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『モルスの初恋』

     15


「はあ、はあっ……!」

 桜花が小瀬の後を追う。逃げる彼女とは何十メートルという距離がある。

 怯えたままの彼女を逃がしてはいけないと桜花は全速力で追った。小瀬のスタミナの方が先に切れてきたのが幸い、距離は縮んでいく。そして彼女に、霊園の入り口、小さな管理棟付近に設けられた駐車場のところでようやく追いつこうと──した、折。


「決めた」


 そんな声が、耳元で。

 誰かが、全力で走る桜花の耳元に顔を寄せ、小声で囁いているかのように、その声は近かった。そのまま耳元に口づけでもしてきそうなほどの距離だった。虚を突かれ、桜花の足が鈍り、速度が落ちる。目の前の小瀬が、少し遠くなる。


「オーちゃんとは、呼ばないわ。私だけの呼び方にする」


 走っているのに、その囁き声は耳元から離れない。


「私はあなたをこう呼ぶの。これが私の、あなたへの呼び方っ。ちゃんと憶えて、ね────」


 見てはならないと思った。

 だが、桜花の首は自然と、囁き声の方を向く。どんどん距離の遠くなる小瀬の背中から視線を外し、遂には見てしまった。甘い囁き声を出す、それは──


「オーカっ♥」


 園田咲良、の、生首、だけ。

 黒い影に人間的な生首を乗せたなにかが、嬉しそうに瞳を弧に歪め、口の端を嘲るように吊り上げ、すぐ目の前で笑っていた。


「うわ──あっ、ひゅ、うぇ……! げほ、ごほっ!」

 全速力で走っているときに大声で悲鳴を上げようとしたものだから、咽て、桜花は転げるようにその場で石畳の上に膝をつき、地面に向かってせき込んだ。

「げっほ、がひゅ、ぜえ、ふう……!」

 息を整え、もはや恐怖のためか走ったためか分からないほどに強く鼓動を打つ心臓を服の上から押さえ、桜花は意を決して顔を上げ、周囲を見渡す。

 もう、なにもいなかった。

 小瀬の姿も、黒い影もいなかった。

「小瀬、だ。今は小瀬を、捕まえないと……!」

 立ち上がり、よろめきながらも桜花は再び周囲を見回す。

 蒼穹と、整列した墓石の群れと、木々しかなかった。駐車場には一台も車は止まっていない。アスファルトに引かれた白線しか見えない。

「小瀬っ……小瀬!」

 大声で叫ぶ。もはや躊躇なんてしていられなかった。桜花は叫び、叫んで、消えた少女を探した。生きた姿で会うことはもう二度とない彼女の姿を探し続けた。


     16


「はー……はあっ……! いやだ……いやだっ……!」

 石畳に膝をついて丸まり、荒い息を整えつつ、なにも視界に入れまいと彼女は貝になっている。うわ言のように恐怖を吐き出しながら、怯え続けている。

 そこは、園田家之墓、と刻まれた墓石の前だった。走り、走って、小瀬静葉は最終的には親友の、裏切ったばかりの親友の墓の前まで戻ってきていたのである。

 そこには条理桜花の姿はない。きっと振り切ったのだろう。怯えて、恐怖して、逃げて逃げて、落ち着かせようと追いかけてきた桜花を置いてけぼりにしたのだ。恐慌の末に孤立する。小心者の末路に、実に相応しい限りである。

 死が、小瀬を見下ろしている。

「ねえ、ねえ。シズハ、シズハ? ひどくない? アタシがさー、条理のこと好きって知ってて、コクったんでしょ? しかもアタシの墓参りにかこつけて二人きりになったりしてさ。墓前だよ? 告白が親友の墓前って、アンタすごい度胸してるね」

 園田咲良の生首の口を動かし、園田咲良の声で、親友を責め、詰る。

「ごめ、ごめ、なざ、サクラ、私っ……! ごめんなさい……!」

 気の毒なほどに怯え、小瀬が謝る。

「はーあ。そういう子だったんだ……ゲンメツ」

「だ、だってあの世から戻ってくるなんて私思わなくてっ……で、でも私だって桜花くんのこと好きだし、サクラ、死んじゃってるし……!」

 小瀬のパニックを沈めようとする者はこの場にはいない。「それは幻だよ」と優しい言葉をかけてくれる彼はいない。

 できるだけ冷たい声となるように、死は小瀬へ言う。

「アンタさ、意外と自分の身体に自信持ってるでしょ? その胸とか、ねぇ」

「ごめんなさい、サクラ。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ──」

 壊れたレコードのように繰り返す謝罪を、死は聞かなかった。そもそも小瀬が謝罪しているのは園田咲良へであり、今ここにいるのは死である。相手が異なるため聞かないのも当然だろう。園田咲良は死んでいる。死人は生き返らない、世界が正常であるならば。

「ひとつ、お願いがあるのよね、シズハ」

 死は、頭を抱え蹲る小瀬のうなじに、そっと手にあたる黒い影をあて、喉元にまで指のような黒を這わして、

「ひ、い────ぎ」

 絞めた。哀れな少女は暴れるものの、やがて動かなくなった。「んふふ」死は笑みを浮かべ、鼻歌を奏でながら小瀬の服を脱がせる。着用していた下着のホックを外す。彼女はバックホック派であるようだった。大きな二つの双丘が転び出る。

 

「このおっきなお胸、ちょーだいっ」


 丘の麓に手を当てて、スーッと横にスライドさせると、さながらクリームにナイフを入れるかのようにあっさりと断たれた。どぼり、と赤色の血液が溢れ出す。

「ありがとね、シズハ」

 死は礼を言い、事切れた小瀬の身体をそっと園田家の墓石の前に横たわらせた。

「おっきい。やっぱり大きい方が良いのよね。オーカだって、そう思うに決まってる。男の子でしょーしぃ」

 切り取った二つの丘を自らの胸元に当たる部分に移植し、死はにんまりと、想い人がいるであろう方向へ向けて蠱惑的な微笑みを浮かべた。


 こうして死は巨乳を手に入れた。

 

 影に実体を。死に身体を。

 いったい、どんな人間が完成するのでしょうか。

 死はその場を後にする。残されたのは、首を奪われた園田咲良のお墓の前に横たわる、胸を切り取られた小瀬静葉と云う名称で呼ばれていた物言わぬ肉の塊だけ。

 仲良しのお友達の近くで死ねるなんて、彼女はなんという幸せ者なのでしょうね。

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