数日が過ぎていた
時間は経つ。
日にちが過ぎていく。
一年C組は、元の教室へと戻った。園田桜子の首のない死体が転がり血が飛び散っていた殺人現場へと──室内は当然のことだが、血痕もなにも残っていなかった。
クラスメイト達の暗い顔も、段々と日常に戻ってきたように見える。クラスメイトの、園田桜子の死がもたらした悲しみの濃さを、繰り返される日々の数多が薄めていったのだ。悲劇は風化する。程度の差こそあれ、時間の波が少しずつ喪失の築いた悲しみの塊のようなものを削り取っていく。忘れていく、とも言い換えられるだろう。
けれどそれは、あくまで表面上のことだ。教室内を覆う暗さは、日常のふとした拍子に現われた。例えば、明らかにひとつ席が空いているのに、先生が「全員いるな」と呟いたときなどに……口にした霜月先生自身も気まずそうに視線を伏せていた。園田桜子の永遠の不在は色濃く、もういないという事実を主張してくる。"いない"ということが、より一層"いた"ことを強調する。
俺たちのクラスが、この学校が、完全に元通りになることはない。園田が死ぬ以前に戻ることはもはやない。園田が生きていた頃に漸近していくだけ、例え無限に繰り返そうとも決して一致することはないのだ。一人分の永遠の欠落は非可逆的であるのが当然なのであり、それこそ現実が気でも狂わない限り元通りになることはない。
人が生き返るとは、ありえない現象なのだから。
「そんなことないわ」
「ん……?」
「『ん?』ってオーリ……そんなことあるわけないじゃない」
「俺、何か言ってたか?」
考え事をしていたまま、陽香と会話していたようだ。たった今自分が発した無意識の言葉がなんであるかが思い出せない。そうして自分が現在歩みを進めていて、朝陽ヶ丘市の住宅街の路上を登校しているという現状も自覚した。よほど考え込んでいたみたいだ。
「何って……将来のことよ。大人になってからもこの朝陽ヶ丘市にいるつもりなのかってハナシ、してたでしょ、今」
「あー……そうだったな」
「私はこの街に居続けるつもりはない。そのうち、出て行こうと思ってるの」
進む道を見定め、陽香は真剣な表情で言葉を続けた。
「へえ、なんかさ」
「意外、なんでしょ?」
「おお……当たりだ。よく分かったな」
「ふふ──付き合い、長いからね」
首を傾け、陽香は横目に笑みを湛えた。
「私は、遠くへ行こうって考えてる」
「海外とか?」
「そんなカンジ。そしてそこにはもちろんっ──」
ブオオオオォォォ、と排気音。車が俺たちの横を通過していった。陽香の言葉の最後の部分がよく聞き取れなかった。
「行きましょ」
冷たい風が頬を撫でる。
この街は、本格的に寒くなってきていた。
◇
休み時間のことだった。
「うむむ……」
唸り声が真横から聞こえる。
「うむむむ……」
唸り声がやはり真横から聞こえる。
「シナリオか。前に言ってたやつ」
隣の席でうなり続ける彼女──美月さんへ、そう訊ねた。
「ワリと出来つつあるんだけど……もう少し、こう、ね? 捻りというか、奇天烈さというか、捻くれて捩じくれてる感が欲しいの」
眉をひそめ、机の上のノートを睨みながら美月さんは難しい顔をしている。ノートには綺麗な文字が並んでおり、『初恋は甘酸っぱいもの』という文字がひと際大きく書かれ、丸で何重にも囲まれていた。甘酸っぱいらしい。
「えっと題名は確か……なにか、宇宙からの告白とか、だったよな」
「うん。モールス信号─宇宙からの告白─、ってタイトル」
「恋愛ものなのか」
「それと、SFも兼ねてるかなぁ。ある一人の平凡な少女が空飛ぶ円盤に──アダムスキー型のUFOにキャトられて脳にチップカードを埋め込まれるところから物語が始まるんだけど……」
「冒頭から平凡じゃなくなってるな……」
「あ、確かに。それなら平凡だった少女、ってところになるのかなぁ。何の変哲もなかった一人の女の子が、運悪く……ううん、UFOに出逢えたんだから運良くだね、それで平凡じゃなくなっちゃったお話で……それから、・と-の規則的な連なりがずぅっと頭に聞こえてくるようになったの」
「途切れることなくか」
「そぉ。途切れることなく。ご飯食べてる時も学校行ってる時もお風呂入ってる時もお友だちとお話ししているときも、ずっと」
「それは……気が狂いそうだ」
「発狂しかけているところを、隣の席の男の子に助けてもらって、それから……って話になるんだけどねぇ……もう一ひねり半ぐらいほしいなぁって思ってて」
むぅ、と美月さんは唇を尖らせている。
すると、
「あの、美月さん」
俺の傍に、そう声をかけた者がいた。
「これ、読んだよ」
ホッチキスで束ねられた原稿用紙の束を差し出すのは久山だった。銀縁の眼鏡をかけた図書委員であり、クラス委員長でもあるクラスメイトだ。
「あ、そうそう。久山くんにも手伝ってもらってるんだ。シナリオ作り」
美月さんがにこっと、そんなことを言う。
「く、久之木くんも知ってたんだね」
「この前な、偶然教えてもらった」
俺がそう言うと、久山は微妙な表情を浮かべた。どこか残念そうな、そんな感じの顔である。
「久山くん、読んでくれた?」
「もちろん読んだよ」
「どうだった?」
「えっと……最初のキャトられるところから一気に惹きこまれててさ、その、すごく面白かった」
久山は落ち着かない様子で美月さんと会話している。しどろもどろで、なんというかこう……なるほどな、となる感じの様子だった。甘酸っぱい。
「……僕はここのところ、もう少し感情的な喜び方にした方が良いと思う。普段は冷ややかで感情的な面を見せないからこそ、こういう山場では思いっきり爆発させて印象付けるんだ」
「きゃっはーって感じ?」
「う、うん。きゃっはーって感じで」
青春だなぁ、とそんなことを思った。
邪魔をしては野暮と云うものだろう、と俺がこっそり席を立ち廊下に出ると、レモンがついてきた。
「なあオーちゃん、久山って美月さんのこと好きなんじゃね?」
「だろうな」
「ほっほー」
「止めとけ。馬に蹴られるぞ」
「はっ。俺に人のレンアイを邪魔するような趣味はねえよってんだ。どうぞご勝手ご自由に、ってところだぜ」
へっ、と鼻の頭をこすると、レモンはカッコつけてそんなことを言った。
「見つけた、三択くん」
俺とレモンが廊下の窓から外を何とはなしに眺めて会話していると、隣のレモンが声をかけられた。『日直日誌』と書かれた冊子を持った一人の女子生徒が、眉を吊り上げちょっと怒った様子で立っていた。
「あ、し、茂皮さん。どうしたんぜ?」
「今日、私たちが日直なんだよ。忘れてたでしょ?」
「やべっ……」
どうやら忘れていたようだ。
「行こ。ごめんね久之木くん、三択くん連れてくね」
「どうぞどうぞ。好きに使ってくれ」
「オーちゃんそんな薄情な……」
「ほら、早く。黒板消さなきゃだし」
そうしてレモンは連れて行かれた。彼ならきっと日直の仕事をやり遂げるだろうと俺は信じ、教室内の自分の席へと戻った。美月さんと久山は仲睦まじく話している。頑張れ、と思った。レモンは茂皮さんと共に黒板上の白やら黄色やら赤やら青やらカラフルなチョークの文字群と奮闘している。茂皮さんはしっかり者だ、レモンは苦手としているようだが……なかなかお似合いなんじゃなかろうか、とそんなことをふと思った。
「あ、チョーク切れてる。三択くんちょっと貰ってきてくれる?」
「え、めんどくせ」
「ほらほら、行った行った。私は黒板消すのに忙しいんだから」
「うえーい……」
まるで姉と弟だ。
茂皮さん、弟いそうな感じだし。
「なんだか、微笑ましいわ」
いつの間にやら隣に佇んでいた夕陽が、俺の見つめる先を同様に見つつ、そう言った。
「だな」
「三択くんと茂皮さん、お似合いの二人って感じ。桜利くんもそう思わない?」
「思う。レモンも満更でもなさそうだしなぁ」
「もしかすると、三択くんに先越されちゃうかもね」
「なにが?」
「かのじょ──恋人、ってこと」
「あはは……別にいいさ。競争しているわけでもなしに」
「ふうん、なぁんだ。つまんない」
「つまんないて……」
冷ややかに唇を尖らせる夕陽に、苦笑する。
やがて休み時間終了のチャイムが鳴り、ゆるやかに次の授業が始まり──終わる。数度それを繰り返し、最後は終礼のチャイムが学校内に鳴り響き、一日が終わった。なにもなく、終わった。




