょっとすると──危険だから」
連続殺人犯はまだこの街にいる。何処かにいる。きっといる。
そう考えたうえで、俺は玄関扉の先にいるかもしれない、真っ当ではない訪問者を想像した。ないと断言できない事実だ。家の中には俺たち三人。いずれも犯人ではない。
「わ、私、フライパン持ってくるー」
慌てた様子の舞がテレビの電源を切り、とたとたとキッチンに行く。我が妹もまた、ひとつの危険性に思い当たったようだ。
「包丁持っておこーかしら」
陽香も舞の後ろについていった。「場合によっては血を見ることになるわ」物騒なことを言いながら。
玄関扉の前で、俺は意を決し、扉を開けた。途端、ざあざあとアスファルトを打つ雨音と湿った風が冷たく身体を撫でゆく。
「……誰も、いない」
誰もいなかった。
恐る恐る周囲を見回しても、やはり誰もいない。上を見ても、下を……「……」
「ど、どう? おにーちゃん、誰もいなかった? なにもいなかった? だいじょぶ?」
「どーなのよオーリ。見た感じ誰もいないっぽいけど」
昨日、俺は彼女にハンカチを貸していた。
殺された尾瀬に、ハンカチを貸していた。
「なんでだ……」
そしてここに、俺の目の前に、その、白色のハンカチが落ちている。白色だったハンカチが落ちている。綺麗に四つ折りにされ、置かれている。真っ赤だ。白地に赤というよりも、赤地に白の模様があるかのよう。白のハンカチは赤く染まり……血濡れ、だった。誰かの血に濡れていた。誰だろう。誰だろうな。誰の血だこれは。
「誰が、置いて行ったんだ……」
尾瀬が持っていたハンカチがここにあるということは、置いて行った者がいる。殺された当初の尾瀬が持っていたであろうハンカチを、だ。わざわざ俺の家の前まで持ってきて、インターホンを鳴らして、置いて行ったのだ。
「お、オーリ、それ……」
いつの間にかすぐ背後に来ていた陽香が、俺の足元のハンカチを見つめていた。
「殺人犯はどうやら、俺を知っているらしい」
陽香を、という可能性もある。
舞を、という可能性もある。
だが俺は、これが俺へ向けたものであるとしか考えられなかった。
屈み、白の血濡れたハンカチを拾い上げる。
四つ折りから広げようと端を持つと、ひらひらと、紙のようなものが足元に落ちた。
「なんだ……?」
その紙片を拾い上げると、そこには文章が数行、記されていた。




